半世紀の時の壁を乗り越えてやっとたどり着いた「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」。
一風変わった曲想で若き狼魔人を魅了したこの歌は、当時としては、いや今改めて聴いても普通の流行り歌とは、一寸異質な音楽である。(歌詞もメロディーも歌い手も)
この歌について書くには、どうしても作詞作曲をした三木鶏郎について多少触れておかなければならない。
三木鶏郎ときいても、もはや、テレビ・ラジオの世界でさえ知らない人たちが多いだろう。
しかし、60歳以上の人にとって、この名前は、いや名前を知らなくても彼が作った膨大なヒットソングの一つでも聴けばなんらかの感慨を持つはずである。
戦争の恐怖から開放された昭和20年代、ラジオから流れる音楽が庶民の唯一の娯楽であった。
終戦の年まだ4歳の筆者は勿論当時流行した歌の詳しい事情を実体験として記憶しているわけではない。
が、巷に流れる歌のメロディーと歌詞の断片は不思議と鮮明に記憶している。
岡晴夫の「泣くな小鳩よ」(昭和21年)、田端義夫の「かえり船」(昭和21年)、美空ひばりの「悲しき口笛」(昭和22年)等は当時のラジオ或いは大人たちが口ずさむのから聞き覚えた。
当然、三木鶏郎の名を知るのは更に10年経過した昭和30年代になってからである。
音楽的にはまったく素人の風刺音楽グループ、三木鶏郎トリオは、敗戦の翌年、昭和21年1月29日に、「唄の新聞」として、NHKラジオに登場する。
三木鶏郎トリオはプロの芸人ではなく、東大法学部卒の素人の音楽好き三木鶏郎を中心にした学生気分の抜けない素人集団で、プロのが中心の当時としては、画期的であった。
「唄の新聞」は半年後に打ち切られ、やがてNHK番組「日曜娯楽版」の中のコーナー「冗談音楽」として再生する。
三木鶏郎グループは、河井坊茶、三木のり平、小野田勇、千葉信男、丹下キヨ子というメンバーで、この時点で「吟遊詩人ーかぐや姫」の河井坊茶が登場する。
「冗談音楽」はモダンで明るい楽曲の合間を社会風刺の効いたコントでテンポよくつなぐ構成で大人気を獲得。
聴取率は80%とも90%とも言われ、番組からは「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」「毒消しゃいらんかね」などのヒット曲が続出した。
またジャズ・バンドの三木鶏郎楽団(ジョージ川口、小野満、鈴木章治、他)も結成、活動の場を舞台、映画にも広げた。
後のテレビ時代になって、クレイジーキャッツ が音楽とコントを結びつけた演出で成功したが、三木鶏郎グループはその先駆けと言うより膨大な数のCMソングを含むヒットソングを座長の三木鶏郎が自ら一人で作詞・作曲したことにこのグループの特異性がある。
あまりにも一人だけ目立ち過ぎる三木鶏郎だが、仲間の河井坊茶については検索してもあまりヒットする項目がない。
昭和25年3月9日付けの産経新聞に「日曜娯楽版に危機 のり平脱退騒ぎ」と言う見出しで河井坊茶に触れた記事があった。
人気の「日曜娯楽版」も三木鶏郎一座の分裂騒動で危機が訪れていたようだったが、それよりも河井坊茶の前身が「暁星中学教師であり中央食品の重役である秋元喜雄氏(河井坊茶)というズブの素人」という記事が興味深い。
随分脱線をしたが半世紀前の狼魔人少年は「河井坊茶とは当時人気の柳家金語楼と同じ系統の落語家出身のラジオタレント」だとばかリ思っていた。
これも半世紀もの間の「勘違い」か、「思い込み」の一つ。
そう、話は「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」についてであった。
◇
その娘の美しさの噂は瞬く間にその街の隅から隅へと駆け巡った。
娘の住む屋敷には昔から年老いた夫婦が二人だけで住んでいたが二人に子供がいた話は誰も聞いた事が無かった。
すこし前から老夫婦の家に美しい、それこそ光り輝くような娘が住んでいるとの噂が立ち始めた。
男なら幾つになっても美しき女性を眺めるのは心時めくもの。
この街の5人のプレイボーイ達はこの美女の噂に心穏やかではなかった。
5人とも社会的に高い地位の家柄の生まれで、金には不自由はしなかったし、何よりも若くて独身の気楽な身分だった。
当然の如く女性は相手のほうから近づいて来た。
しかし噂の娘は彼らの周りの女達とは大違い。
自ら男を求めて街を彷徨うようなことはなかった。
例えばもう一人の町の話題の「酔いどれかぐや姫」のように。
青い青い 月の夜
とろり酔いどれ かぐや姫
うつろな笑いを浮かべ
あやしいことばを投げて
おー 町の男を 誘っている
(「酔いどれかぐや姫」阿久 悠 作詞)
深窓の令嬢、或いは箱入り娘と言った表現がぴったりで、家に篭り外を出歩く事は殆ど無かった。
男が家に引きこもるとウジがわいたりカビが生えたりであまり景色の良いものではない。
が、妙齢の見目麗しき女性が深窓に篭るとなると俄然景色も違って見えてくる。
その家の窓明かりは暖かく輝いて見えるし、屋敷に漂う空気の流れにも香しさを感じるようになるから不思議なものだ。
モテる条件を全て具備していると自負する男にとって、自分に何の関心も示さず家に引きこもる女、それも飛びっきりの美女とあってはこれが気にならぬ筈は無い。
初めの男は恋文を出した。
切々たる恋情を訴えるには恋文を綴るのが一番適していると信じていた。
事実これまでにもこの恋歌綴りにより彼になびかぬ女は一人もいなかった。
返事はこなかった。
次の男は別の作戦に出た。
「将を射んとすれば馬を射よ」これが彼の信念だった。
足しげくその屋敷の老夫婦を訪ねて彼女に対する自分の胸の内を告げた。
しかし、あの娘は自分達の子ではなく天から預かった子なので、自分達ではどうにもならない。
これが老夫婦の返事であった。
三番目と四番目の男は実力行使に出た。
夜といわず、昼といわずその屋敷の周囲をうろつき回った。
塀に穴を開けて覗きを試みたり、挙句の果ては窓をよじ登ろうとして滑り落ち足を挫いたりもした。
不審者として通報される始末であった。
いまならストーカーであり、犯罪者である。
最後の男は町の有力者の息子であった。
最初はゲーム感覚で口説いていたが次第に本気で恋するようになってきて、今では夜も寝られないほどの重い恋病に陥ってしまった。
そこで作戦変更、振られたもの同士皆で共同戦線を張る事にした。
5人の内の誰か一人が彼女の心を射止めても、他のものは潔く身を引くと硬い約束が交わされた。
彼女は個別に男達に会う事は拒んだが、老夫婦の必死の説得で遂に一同揃って会う事は何とか承知した。
男達の前に現れた娘の姿は光輝いていた。
とてもこの世のものとは思えない美しさであった。
昔から女性の美しさを表すのにいろんな例えがある。
「夜目、遠目、傘の内」とは、あからさまに女性を直視しない方が女性は美しく見えると言う例えである。
テレビでも美を売り物にするタレントはライトの位置、強弱を気にすると云う。
そのような努力で残酷なカメラの「目」の直視をぼかしているのだろう。
五人の男達は噂だけではなく実際に何度かその娘を垣間見る機会があった。
しかし、それは何れも「夜目、遠目、窓の内」と言う程度でこのように間近に娘を見るのはその日が始めての経験であった。
5人夫々の熱意の篭った求婚の申し出が終わった頃合を見計らって娘が初めて口を開いた。
「何れのお方のお話も身に余る有り難いお話で光栄でございますが、身は一つしか御座いません」。
「私の欲しい物を賜った方の熱意を汲んで、そのお方の申し出をお受け致しましょう」。
男達はいずれも金と権力には人後に落ちない自信があった。
手に入らない物のあろうはずが無い。
娘の話に異論は無かった。
娘は初めの男に求めた。
「天竺に佛の御み石の鉢といふもの有るそうです。 それが欲しいのです」。
≪な・な・何だって・・・。 天竺と言えばインドではないか。≫
≪俺は玄奘三蔵ではない! インドカレーで何とか我慢出来ないか≫、
と何時ものように軽口を叩くには目の前の娘の美しさは交合、・・・いや、神々し過ぎた。
「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」 歌:河井坊茶 作詞・作曲:三木鶏郎
♪♪1.はじめの男は印度にわたる
仏陀の石鉢天然記念物
ピカピカ光らず真っ黒なので
よくよく見たらばメイドインジャパン
(以下くりかえし)
泣く泣くかぐや姫
月の出を見て泣きじゃくる ♪
(続く)