【埼玉】「集団自決」(強制集団死)における隊長命令をめぐって争われている訴訟や教科書検定問題について考える集会(埼玉弁護士会主催)が5日夜、さいたま市のさいたま共済会館であった。渡嘉敷島の「集団自決」を生き延びた金城重明さん(沖縄キリスト教短大名誉教授)が講演し、昨年9月に那覇地裁で行われた所在尋問(出張法廷)で証言した際に原告側弁護士の尋問で厳しく追及されたと述べ、「法廷後の数週間は悩むどころではなかった」と苦しい心境を明かした。
自らの体験を語りながら金城さんは「軍官民共生共死一体化」という日本軍の方針が住民を精神的に追い込んだと強調。「軍隊なしに集団自決は起こり得なかった。命令がなかったという意見があること自体おかしい」と述べた。(略)
(2/6 16:07)
弟の重明氏は戦後島を出て本島に在住し「集団自決」の語り部として地元マスコミは勿論本土大手新聞でも再三登場し、証言を綴った著書もある有名人である。
その男は手りゅう弾を二個ずつ呉れたが、彼が兵器係であったことは 後で知った。
自分達兄弟には手りゅう弾はなかった。
3時過ぎ村長が「天皇陛下万歳」を叫び、次々「集団自決」が始まった。
「生き残ることへの恐怖」が自決を加速させた。
木の枝で作った木の棒で肉親に自ら手を下す、・・・それは家族への愛であった。
このまま死ぬより1人でも敵を倒して死のうと切り込みに向かう途中、日本兵に遭遇し島がまだ玉砕していないと知った。
番組では語られなかったがその後二人は日本軍の陣地で数日過ごすことになる。
◇
重栄氏の顔が画面アップで「木の棒で肉親を手にかける」と言った時、一瞬表情がこわばって重栄氏の言葉が止まった。
その時彼の脳裏には肉親を自分の手にかけた地獄絵のほかにもう一つの地獄絵が思い浮んだと想像する。
重栄、重明兄弟は肉親の他に他人も手にかけていたのだ。
しかもそのうちの数人は生き残って島で生活している。
兄弟にとってこれ以上の地獄が他にあろうか。
弟の重明氏が戦後島を出て宗教の道に入った心境も理解できる。
だが、肉親どころか他人まで自分が手にかけた重明氏は自分達の取った行動を自責の念で「家族への愛だった」と弁明する。
その一方、責任転嫁で「軍の強制だった」と言い続けなければ生きてはいけなかった。
「集団自決」とは何だったのか。
追い詰められた末の、閉鎖空間における極限的な状況が生み出した「狂気」のなせる業であり、その「狂気」は元々人間の内部に潜む。
この解明には歴史家はもとより心理学者の検証研究が不可欠と考える。
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特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
(略)
修羅場と化した西山盆地
それからウシたち親子四人は、なんとか生きようと思い、谷間のほうへ下りて行った。
◇
以下は金城氏証言「集団自決は家族への愛」よりの抜粋です。
金城氏「軍命出た」 岩波「集団自決」訴訟
渡嘉敷島で「集団自決」を体験し、生き延びた金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)が岩波側の証人として出廷。「(島に駐留していた)赤松嘉次隊長が指揮する軍の命令なしに『集団自決』は起こり得なかった」として、日本軍の強制を証言した。
(略)
当時16歳だった金城さんも母と妹、弟を手にかけた。 軍の命令で陣地近くに集められていた金城さんら住民の下に軍の自決命令が出たようだとの話が伝わり、村長の「天皇陛下万歳」の号令で「集団自決」を始めたと具体的に証言した。
「『天皇―』は玉砕の掛け声。村長が独断で自決を命じるなどあり得ず、軍命が出たということ」とし「集団自決」の直接の引き金に軍の強制があったと明言した。
金城さんは家族を手にかけた時の気持ちについて、「米軍が上陸し、(惨殺されるかもしれないという思いで)生きていることが非常な恐怖で、愛するがゆえに殺した」と語った。
(略) 原告代理人は会見で「村長が自決命令を出すはずはなく、軍命だったという金城氏の証言は推論にすぎない」などとして「金城氏は集団自決の隊長命令を語る証人として資格がないことがはっきりした」と述べた。
(琉球新報 9/11 9:38)
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■軍命令はすべて推論■
軍命令をにおわす証言については、金城氏はこれまでいろんな場面で証言しており、それが62年も経った今頃になって新しい証言が出たらかえって信憑性を疑われるだろう。
ただ、新しいといえば吉川勇助氏の証言を法廷で自分の証言の「軍命令あり」の推論の補強に使ったぐらいだろう。
結局、金城証言のどこを見ても「軍命があった」という「体験者」としての証言は無い。
琉球新報が「軍命あり」と断定する部分は次の点だろう。
①村長が音頭を取った「天皇陛下万歳」とは玉砕の掛け声。 村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
②村長が「天皇陛下万歳」唱える前、軍の陣地から伝令の防衛隊員が来て、村長の耳元で何かを伝えたとの事だが、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
③軍から手りゅう弾が配られた。
>村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
「Aが○○をすることはあり得ないから、Bがやったに違いない」。
これは原告弁護団がいみじくも言うように金城氏の「推論」である。
■伝聞の又伝聞■
>村長の耳元で何かを伝えたとの事だが、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
結局金城氏は軍の命令を直接聞いていないが、他人の伝聞、それも「耳打ちしたのを見た」であり、耳内の内容を聞いたわけでも無い伝聞のその又伝聞を自分の「推論」の補強にしているに過ぎない。
おまけにその耳内を目撃した吉川勇助氏の証言によると、耳打ちの最中にすさまじい迫撃砲や艦砲射撃の爆発音も聞いている。
その伝聞の伝聞さえ爆音で消されているのである。
≪不意に軍の陣地方向から現れた防衛隊員が、村長に何かを耳打ちしているのに気付いた。迫撃砲や艦砲射撃のすさまじい音と爆発の音、防衛隊員が村長に何を伝えたか、勇助の所までは聞こえない。≫。(9)防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」
このような状況での「耳打ち」を目撃した吉川証言に頼らざるを得ないほど金城氏は「隊長軍命令」を語るには不適格なのである。
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