一昨日は地元テレビの弁当屋さん特集の話で始まりながら、脱線して消え行くラーメン屋の話で終わってしまった。
そう、国道沿いののオフィス街で白熱する弁当戦争の話の予定だった。
国道58号と那覇商業高校通りと県庁へ至る道が交差する日本生命ビルの前付近に、昼頃ともなると多くの弁当屋さんが路上店舗を開く。
近くに琉球リースビルや安田生命ビル等の大きなビルが連立しているのでそこに勤めるサラリーマン目当てだろう。
正に門前市をなす弁当屋さんの有様は馴染みの風景になっている。
その弁当市を通って近くにある「ホテル・サン沖縄」に昼食に行った事が何度かあった。
「ホテル・サン沖縄」は友人が社長をしておりランチの評判がよい。
◆サン沖縄・ランチメニューhttp://www.hotel-sunokinawa.co.jp/
因みに一番安い「ひさご弁当・840円」でも天麩羅、煮物、ザルそば、味噌汁、御飯それにサラダバーがあって野菜サラダとドリンクは食べ放題。 デザートまで付いているので連日大盛況で傍目に行かないと中々席を確保出来ない。
おっと弁当屋さんの話だった。
弁当街を通り抜ける時、大抵の弁当屋は若い男女スタッフで威勢良く客に声をかけてくる。
12時前後にもなると男女の勤め人が声につられて弁当屋に群がる。 客も若い。
そんな中で一人のオジさんがやっている弁当屋は通るたびに閑古鳥が鳴いていた。
隣の若者の弁当屋は行列ができるほどの大繁盛なのに。
私を見ると他の若い客には目もくれず「同世代よ、お願い買って!」といった思いつめた視線で私の目を凝視する。
ホテルのレストランに会食に行く私が弁当を買うはずはないのを知らないで。
無言で初老の弁当屋の「訴える眸」から目を逸らしその前を無情に通り過ぎる。
顔は無表情でも心の中で泣いていた。
≪許せ!ご同輩。 今は貴殿の弁当を買う事は出来ない。 近くのホテルのレストランに会食に行く途中なのだ。≫
そして私は密かに心で誓った。
≪次に車で通るときは必ず貴殿の弁当を買おう。例え隣が若くて美人の弁当屋でも・・≫
その後ご同輩から弁当を買う機会の無いままに病気で倒れてしまった。
あのオジサン弁当屋さんは未だがんばっているのだろうか。
夕方、友人との会食に参加するとき、その「現場」を車で通り左折する。
そこに昼間の賑わいは無いが、そこを通る度に想いだす。
あのご同輩の訴えるような眸を。
◇
どの商売でも競争は厳しいが特に弁当屋は競争の激しい商売である。
日生ビルの弁当市界隈をだけでも神元ビル一階にはコンビニ・ホットスパがあり其処では「コンビニ弁当」が覇を競っている。
目を近くの那覇商業高校界隈に転ずると学生相手の200円台の弁当がマチヤーグァー等に置いてある。
OTV(沖縄テレビ)の裏通りも弁当屋がひしめき合っているし、一寸パレットクモジ地下まで足を伸ばせば弁当はもう博覧会の域に達している。
それに沖縄で最も成功している外食産業と言われる「ほっかほか亭」のホカ弁が参戦する。
これら互いにシノギを削る弁当軍団に待ったをかける食堂、レストランの「日替わりランチ軍団」がある。
中には日替わりを出しながら弁当を売っている食堂もあるほどだ。
それに勝負は12時を挟んだ1-2時間、弁当業界はかほどに競争が激しいのである。
▼弁当を和英辞書で引いてみたら「ピクニックランチ」または「ボックスランチ」と、実に味も素っ気もない。
日本の弁当は250円の学生弁当から数千円の幕の内弁当とバラエテイに富んでいる。
これが駅弁ともなると食文化の一分野を占めるほど。
もはや旅行中の止むを得ない食事とはいえない。
たっぷり食事の時間が有っても敢えて列車の中で駅弁を食べるのに喜びを見出す駅弁マニアも多い。
いや駅弁を買って帰り家出食べるのを楽しみにしている人もいるくらいだ。
鈍行に乗ってノンビリ旅をしてその土地の名物駅弁を肴に缶ビールを飲む・・・こんな時間を気にしない旅は憧れだ。
缶ビールの他にスルメと推理小説があれば完璧だ。
▼以下しつこく弁当の語源を検索した結果。
主なものを取り出すと戦国武将が部下に携帯食を「当に弁する」つまり人数に応じて割り当てたことに由来すると言う。
又広辞苑の解説によると、「メンツウ(面樋)の転じたものとも便利なもの(便当)の意ともいう」。
ここで怯まずに更に面樋を引いてみると「1人前ずつ飯を盛って配る曲物(まげもの)」とある。
さらに「曲物=綰物(わげもの)」とあり「檜・杉などの薄く削り取った材を円形に曲げ、合せ目を樺・桜の皮などで綴じて作った容器。檜物(ひもの)」とのこと。