狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

幽霊の正体見たり枯れ尾花 【恐怖画像】あり!

2007-04-22 13:42:50 | 歴史

 大きな川は水辺ではよどんでいるかのようです。そこから離れて高台から眺めると流れがわかります。「時代の流れ」も歴史の大河から学び取る姿勢が大切です。 「戦前の日本の転換点は満州事変から昭和十年前後。国の“かたち”が戦時体制になりました。現在の日本も状況が似て…(4月22日 紙面から) [→記事全文へ]

 

(東京新聞一部抜粋)

戦前」とよく似ている
 一番目は、教育の国家統制です。昭和八年に教科書が変わり、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」など忠君愛国が強調されました。

 <今は、「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正です>

 二番目は、情報の国家統制です。昭和八年に新聞法の強化、出版法の改正があり、マスコミの自主規制も激しくなりました。

 <今は、通信傍受法や個人情報保護法です>

 三番目は、言論規制の強化。特高警察が昭和七年に設置され、大本教など宗教団体にも弾圧が広がりました。大防空演習を批判した信濃毎日新聞の桐生悠々が迫害され、作家の小林多喜二が拷問死しました。

 <今は、共謀罪への動き、そして憲法改正への歩みです>

 四番目は、テロです。昭和七年に起きた犬養毅首相暗殺の五・一五事件をはじめ、政財界要人の暗殺、暗殺未遂事件が相次ぎました。

 <今は、靖国問題絡みでの日本経済新聞社への火炎瓶投入、加藤紘一・自民党元幹事長の実家放火、そして伊藤一長・長崎市長射殺です

 政治家や論壇、民衆レベルのナショナリズム鼓舞も共通です。昨今では曰(いわ)く、「日本に自信と誇りを持て」「自虐的な歴史観はいけない」。

 こうして並べてみると、確かに類似点が見いだせます。

 異を唱える声も予想されます。当時と今では政治、経済、国際的な状況がまるで違うのに、こじつけで戦争への不安をかき立てるのは強引すぎる、といった反論です。

 (後略)

                  ◇

半藤一利氏の歴史観の補足と称して、

東京新聞は次のように戦前と最近の類似点を述べる。

その一 
(戦前
)・教育の国家統制=(現在)・教育基本法改正

その二
(戦前)情報の国家統制=(現在)・通信傍受法や個人情報保護法

その三
(戦前)
言論規制の強化=(現在)・憲法改正

その四
(戦前)・テロ・犬養毅首相暗殺の五・一五事件をはじめ、政財界要人の暗殺 =

(戦後)・テロ・加藤紘一・自民党元幹事長の実家放火、そして伊藤一長・長崎市長射殺です

 

いやぁー、東京新聞はどうしても犬養毅首相の暗殺と伊藤市長の射殺を同じ次元で論じなければ納得出来ないのでしょう。

長崎市長射殺事件は、行政に対する強請りタカリと言う意味では、奈良市の絡み事件と同じである。

奈良市病欠職員逮捕! 日本の闇にメスを

結局、「その一」から「その四」まで無理やりこじつけて、

現在は軍靴の響きの聞こえる時代といいたいのでしょう。

そのうちキナクサイ臭いもして来るのでは?

≪幽霊の正体見たり枯れ尾花≫

 

                

昔の幽霊は何故か柳の下に立ったり、障子に影をうつしたりで中々風情があった。
 
だが幽霊や物の怪も最近ではテレビの画面に棲みつくようになったようだ。
 
ところがテレビにはこんな幽霊も棲みついていた。
 ↓
 
 
ネットの普及とともに一方では、ネット上を彷徨うよう幽霊もいる。
 
ネット上で遭遇した世にも恐ろしい画像!
 
見た瞬間、目が飛び出してしまい夢にまで出てくるという。
 
15歳以下と、それに気の弱い人が深夜一人で見るのは要注意である。
 
 
【怪奇】目の玉の飛び出す恐怖画像!↓
 
 
                    *
 
【恐怖画像】パートⅡ
 
【怪奇】見ると勝手に首が曲がってしまう画像
 
上記程度の画像で恐怖なんてチャラチャラおかしいという方、
大変失礼しました。
 
そうですね、飛び出した目玉なんて面白くもなんともないですね。
 
つかんで元に押し込んでしまえばそれで済むこと。
 
その点、次の画像は恐怖の一言では済まされない恐ろしい画像。
 
恐怖だけではなく、見た瞬間見た者の首を勝手に曲げてしまうという。
 

体験を、ありのままに話すと・・・

画像が表示されたと瞬間・・・いつのまにか首が

左に曲がっていた
』   

呪いだとか 怨霊の仕業だとか、そんなチャチなもの

とかじゃない!

もっと恐ろしい物の怪の片鱗を味わった。



問題の画像(15歳未満閲覧禁止・脳に異常を起こす可能性があるため閲覧注意)

*本当に首が曲る可能性があるので首を寝違えている人は注意!


禍根を残す「安倍談話」 慰安婦問題で「責任」明言

2007-04-22 10:41:08 | 従軍慰安婦


安倍首相、慰安婦問題で「責任」明言=米メディアに、批判沈静化狙う(4/21時事)
 安倍晋三首相は26日からの初訪米を控え、米ニューズウィーク誌とウォール・ストリート・ジャーナル紙のインタビューに応じた。首相は従軍慰安婦問題について「当時の慰安婦の方々に心から同情するし、日本の首相として大変申し訳ない」と改めて謝罪。「歴史に常に謙虚でなければならない。慰安婦として存在しなければならなかった状況について、われわれは責任があると考えている」と述べ、軍の関与を含め日本側に責任があるとの認識を表明した。
 首相はこれまで、慰安婦問題を謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を政権として継承する立場を繰り返し強調。今年3月には元慰安婦へのおわびも表明したが、日本の「責任」を明言したのは初めて。人権問題に敏感な米国で「狭義の強制性」を否定した首相らの言動が反発を招いたことから、訪米を前に沈静化を図る狙いがある。

                                            ◇

安倍首相は「靖国参拝に行くとも行かないとも云わない」と言うあいまい作戦で中国訪問を成功させた。

だが、今回の訪米前の米メディアとのインタビューでは得意の“あいまい”を敢えて明確にしてしまった。

首相就任早々「河野談話を受け継ぐ」といったボタンの掛け違いのツケを訪米前にアメリカの代表的メディアに払わされた形となったわけ。

河野談話を受け継ぐと云った以上仕方がないとも云えるが、何も内心では認めていないはずの「河野談話」の内容にまで踏み込んでまで日本の「責任」を明言する必要はあったのか。

得意のあいまい戦術は忘れてしまったのか。

 

全ての禍は「河野談話」を受け継ぐと云ってしまったことに始まる。

ニューズウィークの次の首相の文言は今後更なる大きな禍根となる事が予想される。

(河野談話を受け継ぐと再確認した後)We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.

「慰安婦に苦痛や困難を強制した」って事は慰安婦の強制連行を認めた事であり、そのまま「性奴隷狩り」という忌まわしいレッテル貼りに繋がってしまう。

主語はちゃんと「我々」となっているし、責任の言葉まで言質を取られてしまっている。

過去に何度も謝ってきてはいるが、責任という言葉の言質を取られたのはまずかった。

今後の対応を誤ると、「村山談話」「河野談話」そして「安倍談話」と日本の名誉を貶める「負の談話」ともなりかねない。

この負のスパイラルを断ち切るにはやはり「河野談話」の廃棄、そして「新・安倍談話」を発表すべきだろう。

「河野談話」の破棄を叫び続ける桜井よしこ女史の論文を借りると次のようになる。

「日本を貶め続ける『河野談話』という悪霊」を破り捨てよ!(「WILL」 5月号〉



ニューズウィーク記事

'We Bear Responsibility' Japan's prime minister on Iran, China and 'comfort women.'(NEWSWEEK)
As you know, your comments on "comfort women" caused an outcry in the United States. Do you really believe the Imperial Army had no program to force Korean, Chinese and other women to provide sexual services to Japanese soldiers?
I have to express sympathy from the bottom of my heart to those people who were taken as wartime comfort women. As a human being I would like to express my sympathies, and also as prime minister of Japan I need to apologize to them. The 20th century was a century in which human rights were infringed upon in numerous parts of the world, and Japan also bears responsibility in that regard. I believe that we have to look at our own history with humility, and we always have to think about our responsibility.
Do you now believe that the Imperial Army forced these women into this situation?
With regards to the wartime comfort-women issue, my administration has been saying all along that we continue to stand by the Kono Statement [a 1993 acknowledgment of Japan's partial responsibility for the brothels]. We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.(一部抜粋)

                      ◇

We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.

under the circumstances at the time.で「当時の状況の下で(は仕方なかった)」といったニュアンスを残したとしても、

「困難や苦痛を強制的に体験させた(go through )」となると

当然、責任(responsible for )の言葉が重大な意味を持つ。

次はこれを言質として韓国側は、必ず「賠償しろ!」と言ってくる。

 

 


ビーチパーリィ

2007-04-22 07:26:15 | 食文化

我が家の愛読紙(何時もボロクソに言っているが)琉球新報朝刊一面の下段のコラム欄の下辺りに書籍の広告が良く載る。

1コマ当たりのスペースが縦長なので書籍のタイトルも縦に表示してある。

昨日の広告にあった、「ビーチパーリィ」(勿論縦表示)という本のタイトルを見ておや?と思った人もいただろう。

一瞬「ビー・チパーリィ」と読んでしまったがサブタイトルの「やんばるのキャンプ・海水浴・潮干狩りの穴場」を見てレジャー案内書だと分った。(フィッシング沖縄社刊)

「ビーチパーリィ」は勿論「ビーチパーティー」の事。

沖縄が日本復帰する前、米人が教えた海岸のレジャーで発音もそのまま受け継いだ。 同じような例でアイスワラ(アイスウォーター)等がある。

ところでウチナンチュなら「ビーチパーティー」といえば鉄板と木炭を海岸に持ち込んでビーフ、野菜等を鉄板で焼く「バーベキューパーティ」を連想する。

テレビを見ていて、これはウチナンチュだけの思い込みで他県の人は「ビーチパーティー」と「バーベキューパーティー」とは必ずしも一致しないことを知らされた。

                   ◇

二年前,タモリの「笑っていいとも」に沖縄出身のお笑いコンビ「ガレージセール」が次のようなゲームをしていた。

ゲストが5人ほど並んで座り、ある言葉を出題される。

それに言葉をつなげて良くある言葉を作るという嗜好。 

お題は「ビーチ」で、これのつく言葉をゲスト次々言った。

コンビの1人(川田)が「ビーチ・パーティー」と言った時、居合わせたゲスト全員からブーイングが出た。

「エー? そんな言葉は無~い!」

彼らは皆揃って「ビーチ・パーティー」という言葉を知らなかった。

他のゲストの答えは確か、「ビーチサンダル」とか「ビーチパラソル」のような言葉だったと記憶する。

なるほどウチナンチュにとっては当たり前の「ビーチパーティー」も、ヤマトンチュにとっては、

「何でわざわざ、ビーチでパーティーするの?」

ということになる。

海浜でわざわざ宴会というイメージか。

ガレッジセールの二人が懸命にバーベキュー等を例に出して説明しても誰も「ビーチ・パーティ」のイメージは理解できないようだった。

ウチナーンチュのイメージでは砂浜でバーベキューをしながら飲んだり食ったりでどんちゃん騒ぎというイメージだろう。

バーベキューとは普通鉄串に刺したピーマン、玉ねぎ、ソーセージであり、間に牛肉が挟まっているもの。

このバーべキューパーティのイメージが湧かないらしい。

しかもこのパーティは必ずしもビーチとは結び付かない。

戦後、牛肉を自由に食べだしたのはそんなに昔のことではない。

国内畜産業を守る高関税の為、牛肉は贅沢品であり庶民には高値の華だった。

ステーキやハンバーグを食べる機会は年に数回もなかった。

復帰前の沖縄では輸入肉が安くで手に入った。

有名な「ジャッキー」を初めとする安い大衆ステーキハウスが当時の観光客の目玉だった。

冷凍にしたステーキ肉は知る人ぞ知る沖縄土産であった。

ウチナーンチュは気軽にゴムぞうりを引っ掛けたニーセー達が昼食にステーキを食べ,時にはAランチを奮発した。

当然のようにビーチに行く時はバーベキューが付き物だった。

バーベキューとは云っても鉄板焼きの分厚いビーフステーキだ。

ビーチパーティではそれを一人で何枚も食べた。

            ◇

東京の新橋はオジサン達の悲しい溜まり場である。

かつてステーキやすき焼きには手の出ないオジサン達が牛肉の香りを求めて新橋名物「牛丼」に群がった。

アメリカのステーキ肉から削り取った脂身と余分な部分の「端肉」を利用した牛ドンはオジサマ族の圧倒的支持を得た。

牛丼は廃物利用のシロモノである。

値段の安いのが売り物だ。

しかし日本人独特の凝り性で味にも工夫がされた。

玉ねぎと醤油、砂糖の独特のブレンドはやがて若者の嗜好を捕らえた。

やがて居酒屋と同じく牛ドン屋も若者達がオジサン族の憩いの場所を奪い取っていった。

復帰前、一時沖縄でも牛丼屋が数軒開業したことがある。

当時の価格ではステーキと牛丼の価格はほとんど変わらなかった。

1年も経たずに牛丼屋は全滅した。

ステーキハウスと端肉の牛丼屋の価格が同じでは勝負は最初から見えていた。

テレビ番組で「ビーチパーティー」がブーイングされるのを見て、

「ビーチパーティー」は、アメリカが残した沖縄独特の習慣だと悟った。

そう、「ビーチパーリィ」はウチナービケーン。

 

蛇足1:「ニーセー」 ⇒ 二歳⇒ 青二歳⇒ 青年

蛇足2:Aランチ⇒A、B、Cの各ランチセットの中で最上級のランチ(とんかつ、ハンバーグ、チキンフライにステーキまで付いている場合も有った)

蛇足3:ウチナービケーン⇒ 沖縄ばかり ⇒沖縄独特

蛇足4:ビーチパーティーを楽しむ http://www.tai-ga.co.jp/johositu/kanko/source/umi/beachjyoho1.html