狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

座間味・集団自決に決定的証言!

2008-02-23 06:21:26 | ★集団自決

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今朝の琉球新報の一面トップも相も変わらず「米兵事件」関連。

ウンザリするが、昨日も書いたように、こうなったらコンくらべで当日記も負けずに・・・と思ったら「雑感だらけ」さんからTB頂いて、

昨夜遅く「集団自決」に関するビッグニュースが入ったと知って急きょ予定変更して座間味村に関する証言  です。

                     *

沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定す…(02/2223:15)    
  沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3~6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
 
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
 そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
 これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
 村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
 同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
 宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
 その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
 宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
 宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。

                       ◇

>・・・自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
 これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。


来月28日の大阪地裁の判決には提出証拠としては間に合わなかったが、裁判官の心証に与える証拠としては決定的だろう。

宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。

「軍命あり派」の証言が、「耳打ちするのを聞いた」とか間接的な伝聞と推定だけなのに対して、

当時15歳の宮平さんの証言は本人自身が直接「見て」「聞いた」これほど確かな証言はない。
 

 ■地元紙が黙殺した40名の現地調査団■

沖縄のマスコミが自分に都合の悪い事は「不都合な真実」としてあからさまに黙殺することは有名だが、先月渡嘉敷、座間味両島へ40名の調査団が聞き取り調査に訪問したことも黙殺された。

調査団は、秦郁彦、藤岡信勝、中村粲、皆本儀博、知念朝睦、鴨野守氏ら40名からなる「集団自決」の研究者、ジャーナリスト、関係者で、1月26、27日の二日に渡って渡嘉敷、座間味両島に一泊の予定で訪問している。

当然の如く沖縄のマスコミはこの事実を報道していない。

沖縄県人でもこの事実を知るものはほとんどいない。

沖縄マスコミの情報封殺の徹底振りには今更ながら驚かされる。

当然のことと思うが沖縄マスコミは今回の宮平証言も黙殺するであろう。

沖縄タイムスは決定的ともいえる「照屋証言」の照屋さんのことを「捏造証言の元援護課職員」として報道している。↓

決定的証言者・照屋さんは「捏造証言の元援護課職員」?

地元新聞の情報封殺の実態については↓

「寡聞にして・・」の沖縄県民 地元メディアの悪質な情報操作

「集団自決」と沖縄タイムス 地元メディアの言論封鎖

 

■知念朝睦氏と沖縄タイムスの不思議な関係■

調査団の1人知念朝睦氏は『鉄の棒風』にも登場し、本人の心情まで克明に描写されている最重要証人であるが、本人が沖縄に住んでいるにもかかわらず、一度も沖縄タイムスの取材をうけたことがないので有名な人である。

知念氏と沖縄タイムス(『鉄の暴風』)との奇妙な関係については次の記事が詳しい。↓

【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ… 

< 沖縄タイムスの記者が私に取材を申し込んだり、話を聞きに来たりしたことは全然なかった。きっと、知らんぷりしている方が都合よかったということだろう」
 こう話すのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』に実名で登場する知念朝睦氏(85)。知念氏は、渡嘉敷島守備隊長として島民に自決命令を出したと同書に記述された赤松嘉次氏(故人)の副官代理を務め、赤松氏とずっと行動をともにしていた人物だ。
 『鉄の暴風』は、赤松隊長の自決命令を聞いた知念氏の様子を次のように描写している。
 《これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭(どうこく)し、軍籍にある身を痛嘆した》
 だが、知念氏は実際には「そんな隊長命令はなかった。渡嘉敷島の人からも、戦友からも聞いたことがない」と証言し、軍命令の存在を明確に否定している。
 また、『鉄の暴風』によると、知念氏は自決命令を地下壕内で開かれた将校会議で聞いたことになっているが、「当時、渡嘉敷には将校会議が開けるような広い壕はそもそもなかった」と語る。
 この証言によれば、沖縄タイムスは現場を知る生き証人である知念氏を一度も取材しないまま、知念氏が軍命令を聞いたと決めつけ、その心中まで推し量って本を書いたことになる。
 「沖縄の新聞やテレビは、私のような体験談や意見は全く流さない」と、知念氏は指摘する
。>

 

沖縄集団自決で新証言 中尉「死に急ぐな」 (02/22 23:16)

沖縄戦で大規模な集団自決が起きたのは、沖縄本島西方の慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島だ。米軍が上陸した昭和20年3月下旬、渡嘉敷島で320人、座間味島で170人を超える住民が自決したとされる。
 戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの出版物に引用されてきた。
 しかし、
座間味島の集団自決については、梅沢少佐に自決用の弾薬類をもらいにいった人たちの中で、ただひとり生き残った女子青年団の宮城初江さんが生前の昭和50年代に、「梅沢少佐の自決命令はなかった。戦後、遺族の方が援護法の適用を受けられるように、事実と違う証言をした」などと娘や梅沢さんに告白している。
 今回、証言した宮平秀幸さんは、旧日本軍との交流について、次のような体験も話した。
 
村長の解散指示が出された後の3月26日未明、宮平さん一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕に行った。そこで、秀幸さんが中隊長の中尉に忠魂碑前で自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
 宮平さん一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉から、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらった。
 日本側の記録によれば、その後、いずれの将校も米軍に斬(き)り込み、戦死している。
 座間味島では今も、宮平さんを含め、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。
 一方、渡嘉敷島の集団自決については、作家の曽野綾子さんが同島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、同島に駐屯した海上挺進隊第3戦隊長、赤松嘉次大尉が自決を命じたとする証言がなく、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問が提起された。
 
最近、自由主義史観研究会の調査や本紙の取材で、沖縄県の元援護担当者の照屋昇雄さんが「軍命令は遺族に援護法を適用するための創作だった」と証言し、軍命令説はほぼ否定された。
 文部科学省はこうした学問状況を踏まえ、日本軍に集団自決を強制されたとする断定的な教科書記述に検定意見を付けたが、検定意見の撤回を求める沖縄県議会の決議などに押され、検定後の訂正申請で、軍の強制を意味する記述の復活を認める異例の措置をとった。
 また、梅沢元少佐(91)と赤松大尉の遺族は、大江さんらを名誉棄損で訴える訴訟を大阪地裁に起こし、今
年3月28日に判決が言い渡される。
 大阪地裁の判決と今後の文科省の検定の行方が注目される
。(石川水穂)

                      ◇

今回の現地聞き取り調査と同じく平成17年に行われ現地聞き取り調査も沖縄マスコミは完全黙殺を測っている。

その時の調査結果を高校教師の服部氏が雑誌「正論」(平成17年6月号)で報告している。

今回と同名の宮平敏勝(当時17歳)さんの証言と今回の証言をつき合わすと整合性があり、証言の正確さが伺われる。↓

【今こそ沖縄戦の真実を「教壇」で語ろう】 服部剛

 

朝日新聞も軍命令を否定し始めた。
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm2398932

 沖縄戦集団自決 - AERAが朝日に反旗を翻した

you tube版:↓
http://www.youtube.com/watch?v=Z7ioKgwuF4w

 

 

◆「追記」⇒朝日は2006年の時点で「軍命が無かった」事は既に承知していた。 

その頃から既に敵前逃亡をしていた。↓

朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 

 

これで「集団自決」の軍命論争に最終決着が付いたと思う方、

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【おまけ】

以下は某グループサイトよりの転載です。

Date:  2008年2月22日(金) 午後4時47分
Subject:  意外だった沖縄での経験

今週三日間ほど沖縄宮古島へゴルフ旅行してきたのですが貴重な経験をしました。
二日目のゴルフ終了後タクシーで観光したのですがその運転手が非常に話好きで、話題があちこち飛び、沖縄県民の開けっ
ぴろげな性格や酒を飲むのは9時頃からが本格的になるという話題から、最近起きた米兵の女子中学生暴行事件に。
きっと米軍非難かと思ったら、
「マスコミは米兵の非難ばかりしているが、おかしい。自分たちは、あれは中学生側も問題だと思ってる。いくら夜の遅い
沖縄であっても女子中学生が夜の8時に繁華街で遊んでいることは問題だし、米兵に誘われてのこのこ車に同乗するなんて
ノーテンキ過ぎる。親の教育もなってない。そういう視点の報道がないのはマスコミがおかしい」
と至って健全な意見。

それならと、去年の教科書検定で話題になった集団自決問題をどう思うかと聞いたら、
「あの当時は、誰もが米兵が進駐してきたら何をされるか分からないから自決しようという決意をしたのだ。軍の命令なん
かある筈がない。軍命令なんていうのは軍に失礼だ」、
「検定結果反対集会で11万人集まったなんてウソッパチだ。せいぜい2万人ぐらいだろうと地元ではほとんどが言ってい
る。おまけに集まった人間の半数以上は本土から来た扇動者で全く迷惑な連中だ」、
「いずれもマスコミは偏った報道しかしないのがケシカラン」
とこれまた健全な意見。

沖縄県民は皆被害妄想、反米・反日思想に洗脳されているのかと思い込んでいた小生の目を開かせてもらった経験でした。
運転手の年齢は還暦前後。

高山 龍雄


 

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