新聞社が三日も立て続けに同じ事件を社説で取り上げる事は異例のことだろう。
長崎市長殺害事件を取るに足らない事件だとは思わないが、果たして天下の朝日が一昨日・昨日・今日と連続で社説に取り上げるほどの大事件だったのか。
一昨日(18日)の社説では「動機についてはまだはっきりしない。」としながらも
「昨年は小泉前首相の靖国神社参拝に反対した自民党元幹事長の加藤紘一衆院議員が、実家と事務所を右翼団体幹部に放火された。 」
と犯人は右翼の犯行といったニュアンス。
昨日(19日)の社説になると、もうどうにも止まらない。
「いまのところ、政治的、思想的な背景をうかがわせるものは出ていないようだ。」としながら、
「政治家や経済人、言論人を狙ったテロは戦前から枚挙にいとまがない。
戦後も、浅沼稲次郎・社会党委員長が刺殺され、中央公論社の社長宅が襲われ、お手伝いさんらが死傷した。右翼だけでなく、左翼の過激派によるテロもあった。
朝日新聞社も阪神支局が襲われ、記者が殺された。靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇発言を報じた日経新聞本社に火炎瓶が投げつけられた事件では、右翼活動家の男性が逮捕された。 」
・・と、すっかり犯人の動機は右翼のテロ気分で熱っぽくか語る。
おまけにあの加藤氏が社説に二日も連続で登場する。
流石に三日目の今朝の社説では我ながらあまりの「思い込み」に恥ずかしくなったの「訂正社説」でアリバイ作りをした。
題して、「暴力団をのさばらすな」?
三日連続にしては、当たり前すぎて突っ込むのもバカバカしい。
今頃やっと「事件の本質」がヤクザの「行政対象暴力」だと気が付いて「訂正社説」を書くとは、・・・
とんだ大恥晒しだ。
「ヤクザの暴力沙汰」とは海外メディアも当初から伝えていたことだ。
それが大朝日ともなるとサングラスの色が濃すぎてモノが見えなくなるらしい。
◆【訂正後の今朝の社説】
朝日新聞【社説】2007年4月20日
長崎市長殺害―暴力団をのさばらすな
4選をめざしていた伊藤一長・長崎市長を射殺したのは、地元の山口組系暴力団の幹部だった。
市の道路工事現場でくぼみに落ちた自分の車の補償や、知人の会社への公的融資について、市の対応に不満を募らせていた。幹部はそう供述している。
供述通りなら、市から金を引き出そうとして断られ、腹いせに市長を襲ったことになる。そこから浮かび上がるのは、税金でまかなわれる行政も資金源にしようとする暴力団のおぞましさだ。
暴力団は、正業を持たない反社会的な集団である。とばくや麻薬、繁華街のみかじめ料だけでなく、行政、企業、個人を問わず、様々な理由をつけて相手を脅す。そんな暴力団の凶暴さが今回の事件で改めて突きつけられた。
警察は暴力団の取り締まりを根本的に改める必要がある。暴力団に対し、あらゆる法律と罪名を適用し、犯罪行為を一切許さないという決意を示すべきだ。暴力団を追いつめるうえで法律が不十分だというのなら、改正すればいい。
自治体に難癖をつけて金を脅し取ろうという暴力団の動きは増えている。自治体から警察への相談は昨年、全国で2400件にのぼった。公共工事の情報や発注を要求された。物品の購入や寄付を求められた。それらが相談の内容だ。
不当な要求をはねつけるため、ほとんどの自治体が条例や要綱をつくり、警察との連携を強めている。暴力団の脅しに対しては、暴力団対策法に基づいて中止命令を出すことができる。警察はもっと積極的に中止命令を活用すべきだ。
大きな公共工事では、受注した企業が暴力団に金を渡す例が後を絶たない。暴力団の妨害や言いがかりを避けるためだ。こうしたことが暴力団をのさばらす原因の一つになっている。
このことは公共工事にとどまらない。企業はあらゆる活動で暴力団と縁を切らなければならない。ところが、警察庁の調査では、暴力団など反社会的組織と関係を断つという倫理規定を持つ企業は6割にとどまる。こんなことでは暴力団を壊滅に追い込むことはできない。
税務当局の役割も大きい。脱税をしていないか厳しく調べて、税金を取り立てるべきだ。それが資金面で締め上げることにつながる。
暴力団の武装化も見逃せない。今回の事件でも銃が使われた。最近、拳銃や自動小銃だけでなく、対戦車用重火器のロケットランチャーまでが押収されている。密輸ルートにもメスを入れ、暴力団から武器を取り上げてもらいたい。
暴力団員と準構成員は全国で8万5000人にのぼる。その半数近くが、今回の容疑者の属する山口組だ。警察庁は山口組を集中的に取り締まるべきだ。
暴力団を追いつめるには、国民一人ひとりの決意が要る。だが、そのためには、警察が脅された人たちを守り抜くことが何よりも欠かせない。
【訂正前の社説その2】
◆朝日新聞【社説】2007年04月19日(木曜日)付
―テロへの怒り共有しよう
暴力団の凶弾に倒れた伊藤一長・長崎市長が、帰らぬ人となった。
何とか一命をとりとめてもらいたいと願っていたが、かなわなかった。心から哀悼の意を表したい。
今回の事件が意味するものは何なのか。あらためて考えておきたい。
逮捕された山口組系暴力団幹部の男は、動機について市発注工事の現場での交通事故の補償をめぐる恨みなどを供述しているという。いまのところ、政治的、思想的な背景をうかがわせるものは出ていないようだ。
しかし、容疑者の挙げる動機がなんであれ、この凶行が民主主義に対するテロであることに変わりはない。
首長や議員は国民に選ばれ、その代表として行動する。そうした政治家が暴力にさらされ、自由に活動できないようでは、民主社会は成り立たない。
まして、今回は有権者に選択を問う選挙の真っ最中だった。核廃絶運動の強化などを公約した伊藤氏から政治活動の機会を奪い、伊藤氏を支持する有権者から選択肢を奪った。
民主主義の根幹である選挙を暴力で破壊する。その罪は、いくら批判しても批判しきれない。
伊藤氏は1995年、右翼に銃撃された本島等市長の5選を阻んで、初当選した。この保守政治家を反核の「平和市長」に育てたのは、被爆者や市民、市幹部らだった。伊藤氏を狙った凶弾は、結果として、そうした人々にも向けられたものであることを忘れてはならない。
政治家や経済人、言論人を狙ったテロは戦前から枚挙にいとまがない。
戦後も、浅沼稲次郎・社会党委員長が刺殺され、中央公論社の社長宅が襲われ、お手伝いさんらが死傷した。右翼だけでなく、左翼の過激派によるテロもあった。
朝日新聞社も阪神支局が襲われ、記者が殺された。靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇発言を報じた日経新聞本社に火炎瓶が投げつけられた事件では、右翼活動家の男性が逮捕された。
テロがなくならないからといって、絶望したり、ひるんだりしてはいけない。それは暴力で相手を黙らせ、社会に恐怖心を植えつけて、自らの主張を通そうとする勢力の思うつぼだからだ。
実家と事務所に放火された加藤紘一・元自民党幹事長は、今回の事件を聞いて「暴力で発言や行動をとめることがあってはならないという怒りをもっと強く共有しないと、こういう事件は続発する」と述べた。その通りだと思う。
その意味で、安倍首相の事件発生直後のコメントには首をかしげざるを得ない。「真相が究明されることを望む」というひとごとのような言葉からは、怒りが感じられなかったからだ。
政治家や経済人、言論人が先頭に立って、テロへの怒りを持ち、テロを追いつめる。それが今こそ求められている。
【訂正前の社説その1】
長崎市長銃撃―このテロを許さない
またも長崎市長が撃たれた。
この卑劣なテロを断じて許すことはできない。
選挙運動中の伊藤一長市長が選挙事務所のそばで銃撃され、重体となった。伊藤氏は被爆地ナガサキの市長として核廃絶運動の先頭に立ち続けてきた。
長崎市では17年前に、当時の本島等市長が右翼団体の男に銃撃されて重傷を負った。被爆地で繰り返される凶行に、強い怒りを覚える。
事件は午後8時前、JR長崎駅に近い繁華街で起きた。多くの市民が行き交う目前で、伊藤市長は待ち伏せていた男に背後から襲われた。
その場で逮捕された容疑者は、暴力団幹部だった。動機についてはまだはっきりしない。市発注工事に絡んで市との間にトラブルがあったとの情報もあるが、警察は全力を挙げて捜査し、背後関係を含めて解明しなければならない。
伊藤市長は22日投開票の同市長選に4選を目指して立候補していた。警察の警備に落ち度はなかったのか。それも検証が必要だ。
伊藤市長は95年には国際司法裁判所の法廷で証人として立ち、「核兵器使用が国際法に違反していることは明らかであります」と世界に訴えた。核保有国の核実験には抗議を重ねた。
北朝鮮の核実験に関し、日本国内で自民党幹部から核保有論議の容認発言が出ると、「看過できない」として非核三原則堅持と外交での解決を求めた。
容疑者の動機がなんであれ、反核運動が萎縮(いしゅく)するのではないかと心配だ。反核運動に携わる人々はひるむことなく、発言を続けることが、伊藤市長への激励となる。
17年前の銃撃事件では、その1年ほど前、本島市長が市議会で「天皇の戦争責任はあると思う」と答弁していた。その後、市役所に銃弾が撃ち込まれるなど、不穏な動きが続いた。
首長や議員を狙った事件としては、11年前、産廃処分場建設に待ったをかけた岐阜県御嵩町長が襲われて重傷を負ったことが思い出される。昨年は小泉前首相の靖国神社参拝に反対した自民党元幹事長の加藤紘一衆院議員が、実家と事務所を右翼団体幹部に放火された。
相手が言うことをきかないからといって、暴力で封殺するようなことがまかり通れば、言論の自由が封じ込められた結果、国の針路を誤った戦前の暗い時代に後戻りすることになりかねない。
この数年、国内の発砲事件や短銃の押収は減る傾向にある。しかし、今回の事件を機に、改めて銃の取り締まりに全力を挙げてもらいたい。
今回の事件は選挙運動の最中だった。これで候補者がものを言うのをためらうようなことがあってはならない。
テロに屈しない道は、多くの人たちが声をあげることをやめないことだ。そのことをいま一度確認しておきたい。