狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

慰安婦決議案 正しい事実関係で反論を

2007-02-21 14:51:53 | 南京大虐殺

 

アイリス・チャンの胸像
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          唸 声

アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang, 張純如, 1968年3月28日 -2004年11月9日)は、中国系アメリカ人の歴史家、ジャーナリストおよび政治活動家。2004年に自殺。自殺のアイリス/チャン、死んでも利用、嘘も永遠に。

<アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストンで生まれ、イリノイ州シャンペイン-アーバナで成長した。イリノイ大学でジャーナリズムの学士号を得、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院で学ぶなどして、AP通信およびシカゴ・トリビューンでの短い勤務の後、25歳のとき作家としてデビュー。

彼女には3つの有名な作品が残っている。そのうち『The Rape ofNanking』(1997年11月)が有名。

第2次世界大戦中日本軍が南京で行ったとされている事件(南京大虐殺)についてのものである。関係者へのインタビューなどで構成されたこの本は、掲載された写真や文章の信憑性に強い疑念が残るため論争が行われている。

また、国際政治学者浜田和幸は、チャンは執筆に当たり中国政府や在米・香港・台湾の“反日”団体から支援を受けていたと指摘している。

事件関連のみならず、日本史全般にわたって間違いが多いことも指摘されている。(批判サイト:アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』90ヵ所もの間違い)

日本語版の出版にあたっては、そうした間違いを出版社側が指摘する注釈をつけ、批評本を同時出版しようとしたが、彼女が拒否したため、いまだ出版されていない。

彼女は鬱病を患い、退院後もノイローゼに苦しんでいた。彼女はカリフォルニア州サニーディルで夫と2歳の息子と暮らしていたが、2004年11月9日の午前9時頃にカリフォルニア州サンタクララ郡の国道17号線、ロスガトスの南で自動車の中で死んでいるのを発見された。警察はチャンが銃で自分の頭を撃ったと発表した>。

参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フーバー研究所にアイリスチャンの胸像が永久展示されるとの記事に驚愕する。それだけ米国の大学が左傾化しているということなのだが、これは想像以上に深刻と見るべき。中共は米国においても宣伝工作を戦中から今日に至るまでずっと続けているのだ。

工作員はマイク・ホンダ議員のような輩を上手に使いこなしている。また、ハニートラップなど仕掛け、大学にも入り込んでいるだろう。米国人も利用しているつもりが利用されていることに気がついていない。

嘘も百万遍唱えれば真実になる。某議長がやってもいないことを認めてしまい、嘘の真実化に力を貸してしまった。日本は本腰を入れて対応しないと、こうした嘘により孤立する可能性がある。国益のために嘘をつく国家と対峙するのだから、「遺憾に思う」なんてコメントでは屁の役にも立たない。

民間では「南京の真実」を伝える映画製作がスタートした。心強い限りである。真実は黙っていては明かされない。唸声も支援に協力した。どうか嘘のストップにご協力を!

南京の真実HP↓
http://www.nankinnoshinjitsu.com/

以下のサイトにアイリスチャンの写真と胸像、人民日報の記事・製作者の写真などがあります。
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/120987/

「唸声の気になるニュース」毎日更新中
http://datefile.iza.ne.jp/blog/

  ≪ 「渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 平成19(2007)年02月21日(水)」より転載。≫

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 【主張】慰安婦決議案 正しい事実関係で反論を

 旧日本軍が先の大戦中にアジアの女性を強制的に性奴隷として連行した-と一方的に断罪し、日本政府に事実の認知と謝罪、日本国民への教育などを求めた決議案が、またも米下院に提出され、審議が始まっている。政府は決議案の内容の不当さを内外に示し、事実をもって徹底的に反論すべきである。こうした動きを助長している「河野洋平官房長官談話」(平成5年)の事実認定に関しても再調査に乗り出すべきだ。

 いわゆる慰安婦に関する非難決議案は昨年も提出され、9月に下院外交委員会で採択されたが、その後廃案となった。今回の決議案は1月末、日系米国人のマイク・ホンダ議員(民主党)らによって改めて提出された。

 決議案は、「日本政府は帝国軍が第二次大戦中に若い女性たちを“イアンフ”として知られる性奴隷にしたことを公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきだ」で始まる。

 続けて、日本政府の関与、日本軍による強制連行、強姦(ごうかん)、陵辱、強制中絶があったなどと断じ、その上で、日本政府に(1)事実の認知と謝罪、責任受諾(2)首相による文書での公式謝罪(3)日本軍による蛮行はなかったとする説への明確な否定(4)若い世代への慰安婦問題に関する教育-を求めている。

 今回の決議案には昨年の決議案にあった「強制連行された慰安婦は20万人」などという記述はないが、ホンダ議員は決議案提出に際し、「日本軍による非道に苦しんだ20万人以上の“慰安婦”」と演説している。

 決議案や一部米議員らの認識は、事実に反したものであることが明らかである。政府はこの問題で世耕弘成首相補佐官を米国に派遣したほか、加藤良三駐米大使も下院小委員長に書簡を送るなどの行動を取っているが、最大限の努力を傾けるべきときだ。

 決議には法的拘束力はない。しかし、委員会だけでなく、本会議でも採択されれば、不当な誹(そし)りが歴史的事実として広まりかねない

 安倍晋三首相は昨年秋の国会で、河野談話を「政府として受け継ぐ」と答弁した。だが、談話は事実に基づくより政治配慮の結果-との証言もある。河野談話が意図的に拡大解釈されるのを防ぐためにも、事実関係の再調査と適切な見直しを改めて求めたい。産経新聞 (2007/02/21 05:02)

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マッカーサーが生んだ「七つの顔の男」

2007-02-21 08:22:11 | 年金・老人・身辺雑感
子供の頃、心踊らして観た時代劇、と言うよりチャンバラ映画には数々の想いい出がある。

片岡千恵蔵と言っても50歳以下の世代には片岡鶴太郎の弟子かと間違えられるほど遠い人になってしまったが、千恵蔵は当時のチャンバラ映画のヒーローだった。

若い人の中には名前だけは知っていると言う人もいる。

だが林家木久蔵がオーバーなモノマネをするセリフ不明瞭な昔の時代劇スターと言った程度の知識だろう。

昔の時代劇スターは歌舞伎出身が多く現代劇に出る事は殆ど無かった。

ちょん髷に刀を振り回す立ち回りにも歌舞伎の要素が取り入れられていたと聞く。

そのチャンバラ専門の片岡千恵蔵がちょん髷代わりに黒のソフト帽をかぶり、刀の代わりに二丁拳銃を構えてバタバタとギャング団を撃ち倒す映画には面食らった。

今で言えば高橋英機の桃太郎侍のイメージが突然黒い背広に黒ソフトで拳銃を乱射するようなモノだ。

いや、もっと衝撃的だった。 高橋英機は元々日活デビューの頃は現代劇青春スターだったし、テレビのトーク番組でもファンにはお馴染みなので背広姿もけしておかしくは無い。それに時々はテレビドラマの現代劇にも出ているようだ。

片岡千恵蔵のギャング映画登場の衝撃は今の時代劇スターでは、例え里見浩太郎や、松方弘樹をもってしても例える事は出来ない。

その衝撃の映画は「名探偵・多羅尾伴内シリーズ」と言うシリーズもので最初に観たのは小学校3年か4年生の頃「国際劇場」か「平和館」のどちらかで見た。

シリーズのうち何編見たかは曖昧だが、筋書きは大体決まっていた。

場面は客の帰ったキャバレーか遊技場。

悪の親玉と十数名の子分達が捕らわれの身の令嬢を脅している。

令嬢の悲鳴! 親玉が「殺(や)っちまえ!」と命ずる。

令嬢に迫る危機。

其処へフラフラと1人のお馴染みの人物が現れる。

八の字髭にロイドめがね。 ソフト帽子にくたびれた背広で悪漢の前に立つ。

今までの騒音は一瞬沈みかえり、一同は動きを止めてこの男を凝視する。

沈黙を破って親玉が怒鳴る。

「お前は誰だ!」

待ってました! 

ここでお馴染みの極め台詞!

「七つの顔の男だぜ。」

勿論演ずるは時代劇のヒーロー(だった筈)の片岡千恵蔵。

悪の親玉はこれも時代劇の悪役でお馴染みの進藤英太郎。

「七つの顔の男 多羅尾判内シリーズ」の名場面である。

この進藤親分、時代劇では越後屋から小判の贈答を受け、

「越後屋、お前もワルだのう」

「そういう代官様はもっとワルで御座います」

「ケッ ケッ ケッ・・」

・・と声を潜めて何度笑ったことか。

最後は千恵蔵扮する正義の剣士に何度切られた事か。

そして虚空をつかんで何度死んだことか。


進藤親分は懲りもせずに、ギャング映画でも悪事の限りをつくしていた。

次の場面は愈々この映画のクライマックス。

七つの顔の男は拳銃を構えている悪漢の群れを前にして変装(しているつもり)のロイドメガネ、八の字ヒゲ、くたびれた背広を一気に剥ぎ取る。(本当に瞬く間に)。

おー! 何とその下から現れたのは黒の背広の上下に何故か茶色っぽかった帽子も黒に変ってしまっている。 勿論シワ一つ無いビシッとした筋目入りだ。

それから延々と自己紹介を始める。

「ある時は片目の運転手、ある時は謎の中国人、ある時は多羅尾伴内、ある時はパイプの画家、またある時はセムシ男、しかるにその実体は!?」

「 正義と真実の人、藤村大造だ!」

(この藤村大造の出自は良く分からない・・・が、そんな事はどうでも良かった)。

変装の達人と言う設定らしいが如何みても千恵蔵がバレナレというのに当時は何の疑念も持たず手に汗を握って観ていた。

自己紹介がやっと終わると、今度は事件の謎を解説する。

敵地に乗り込むのに得意の変装で敵を欺いて秘密を探ると言う筋書きだ。

何故かその間悪漢の群れは手に拳銃を持ったまま凍りついたように動かない。

一同の前に仁王立ちで長演説をする千恵蔵を手に拳銃を持った悪漢の手下が何故撃たないのかは問うヤボのファンはいなかった。

長い解説が終わった頃合を見計らって進藤親分が又しても怒鳴る。

「殺(や)っちまえ!」

その一声が合図だ。

拳銃の乱射戦で入り乱れる。 ・・・が何故か悪漢の弾は一発も当たらない。 

窓ガラスは派手な音を出して割れるが。

ところが千恵蔵の拳銃は確実に敵を倒していく。

大方勝負がついた頃を見計らったようにパトカーのサイレンが鳴り、警官隊が現場に雪崩込み悪漢の残党を取り押さえる。

救出された令嬢が我に返って警部(何故かいつも間抜け)に尋ねる。

「あの方は?」

一同が辺りを見回すと既に「あの方」の姿はない。

警官の1人がわざとらしく叫ぶ。

「警部! ここにこんな手紙が!」 

さすがに手紙の内容までは憶えていない。

七つの顔の男は一枚の置手紙を残して何処(いずこ)へともなく去っていく。

去りゆく男の背中に「完」の文字。


この映画は全部で11シリーズあって第一作は終戦の翌年の1946年に作られている。

私が始めて見たこのシリーズは第四作目の「三十三の足跡」というタイトルだった。

制作年は1948年だから多分7歳のころ観たのだろうか。

結局1960年の11作目でこのシリーズは終わってしまい、千恵蔵も進藤親分も晴れて時代劇の世界に戻った。

千恵蔵と並ぶ時代劇のスターに市川右太衛門がいる。

真っ白に塗った顔、ド派手な衣装それに眉間の刀傷が売り物の「旗本退屈男シリーズ」も子どものころ良く観た。

やはり7歳前後に栄町にあった「沖縄劇場」で観た映画であの右太衛門が黒いソフトに黒背広そして拳銃を携えていたのを憶えている。

タイトルははっきり憶えていないが「海のジーメン?」とかいったようなタイトルだったような気がする。 

映画を観た後、ジーメンとはどういう意味か、と親にしつこく聞いた憶えがある。

こちらの方は七つの顔シリーズほど人気が無かったのか、右太衛門の拳銃を持つ姿を見たのはこの一作だけだった。

時代劇専門のスター千恵蔵や右太衛門が戦後の一時期、ちょん髷を黒のソフト帽子に代え、刀を拳銃に持ち替えたのには深い訳があった。

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昭和21年、日本占領中のGHQは、日本刀を振り回すチャンバラ時代劇は軍国主義を煽り立てる危険があるとして禁止の通達を出した。

学校の体育教科では剣道や弓道と言った武士道に関わるような教科も禁止された。

以後、連合軍の占領中は剣劇が製作できないことになり、時代劇スターを含む映画界は対応策を迫られた。

時代劇の大スター片岡千恵蔵のために現代活劇の構想が練られた。

試行錯誤と苦心の末、黒いソフト帽に黒い背広で決め二丁拳銃を構える名探偵「多羅尾伴内」を主人公とする『七つの顔シリーズ』の登場となる。

時代劇のチャンバラは拳銃による銃撃戦に置き換えられ、内容は毎回ワンパターンの千恵蔵が七変化をするミステリ活劇というものであった。

映画は大評判となり、大ヒットを記録して、以後はシリーズ化されることになった。

千恵蔵と並ぶ時代劇スターで旗本退屈男で有名な市川右絶太衛門(北大路欣也の父)も黒のソフトに黒背広で現代活劇映画に転進を求めたが成功しなかった。

まもなくGHQにも「チャンバラ映画禁止令」のバカバカしさが分かり解除されたが、「多羅尾伴内シリーズ」は千恵蔵の代表作となり時代劇に復活後もシリーズは続いた。

名探偵多羅尾伴内は瓢箪から駒で、マッカサーの判断ミスによって生まれたともいえる。

余談だが、マッカーサーのチャンバラ映画や剣道の禁止令を解除した後も「剣道は人殺しを教える武道だから学校では禁止すべき」と叫ぶ婦人団体がいた。
                    
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