週のはじめに考える 分断されるユーラシア
欧米の自由民主主義か、中国、ロシアの国家主義か-。価値観の違う両陣営がユーラシア大陸を舞台に勢力争いを繰り広げています。日本もこれに「参戦」です。
「あの演説は反ロシア的だ」
「それは誤解だ」
モスクワで一月に行われた外務次官級による日ロ戦略対話で、ロシアは麻生太郎外相が昨年十一月に行った外交方針演説にかみつきました。
「自由と繁栄の弧」
その演説は、題して「自由と繁栄の弧をつくる」。外相は自由と民主主義、人権という「普遍的な価値」を重視する「価値の外交」を、日米同盟などに加えて日本外交の新しい機軸に位置付けると表明しました。
その実践として、東アジアから中央アジア、カフカス、バルトなど、冷戦後にユーラシア大陸の外周に現れた新興の民主国家を「帯のようにつなぎ、『自由と繁栄の弧』をつくらねばならない」と力説しました。
同時に、米国はもちろん、北大西洋条約機構(NATO)、オーストラリアといった同じ価値を共有する陣営内の結束強化を主張しました。
この演説にロシアが反発したのは、地理的にみて、「自由と繁栄の弧」は価値観の異なるロシアや中国に対する包囲網ではないか、と受け止めたからです。
そればかりか、麻生外相が「自由と繁栄の弧」の対象国家として、ウクライナ、グルジアなど独立国家共同体(CIS)諸国の名を具体的に挙げたことも、ロシアの神経を逆なでしました。「おれの縄張りに手を出すつもりか」というわけです。
安倍政権は麻生演説のシナリオ通りに外交を進めています。安倍晋三首相は年明けに訪れたNATO本部で演説し、日本とNATOが「別々に行動するような無駄は許されない」と訴えました。
首相は三月には、来日したハワード豪首相と「安全保障協力に関する共同宣言」に署名しました。安全保障分野で包括的な協力関係を構築するのは米国に次いで二カ国目です。
日豪両首脳は「共同宣言は中国に敵対するものではない」と口をそろえますが、中国が警戒しないわけにはいきません。
一方、ユーラシア大陸の西側では、NATOの東方拡大が進んでCIS諸国の加盟まで取りざたされ、ロシアは勢力圏を侵食される思いでいます。
現代版陣取りゲーム
もっとも、ロシアも黙ってはいません。
プーチン大統領は二月、ミュンヘンで開かれた安全保障問題の国際会議で演説し、NATOの東方拡大について「ベルリンの壁の破片は土産物になったのに、この大陸を分断する新たな壁が押しつけられようとしている」とけん制しました。
大統領は米国の単独主義にも触れ「人類の新たな悲劇を生み、緊張の火種になっている」「われわれに民主主義を教えようとする国は、なぜか自分ではそれを学びたくないようだ」と厳しく批判しました。
プーチン大統領は演説の翌日には中東に飛び、サウジアラビアやカタールといった親米国を訪問。米国の勢力圏にくさびを打ち込んだかと思えば、三月下旬、訪ロした中国の胡錦濤国家主席と会談し、両国の蜜月関係を誇示しました。
十九世紀にアフガニスタンの覇権をめぐって英国とロシアが繰り広げた「グレートゲーム」。今はユーラシア大陸をチェス盤に見立てた壮大な陣取りゲームが進行中です。
ロシア大統領のミュンヘン演説は、かつてない激しい対米批判だったことから、「新たな冷戦の始まりか」と、国際社会にセンセーションを巻き起こしました。
しかし、今は経済的にも相互依存関係は深まり、決定的な対立にエスカレートする展開は考えにくいでしょう。
それでも、両者の隔たりは、埋めがたいほどに大きいのです。
冷戦時代のようなイデオロギー対立というより、むしろ文化的、歴史的な違いです。
ロシア大統領が指摘するように、ユーラシア大陸には高い壁ができつつあります。
米国がイラク情勢の泥沼から抜け出せないうちに、米一極支配時代はたそがれて、世界は多極化時代に移りつつあります。それだけに両陣営の綱引きは激しくなるでしょう。
外交は懐を深くして
「自由と繁栄の弧」を形成するという外交は、「主張する外交」を掲げる安倍政権らしく、気負った外交姿勢です。
半面、民主主義の伝道師を自任する米国の尻馬に乗った印象はぬぐえません。
旗幟(きし)を鮮明にすることが一概に悪いとは言いませんが、“敵、味方”を単純に線引きし、外交を無造作に進めてもらっては困ります。多極化時代になればなるほど、巧みな手綱さばきが必要になります。
底の浅い理念外交を進めたブッシュ米政権の失敗を、他山の石にすべきです。安倍政権には懐の深い外交を心掛けてもらいたいものです。(東京新聞 2007年4月8日)
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2005年5月9日、第二次大戦の戦勝国と敗戦国の各国首脳が赤の広場に集まった。
プーチン・ロシア大統領が主催する「対独戦勝60周年記念式典」に参列するため各国首脳が馳せ参じたのだ。
「悪に対する正義の勝利、圧政に対する自由の勝利」を60周年を記念して共に祝おうと言うのが式典の趣旨だとプーチンは胸を張る。
赤の広場での軍事パレードで各国首脳を威圧しながら、プーチンは誇らしげに吼えた。
「邪悪なナチ・ヒットラーの圧政からドイツ国民を解放したのはソ連だ!」
確かにベルリン陥落に一番乗りしたのはジューコフ将軍率いるソ連軍だった。
アイゼンハウワーは一歩遅れを取った。
プーチンにとって一番乗りが重要だった。
プーチンの歴史認識ではソ連は邪悪な枢軸国を打ち破り、その国民を圧政から解放し、自由をもたらした解放者なのだ。
ドイツはプーチンの歴史認識に擦り寄った。
ドイツは自国が過去に犯した忌まわしい歴史の清算に知恵を巡らした。
稀代の悪役ヒットラーとナチの一味にその忌まわしい歴史の全てをを封じ込め、自分たち国民は被害者を装った。
しかしナチ・ヒットラーを熱狂的に支持し選挙で選んだのは紛れも無くドイツ国民だった。
表面では謝罪を繰り返しながら、あくまでナチの代理であるとして戦勝国から突きつけられた「人道に対する罪」という原罪からは免れた。
彼らはソ連によってヒットラー・ナチから解放された“被害”国民なのだ。
大戦の戦勝国と敗戦国である独露の歴史認識は一致し、ここに両国の歴史的和解は成立した。
ロシアはドイツの国連常任理事国入り支持を確約した。
小泉首相は敗戦国首相としてセレモニーに参列し、戦勝国に恭順の意を示した。
ヨーロッパを彷徨うスターリンの亡霊
大戦終結の年の2月、ウクライナ黒海沿岸の保養地ヤルタの古城に三人の連合国指導者が集まった。
「戦後処理」と言えば聞こえが良いが、実は三匹の肉食獣による獲物の分捕り合戦だった。
スターリンは対独戦終結後、バルト三国を始めとするヨーロッパを傘下に治める確約を獲得した。
東アジアでは必死で抵抗する日本にてこずるアメリカの要請を受けて対日参戦を約束した。
スターリンにとって「日ソ中立条約」などは唯の紙切れに過ぎなかった。
スターリンは敗戦間際の日本に喧嘩を売り、火事場泥棒的に南樺太等の北方領土略奪した。
プーチンの誇らしげなセレモニーにバルト三国とフィンランドからクレームがついた。
彼らにとって旧ソ連はプーチンの言う解放者ではなかった。
侵略者であり、圧政の暴君だった。
彼らは式典への出席を拒否し、謝罪を要求した。
プーチンは当然のごとくこれを拒否した。
「過去の事は二度と話題にしたくない。」
ヤルタに集まったルーズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭が会談する銅像をロシアの著明な彫刻家が作った。
しかしスターリンの恐怖の残滓におびえるロシア人は銅像の設置をいたる所で拒否した。
三人の銅像は今身の置き場所を求めて北ヨーロッパを彷徨っている。
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◆【ウィキペディアによるグレート・ゲームの解説】
グレート・ゲーム(英語:The Great Game)は、中央アジアの覇権を巡る大英帝国とロシア帝国の敵対関係と戦略的抗争を指す。
グレート・ゲーム再び
第二次世界大戦終結と冷戦開始と共にアメリカ合衆国がイギリスに取って代わったこの時期は時に評論家から「新グレート・ゲーム」と呼ばれていて、インド、パキスタン、アフガニスタン、更に最近では嘗てソ連領だった中央アジアにとっては「グレート・ゲーム」に対する軍事、安全保障、外交上の共同体に関連がある。1997年、ズビグネフ・ブレジンスキーは21世紀版のグレート・ゲームを主張する「The Grand Chessboard: American Primacy and Its Geostrategic Imperatives」を出版した。大衆メディアはアフガニスタンの多国籍軍とターリバーンとの戦いを、グレート・ゲームが続いていると見ている。