狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ドローじゃダメ!中田英激怒

2006-06-19 06:07:13 | 県知事選

 試合終了のベルが鳴った瞬間、テレビカメラは両手を上げて喜ぶ現地で観戦の女性サポーターの笑顔を映した。

が、我が家のテレビの前は引き分け試合に喜ぶものは一人もいなかった。

父の日の食事会もそこそこに帰宅して僅差ででも日本が勝つことを期待していたのだ。

残る試合の相手は既に一次リーグ突破を決定し優勝候補の強豪ブラジル。

決勝トーナメント進出の可能性はゼロでは無いにしろ限りなくゼロパーセントに近ずいた。

首の皮一枚でやっと首が繋がった状態だ。

試合前、「勝つだけです!」と言った中田が、試合後、「ドローじゃダメ!」と怒声をあげた。

引き分けで喜んでる場合じゃないのだ。

で、日本の1次リーグ突破の条件は?

18日の豪州戦に勝ったブラジルの1次リーグ突破は決定している。

22日の最終戦は実質グループ2位争いになる。

日本はブラジル戦に勝つことが絶対条件。

しかも、同時刻に行なわれるクロアチア-豪州の結果に左右される。

豪州が勝つと豪州が生き残り、日本はアウト。

ドローなら日本と豪州の得失点差の争いとなる。

そうなると、日本はブラジルに最低2点差勝ちが必要で、そのうえで総得点数までもつれる可能性がある。

豪州が敗れると日本とクロアチアの得失点差の争いで、この場合も日本はブラジルに最低2点差勝ちが不可欠。

確率が非常に低いのが判る。

こうなれば、苦しい時の神頼みだ!

神といっても俄か造りの「神棚」を試合場に設けろと言うのではない。

ジーコが「サッカーの神様」である事を忘れてはいけない。

ブラジルチームにとっては日本人が感じる以上の神様なのだ。

背に腹は帰られない。

夜陰に乗じてジーコにブラジルチーム宿舎に忍び入ってもらおう。

ブラジルチームは躍り上がって喜ぶだろう。

神様が、祖国ブラジルの優勝を応援し激励に来てくれた思うだろう。

日本の決勝リーグ進出を諦めて。

が、ここで神様は笑顔を見せてはいけない。

精一杯眉間にしわ寄せ、眉間のしわは得意のようだが、一演説ぶってもらおう。

「選手諸君!ロナウドよ、ロナウジーニョよ!、ロベカルよ! 予選突破おめでとう。 言うまでも無いが諸君は今大会の優勝候補の筆頭だ。

次の試合は日本チームとの対戦だが、これはいわば消化試合だ。

諸君の敵は日本ではない。 怪我だ!」。

「二線級の選手を出すと聞いているが、二線級といえども決勝リーグでは不可欠の選手達だ。 怪我をさせてはいけない」。

「無意味な戦いが優勝の足を引っ張る。 わかるだろー!」。

「手を抜く試合も優勝のための作戦の一つだ。 わかるだろー!」。

「勘違いをしてはいけないよ。 ワシは可愛い後輩のために作戦を伝授しているだけだよ」。

「じーと目を見よ、何にも言うな!わかるだろー!」。

そして再び夜陰に紛れて宿舎を出てもらう。

これで日本の決勝トーナメント突破は決定だ。

サッカーの神様が巻き起こした「神風」が日本の決勝リーグ進出を導く。

WBC野球の時キャプテン宮本に代ってチームにハッパを掛けつづけたイチローの記憶が蘇る。

今回のワールドカップもキャプテン宮本に代りチームに気合を入れる中田の姿がイチローに重なる。

そういえばWBCの時も神風が吹いたっけ。

                    ◇


ドローじゃダメ!中田英激怒「勝てる試合をもう一度落とした」

中田英

勝てなかった…中田英は試合後、唇をかみしめてピッチを去った。痛恨の表情が、ジーコ・ジャパンの置かれた事態の深刻さを物語る=撮影・小倉元司

W杯1次リーグ第10日(18日=日本時間同日、ドイツ・ニュルンベルク)痛恨の勝ち点1だ。日本代表は、クロアチア代表に0-0で引き分け。1次リーグ突破のために勝利が義務づけられた試合を勝ちきれず、“キング”MF中田英寿(29)=ボルトン=は「勝てる試合を落とした」と不満をぶちまけた。再三の好機を逸してのドロー劇で、決勝トーナメント進出のためには『王者ブラジルに勝利』が絶対条件という極めて困難な事態に。ジーコ・ジャパンの苦闘は続く-。

ひざを抱え、ピッチに大の字に倒れ込んだ。手を引かれて立ち上がると、今度はペットボトルをたたきつけた。試合後の中田英の落胆と怒りが、事の重大さを物語っていた。決勝T進出のためには、勝ち点3が至上命令だった背水決戦。だが、得られた勝ち点は1。1次リーグF組最下位から抜け出せなかった。悔しかった。

「非常に痛いマイナス2だと思う」

海外W杯での日本の初勝ち点。しかし中田英は、プラス1ではなく勝ち点2を失ったと表現した。「勝てる試合をもう一度落としたな、という感じ。チャンスをちゃんと決められなかった。正直、勝てるチャンスは十分にあった。非常に残念です」。他選手から発せられた「望みをつないだ」という言葉は、口にしなかった。

中田英は攻めた。前半36分、MF中村俊輔の横パスに走り込み、右足で25メートルミドルシュート。後半11分にもミドルを放って敵の肝を冷やした。前半21分にDF宮本が相手にPKを与えると、落ち込みかける宮本を大声で喚起、PKを止めたGK川口とは固く抱き合った。マン・オブ・ザ・マッチに選ばれるにふさわしい活躍だった。

しかし、ゴールを割れなかった。前半から攻め込み、後半6分にはFW柳沢がゴール前の絶好機を外す場面もあった。パス数は日本の421本に対し、クロアチアは338本。豪州戦で1点をリードしながら試合終了6分前から3失点したのに続き、「勝てる試合」を落とした。15日にはボン郊外の日本料理店で選手だけの決起集会を行い、「絶対勝つぞ!」の大合唱。結束は高まったが、同じ失敗を繰り返した。悔しさが倍加した。

8年前のフランスW杯。第2戦で対戦したのがクロアチアだった。日本は0-1で1次リーグ敗退へと追い込まれた。当時、チーム最年少で先発ピッチに立ったのが中田英だった。あれから2920日。スタンドにはあの時の同僚も集結した。名波、相馬、井原…。雪辱の機が熟した舞台で、勝ちたかった。

93年の米国W杯アジア最終予選での“ドーハの悲劇”。日本中が熱狂し、落胆した試合がテレビで生中継された時、中田英は自宅で熟睡していた。自らの力が及ばない時空には興味はない。だからこそ、自らが歴史の中心人物となるドイツW杯での屈辱は、許すことができないのだ。

この日の結果で、1次リーグ突破のためには22日に王者ブラジルを倒すこと-という過酷な絶対条件が突きつけられた。「次の試合まで可能性が残ったのはよかった。次こそは、勝たなくちゃいけない」。厳しい口調でチームを奮い立たせた。

累積警告で次戦を外れる宮本主将に代わって、ブラジル戦ではゲーム主将となることが濃厚。自らを代表に引き留めてくれたジーコ監督との物語を、簡単に終わらせるわけにはいかない。「同じ失敗は繰り返せない」。ドイツの空に、キングの叫びがこだました。

(志田健)

 
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想いで歌探しの旅 最終章

2006-06-18 08:52:15 | 音楽

求める歌の歌詞を見つけた時、長い想いで歌探しの旅は終わった。

が、この時点で河井坊茶の歌声に遭遇する事はなかった。

記録のため煩雑を承知で全歌詞を記載する。
 
 「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」     作詞作曲 三木鶏郎

  1.はじめの男は印度にわたる
    仏陀の石鉢天然記念物
    ピカピカ光らず真っ黒なので
    よくよく見たらばメイドインジャパン
    (以下くりかえし)
    泣く泣くかぐや姫
    月の出を見て泣きじゃくる 
                 
  2.お次の男は蓬莱山へ
    行きと帰りで千夜一夜
    玉の小枝と思ったら
    話も土産もみんなイミテーション
    (くりかえし)

  3.第三の男が中国船(ぶね)に
    頼んだ衣は火ねずみ防火服
    そこで火をつけ焼いてみたら
    見る見るメラメラ灰と消えた
    (くりかえし)
      
  4.四度目の男は 竜の玉を
    探してこようと のこのこ出かけ
    のりだす荒海 台風 具風
    命からがら 逃げかえる
    (くりかえし)
 
  
  5.最後の男は燕を探す
    今ならさだめし望遠レンズ
    子安の貝をつかんだら
    もっこの綱ぎれドシンと落ちた
    (くりかえし)

「想い出の歌」で河井坊茶が歌う叙事詩はここで終わっている。

しかし『竹取物語』のかぐや姫の物語はこの後も続く。

簡単にその顛末を以下に紹介しておこう。
 

遂にかぐや姫の噂は帝(天皇)の耳にも届き、帝も求婚にやって来るのだが、それさえも断ってしまった。

何とかぐや姫は天皇に失恋の痛手を与えた美女であった。

それから三年が過ぎた頃、かぐや姫は月を観ながら悲しい表情を浮かべるようになる。

心配になった翁(お爺さん)が問いただすと、かぐや姫は「私は月の都の人間、次の十五日に、月から迎えがきます」と答える。

驚いた翁は、帝に相談し、帝は月の使者たちから、かぐや姫を守ろうと兵を揃える。

八月十五日の夜十二時、空が真昼のように明るくなり、雲に乗った月人たちが地上に降り立て来る。

帝たちの応戦は空しく、月人たちの「飛車」によって、かぐや姫は連れ去られ、「天の羽衣」を纏うと、月へと帰っていった。

普通の「かぐや姫」の絵本ではこれで物語は終わるが『竹取物語』では更に話は続く。

かぐや姫が月に帰る際に、翁や帝に不老不死の薬の入る「薬の壺」残していく。

帝はせっかく貰った、この不死の薬を、「かぐや姫に会えないのなら、不死の薬も意味がない」として、天に最も近い山で焼いてしまうよう部下に命じた。

この、薬を焼いた山は後に「ふじの山」、富士山と名付けられる。

かぐや姫の名前は富士山の別名「香具山」からとられたものかもしれない。

(完)

【蛇足】①

「青春の想いでの歌」は畏れ多くも天皇の失恋物語であった。

≪春過ぎて 夏来るらし しろたへの 衣干したり 天香具山 ≫ (万葉集巻1 28) -天皇御製歌


【蛇足】②:本稿を書き始めた時「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」の音源をさる知人のご好意で手に入れることが出来た。

プロの歌手ではない「しわがれ声」のあの河井坊茶のオリジナルの音源である。

河井坊茶の声が耳に入った瞬間、時は一気に半世紀の壁を乗り超えた。

それは、まさに感激の一瞬であった。

タイムスリップしたその空間には、ラジオに聞き入る青春真っ盛りの少年がいた。

ここで半世紀の間の「思い込み」をもう一つ白状しよう。

河井坊茶の声は「しわがれ声」だと思い込んでいたが、50年ぶりに聴くその声は渋い味のある声で節回しも見事であった。

当時の人気歌手は三浦光一や岡本敦夫のように美声を誇る歌手が多かったせいで、河井坊茶の声が殊更しわがれ声に思えたのだろう。

しかし、あの時代に敢えて河井坊茶を歌い手に抜擢した三木鶏郎の慧眼には驚く。

今、少子高齢化を愁いる声がある一方、テレビのゴールデン・タイムの歌番組は若者の歌で占拠されている。

「ABCホームソング」や「ラジオ歌謡」のような上質の歌番組をもっと放送して欲しいものである。

高齢化は老齢化につながり、当然心身の老化は避けがたい。

高齢者が老いて益々元気でいるためには体の健康のみならず心の健康も必要である。

青春時代に心に馴染んだ上質の歌を聴く事は心の健康法であ、もっと大人の歌を放送しろと、と小声で訴えるのは我田引水になるのか。

 

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父の日のプレゼントはテポドン!米日はを迎撃できるか?

2006-06-18 08:01:44 | 普天間移設

 今日は父の日。

東京と大阪に散った長女と次女を除く三、四女と長男が集結してフランス料理をご馳走してくれるという。

ここで図らずも五人の子沢山が露見してしまった。

沖縄は他県に比べて概して子沢山だと言われているが、それにしても今時、子供が五人は多い方だ。

同期生が10人程で毎月一度飲み会をするが、子供は二人が大勢で三人は多い方だ。 そして四人がなくて次が五人だ。

ところでフランス料理のことだが、・・・食事の嗜好も年とともに変わりこの年になってフランス料理でもあるまい、和食を食わせろと言ってみたかったが既に予約済みとの事。

父の日をかこつけて、テメーら自分の行きたかった店に行きたかったんだろう、とはけして言うまい。

フランス料理も「たまには」いいものだ。

もっとも今日はワールドカップの対クロアチア戦、・・クロアチア料理店でもあれば一度は食って見たかったが。

それにしても、父の日とワールドカップで浮かれる日本に北の将軍様はテポドン二号のプレゼントをするつもりなのか。

この迷惑なプレゼントは最短で今日18日には配達されると言うので、官邸は緊急体制を敷いているというが・・・。

韓国の有力紙「朝鮮日報」が万が一の場合の日米の迎撃態勢について詳しく報じている。

政府、燃料注入確認急ぐ 北のテポドン2発射準備

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≪作業8時間 安保メンバー待機≫

 北朝鮮が「テポドン2号」を発射するまでには、いくつかの段階がある。その最終段階が燃料の注入だ。政府はこれまでの情報分析から、液体燃料注入を開始する可能性があるとみて、17日も米国と協力し、確認を急いでいる。また安全保障会議メンバーに対しては、迅速に会議を開けるように待機するよう、引き続き指示を出している。(産経新聞 2006年6月17日)

                    ◇

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2006年06月18日 更新

北朝鮮テポドン18日にも発射か…燃料注入タンク、発射台近くに

1998年8月発射されたテポドン

1998年8月に咸鏡北道の基地から発射されたテポドン。北は「人工衛星」と主張した(共同)

99年に撮影されたテポドン1号

99年に撮影されたテポドン1号

北朝鮮が準備を進める長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射実験について日米韓当局は17日、「発射は18、19日の可能性が高い」という見方で一致した。ミサイルは弾頭以外は発射台に装着済みで、周辺には液体燃料を注入する大型タンク十数台を移動させている。注入は行われていないもようだが、開始すれば早くて8時間ほどで完了する。米国が「挑発的行動だ」と警告する中で強行すれば、たとえ被害がなくても北への国際的非難は一気に高まる。

18日か19日-具体的な発射日程は、韓国の聯合ニュースが17日にソウルの外交関係者の話として伝えた。北がテポドン2号の発射を一両日中に行う見方で日米韓当局が一致したといい、「19日までに発射される可能性が、発射されない可能性より高いと日米韓は見ている」。ただ、20日までに行わなければ「発射はない」とも。

わが国政府も17日、米国からの情報などを基に「18日にも発射の可能性がある」とみて引き続き情報収集を進めている。防衛庁はイージス艦による警戒態勢を強化、米軍と緊密な連携を取っている。発射時期をめぐる情報の根拠は明かされていないが、北の準備状況からの分析とみられる。

また聯合ニュースは、別の関係者の話として、試験発射を成功させるだけの水準を北が持っているとしたうえで「米国がミサイル発射に備えてイージス艦を日本海の北朝鮮寄り海域に配置し、警戒態勢をとる可能性がある」と指摘。イージス艦から発射する海上配備型迎撃ミサイルは開発されているが、実戦配備は8月からの見通しで、現時点で配備されているかは不明だ。

北は発射に向けて着々準備。17日付の韓国・朝鮮日報によると、北東部の咸鏡北道のテポドン2号の発射台周辺に、液体燃料の大型タンク十数台を移動させた。米偵察衛星写真を米韓の情報当局が分析したという韓国政府高官の話を伝えた。弾頭以外は発射台に装着済みといい、別の高官は「発射台が正常に稼働するかどうかの作動試験が行われている」。

燃料注入は発射の最終段階で、早ければ8時間で完了するとみられる。「注入が始まったかどうかは未確認」(米韓情報当局)とし、同・中央日報は注入は始まっていないとしながらも「注入開始から48時間程度で発射可能」という専門家の分析を伝えている。

実験場周辺は警備が強化されており、同実験場以外の中距離弾道ミサイル「ノドン」などの発射基地でも車両などの動きが活発化している。

北の動きに対し、米国務省のマコーマック報道官は16日、6カ国協議の共同声明に反する「挑発的な行動だ」と警告。人工衛星などによる監視強化を示唆し「我々自身を守るために必要な予備的措置をとる」と述べた。

米政府高官は特に日中韓と緊密に意見交換していることを明らかにし、これらの国を通じて発射自制を求める警告が「北に既に伝達された」と言明。これを無視して発射となれば…情勢は一気に緊迫化する。

★科学者集め軌道計算

北が「人工衛星」打ち上げに備えて宇宙工学の科学者を動員、軌道設定作業を進めていることがわかった。北に詳しい情報筋が17日明かした。「人工衛星」として発信機などをテポドン2号に組み込んで打ち上げる可能性も排除できなくなったといえる。発射すれば北は「平和目的の人工衛星」と主張するとみられるが、打ち上げに使うミサイル自体を脅威とする日米が強く反発、制裁を含む厳しい対応は不可避。昨年9月の6カ国協議の共同声明や、日朝平壌宣言が破棄される危機も避けられそうにない。

★発射した場合制裁も辞さず…米国

麻生太郎外相は17日、米国のシーファー駐日大使と会談、北に「挑発的行為」をやめ核問題の6カ国協議早期復帰を求めることで一致した。シーファー大使は会談後、北が発射した場合は「すべてのオプションがテーブルに乗る」と、制裁も辞さない考えを表明。同時に「ミサイル計画は軍事目的だ」と、人工衛星など平和目的という見方を否定した。日米とも北に発射準備中止を直接警告したという。

【テポドン2号】

北が開発中の2段式長距離弾道ミサイル。わが国防衛白書などによると、新型ブースターを1段目、中距離弾道ミサイルのノドンを2段目に使い、射程3500-6000キロで米アラスカ州の一部までが射程。3段式にするなど改良を加えれば射程は1万5000キロに伸びるとされる。北は1990年代までに弾道ミサイルの長射程化に着手したとされ、98年8月に「人工衛星」としてテポドン1号(射程1500キロ以上)を発射、本州上空を飛び越え太平洋側に落下した。


 

 


米日はテポドン2号を迎撃できるか
 北朝鮮が韓国、米国、日本をはじめ国際社会の警告にもかかわらず、長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射を強行した場合、東海(日本海)でこれを迎撃する案が検討されており、その実現性に注目が集まっている。

 万が一、北朝鮮のミサイルが東海上空で迎撃された場合、北朝鮮にとっては精神的なダメージはもちろん、経済的にもばく大な被害につながると見られる。北朝鮮の主要な外貨獲得源であるミサイルの商品価値が大幅に下がるためだ。

 ただ、東海で北朝鮮のミサイルの迎撃が可能になるのは、早くても8月以降になるとみられている。現段階において作戦に必要な迎撃ミサイルの配備が完了していないためだ。

 米国と日本は1998年に行われた「テポドン1号」の発射実験を受け、北朝鮮からミサイルが発射された直後に東海でこれを迎撃する案を検討してきた。ミサイルの迎撃は、発射直後に大気圏外に向けて上昇するブースト局面で行うのが最も容易であるためだ。その後日米両国はイージス艦から発射する海上配備型迎撃ミサイル「SM-3」を開発した。

 このSM-3は、大気圏外の数百キロ上空で敵の弾道ミサイルに体当たりして破壊する「ヒット・トゥ・キル」方式の最先端のミサイルだ。最近実験に成功し、米国では今年8月から、日本では2008年から実戦配備される見通しだ。このため、今回もし北朝鮮が「テポドン2号」を発射したとしても、これが使われる可能性はきわめて低い。

 また北朝鮮がアラスカや米国本土に向けてテポドン2号を発射した場合、アラスカやカリフォルニア州などに配備された地上配備迎撃ミサイル(GBI)での遠距離迎撃が可能だ。10キロから15キロ程度の近距離であればパトリオットミサイル「PAC-3」で撃墜できる。ただし、アラスカや米国本土に向けてミサイルが発射されれば、これは完全な戦争挑発行為とみなされる。したがって、北朝鮮がアラスカや米国本土に向けてミサイルを発射してくる可能性は低いとみられている。

ユ・ヨンウォン記者

朝鮮日報

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福井日銀総裁は世界の物笑い?

2006-06-17 07:58:41 | 県知事選

連日、日銀総裁と村上ファンドについてのエントリーが続き、我ながら一寸しつこい気もするが、例え小泉首相が「問題ない」と太鼓判を押しても当日記ではこれを問題、それも大問題と見る。

よって又しても日銀ネタ。

16日の共同通信( 6月16日13時15分更新)によると福井総裁の村上ファンドによる利益は「年間最大数百万円」に及ぶと言う。

およそ6年余の投資で、大雑把な計算でも初期投資の1000万円はとっくに回収していることになる。

量的緩和やゼロ金利政策で一般預金者の利子収入が抑えられた中、金融政策の最高責任者である総裁が結果的に高利の資金運用をしていたことが明らかになったわけだ。

「世界中の物笑いになる」と言った野党議員もいたが、これが真実味を帯びてきた。

 

◆村上ファンドは「パンドラの箱」か

村上容疑者が自己のこの罪状を簡単に認めて、必死になって閉めたパンドラの箱の隙間から、次々と魑魅魍魎が顔を覗かせ始めた。

パンドラの箱の底で小泉内閣の経済政策を支えた閣僚や民間財界の大物の影がちらつくが、日銀総裁という大物に続いて顔を出したのは村上容疑者が経済官僚の頃の同期生約10人だった。

彼らも村上ファンドに投資していたと言う。

が、彼らはまだ前座に過ぎない。

◆日本経済を悩ました銀行の不良債権処理は日銀主導のゼロ金利によって解決しつつある。

が、これは預金者の犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはいけない。

激減した利息収入の額について日銀自身が304兆円と試算している。

これは預金者の懐に入るべき304兆円の利息が銀行の不良債権処理に使われた事を意味する。

具体的例を挙げよう。

福井総裁が村上ファンドに投資したという1000万円を銀行に預けても普通預金の金利は年間100円に過ぎない。

逮捕直前の会見で村上容疑者は自分が嫌われた理由を「めちゃめちゃもうけたから」と豪語した。

「そのめちゃめちゃもうけた男」に投資した日銀総裁は1000万円で年間数百万円の儲けがあった時もあると云う。

小泉さん。

これでも「問題なし」ですか? 

 

 

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想いで歌探しの旅 第四楽章

2006-06-17 07:06:23 | 音楽

二番目の男へのオネダリにもキツイものがあった。

「東の海に蓬莱と言う山があります。 其処に生える植物で根は白金、茎は黄金そして白玉の実が実るそうです。 その植物が欲しいのです」と。

白金に黄金に白玉の三点セットを探して来いとは何と言う無理難題。

「白金も黄金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」と、
山上憶良センセイも詠っているではないか。

だったら、玉にも勝る子供がおればよいではないか。

「さー、ここで何モノにも勝る子宝造りに励みましょう」と、
常日頃のプレイボーイ丸出しのイカガワシイ行為に及ぶわけには行かなかった。

 ♪♪2.お次の男は蓬莱山へ
    行きと帰りで千夜一夜
    玉の小枝と思ったら
    話も土産もみんなイミテーション
    (くりかえし)         ♪
 
  三番目の男には「唐にあると云う火鼠の袈裟衣を取ってきて」と求めた。

火ダルマという言葉は知っているが、そもそも火ネズミという生き物がいる事が分からなかった。

ドブネズミならその辺のどぶの中をチョロチョロしている姿を良く見るが。

それに油を掛けて火をつけたものでは代用できないものか、と不埒な事を考えたりもしたがそれでは火ネズミでは無く焼ネズミになってしまう。

焼トリなら好物なのだが焼ネズミはどうも、と食欲を失ってしまった。

仕方ないので取りあえず船をチャーターして火ネズミの防火服を探しの旅に出る事にした。

♪♪3.第三の男が中国船(ぶね)に
    頼んだ衣は火ねずみ防火服
    そこで火をつけ焼いてみたら
    見る見るメラメラ灰と消えた
    (くりかえし) ♪

四番目の男はこう告げられた。

「龍の首に五色に光る玉があると云われています。それが欲しいのです」。

龍そのものさえも見た事もないのに、その首にかかる五色の玉を求めるとはこの女、可愛い顔をして何と言うタマだ。

だが、待てよ五色の玉は無いが日頃自慢の「二つの玉」はここにある。

が、玉を二つに負けてくれとはとてもミジメで言い出せなかった。

 ♪♪4.四度目の男は 竜の玉を
    探してこようと のこのこ出かけ
    のりだす荒海 台風 具風
    命からがら 逃げかえる
    (くりかえし) ♪

最後の男にも難題が言い渡された。

「燕が抱いている子安貝があるそうです。それを取って来て下さい」。

燕の巣の料理は食べた事はあっても、燕が抱いている貝なんて見た事も聞いた事も無い。

どうやら日頃賞味しているバカ貝とは種類が違うようだ。
      
 ♪♪5.最後の男は燕を探す
    今ならさだめし望遠レンズ
    子安の貝をつかんだら
    もっこの綱ぎれドシンと落ちた
    (くりかえし) ♪ 
    
長い「想いで唄探し」の旅もそそろ終わりに近づいてきた。

説明するまでも無く唄の内容はかぐや姫の物語であった。

かぐや姫が実現不可能な願いを5人のプレイボーイに求めて、キリキリ舞させた挙句振ってしまう御馴染の物語だ。

うろ覚えながらおおよその歌詞の意味は記憶に残っていた。

それで、その後の物語の展開は・・・・・・・・。

(続く)
 

 

 

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日銀総裁へ ファンドや株式への投資を利殖行為という

2006-06-16 09:22:30 | 県知事選

福井俊彦日銀総裁が15日、参院予算委員会に参考人として出席したのをテレビ中継で見た感想。

福井総裁は「村上ファンドへの投資は「利殖の為ではなく村上氏への激励の意味」だと云う。

関連答弁をした与謝野経済財政担当大臣は、「福井総裁は私利に動く人柄ではない」と的はずれな答弁。

国会は日銀総裁の「人柄」を議論しているのではない。

日銀総裁の「行為」を議論しているのだ。

福井総裁は、村上ファンドへの投資以外に株式投資もしている事が判明した。

与謝野大臣!日銀総裁の人柄はとも角、村上ファンドへの投資、株式への投資、これを称して世間では「私利に動く行為」と言う。

どうも偏差値の高い人たちに国語の再教育をする必要があるようだ。

そういえば藤原政彦教授も言っていた。

「教育は一に読み書き、二に読み書き、三、四がなくて五にソロバン」と。

もっと不思議な答弁は谷垣財務大臣の答弁だった。

ファンドというものが良く判らないので詳しいコメントを控える」って?

監督官庁の総責任者であるアンタが知らなきゃ誰が知ってるのだ。

大臣を即刻やめて、村上被告に譲ったら?

何しろ村上被告は「プロ中のプロ」、ファンドについても詳しいと思うよ。

この極めて無責任な大臣答弁に即突っ込みを入れられない野党も人材不足。

村上ファンドで得た利益についてはノラリクラリ。

利益が出た場合について「国民が納得できる使い道を…」と述べた。

潔く聞こえる答弁だが、追求された挙句の逃げ口上だろう。

1999年秋から投資を開始した福井氏は1000万円を倍増させたとの見方も出ている。

昨日も述べたが日銀総裁は日本の金利も動かせる重要な立場の人。

ゼロ金利政策で国民に入るべき金利を銀行へ還流させ、ゼロ金利を嫌った金の流れを投資ファンドや株式市場に呼び込むような金利政策をしておきながら、日銀総裁自身が投資ファンドや株式で莫大な利益をあげているとしたら・・・・これは「精査」なしでは発表できないわ。

もう一つ「通貨の番人」と言われる日銀はその金融政策の政府からの独立性が求められている。

今回の不祥事で小泉首相及び政府側は徹底して「問題なし」と福井総裁を擁護した。

福井総裁も感謝しているとの発言があったと言う。

日銀は政府に借りを作った。

これで日銀の政府からの独立性は死ぬのか。


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想いで歌探しの旅  第三楽章

2006-06-16 07:47:59 | 音楽

半世紀の時の壁を乗り越えてやっとたどり着いた「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」。

一風変わった曲想で若き狼魔人を魅了したこの歌は、当時としては、いや今改めて聴いても普通の流行り歌とは、一寸異質な音楽である。(歌詞もメロディーも歌い手も)

この歌について書くには、どうしても作詞作曲をした三木鶏郎について多少触れておかなければならない。

三木鶏郎ときいても、もはや、テレビ・ラジオの世界でさえ知らない人たちが多いだろう。

しかし、60歳以上の人にとって、この名前は、いや名前を知らなくても彼が作った膨大なヒットソングの一つでも聴けばなんらかの感慨を持つはずである。

戦争の恐怖から開放された昭和20年代、ラジオから流れる音楽が庶民の唯一の娯楽であった。

終戦の年まだ4歳の筆者は勿論当時流行した歌の詳しい事情を実体験として記憶しているわけではない。

が、巷に流れる歌のメロディーと歌詞の断片は不思議と鮮明に記憶している。

岡晴夫の「泣くな小鳩よ」(昭和21年)、田端義夫の「かえり船」(昭和21年)、美空ひばりの「悲しき口笛」(昭和22年)等は当時のラジオ或いは大人たちが口ずさむのから聞き覚えた。

当然、三木鶏郎の名を知るのは更に10年経過した昭和30年代になってからである。

音楽的にはまったく素人の風刺音楽グループ、三木鶏郎トリオは、敗戦の翌年、昭和21年1月29日に、「唄の新聞」として、NHKラジオに登場する。

三木鶏郎トリオはプロの芸人ではなく、東大法学部卒の素人の音楽好き三木鶏郎を中心にした学生気分の抜けない素人集団で、プロのが中心の当時としては、画期的であった。

「唄の新聞」は半年後に打ち切られ、やがてNHK番組「日曜娯楽版」の中のコーナー「冗談音楽」として再生する。

三木鶏郎グループは、河井坊茶、三木のり平、小野田勇、千葉信男、丹下キヨ子というメンバーで、この時点で「吟遊詩人ーかぐや姫」の河井坊茶が登場する。

「冗談音楽」はモダンで明るい楽曲の合間を社会風刺の効いたコントでテンポよくつなぐ構成で大人気を獲得。

聴取率は80%とも90%とも言われ、番組からは「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」「毒消しゃいらんかね」などのヒット曲が続出した。

またジャズ・バンドの三木鶏郎楽団(ジョージ川口、小野満、鈴木章治、他)も結成、活動の場を舞台、映画にも広げた。

後のテレビ時代になって、クレイジーキャッツ が音楽とコントを結びつけた演出で成功したが、三木鶏郎グループはその先駆けと言うより膨大な数のCMソングを含むヒットソングを座長の三木鶏郎が自ら一人で作詞・作曲したことにこのグループの特異性がある。

あまりにも一人だけ目立ち過ぎる三木鶏郎だが、仲間の河井坊茶については検索してもあまりヒットする項目がない。

昭和25年3月9日付けの産経新聞に「日曜娯楽版に危機 のり平脱退騒ぎ」と言う見出しで河井坊茶に触れた記事があった。

人気の「日曜娯楽版」も三木鶏郎一座の分裂騒動で危機が訪れていたようだったが、それよりも河井坊茶の前身が「暁星中学教師であり中央食品の重役である秋元喜雄氏(河井坊茶)というズブの素人」という記事が興味深い。

随分脱線をしたが半世紀前の狼魔人少年は「河井坊茶とは当時人気の柳家金語楼と同じ系統の落語家出身のラジオタレント」だとばかリ思っていた。

これも半世紀もの間の「勘違い」か、「思い込み」の一つ。

そう、話は「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」についてであった。

                  ◇

その娘の美しさの噂は瞬く間にその街の隅から隅へと駆け巡った。

娘の住む屋敷には昔から年老いた夫婦が二人だけで住んでいたが二人に子供がいた話は誰も聞いた事が無かった。

すこし前から老夫婦の家に美しい、それこそ光り輝くような娘が住んでいるとの噂が立ち始めた。

男なら幾つになっても美しき女性を眺めるのは心時めくもの。

この街の5人のプレイボーイ達はこの美女の噂に心穏やかではなかった。

5人とも社会的に高い地位の家柄の生まれで、金には不自由はしなかったし、何よりも若くて独身の気楽な身分だった。

当然の如く女性は相手のほうから近づいて来た。

しかし噂の娘は彼らの周りの女達とは大違い。

自ら男を求めて街を彷徨うようなことはなかった。

例えばもう一人の町の話題の「酔いどれかぐや姫」のように。

青い青い 月の夜
とろり酔いどれ かぐや姫
うつろな笑いを浮かべ
あやしいことばを投げて
おー 町の男を 誘っている
(「酔いどれかぐや姫」阿久 悠 作詞)

深窓の令嬢、或いは箱入り娘と言った表現がぴったりで、家に篭り外を出歩く事は殆ど無かった。

男が家に引きこもるとウジがわいたりカビが生えたりであまり景色の良いものではない。

が、妙齢の見目麗しき女性が深窓に篭るとなると俄然景色も違って見えてくる。

その家の窓明かりは暖かく輝いて見えるし、屋敷に漂う空気の流れにも香しさを感じるようになるから不思議なものだ。

モテる条件を全て具備していると自負する男にとって、自分に何の関心も示さず家に引きこもる女、それも飛びっきりの美女とあってはこれが気にならぬ筈は無い。

初めの男は恋文を出した。
 
切々たる恋情を訴えるには恋文を綴るのが一番適していると信じていた。
 
事実これまでにもこの恋歌綴りにより彼になびかぬ女は一人もいなかった。

返事はこなかった。

次の男は別の作戦に出た。

「将を射んとすれば馬を射よ」これが彼の信念だった。

足しげくその屋敷の老夫婦を訪ねて彼女に対する自分の胸の内を告げた。

しかし、あの娘は自分達の子ではなく天から預かった子なので、自分達ではどうにもならない。

これが老夫婦の返事であった。

三番目と四番目の男は実力行使に出た。

夜といわず、昼といわずその屋敷の周囲をうろつき回った。

塀に穴を開けて覗きを試みたり、挙句の果ては窓をよじ登ろうとして滑り落ち足を挫いたりもした。

不審者として通報される始末であった。

いまならストーカーであり、犯罪者である。

最後の男は町の有力者の息子であった。

最初はゲーム感覚で口説いていたが次第に本気で恋するようになってきて、今では夜も寝られないほどの重い恋病に陥ってしまった。

そこで作戦変更、振られたもの同士皆で共同戦線を張る事にした。

5人の内の誰か一人が彼女の心を射止めても、他のものは潔く身を引くと硬い約束が交わされた。

彼女は個別に男達に会う事は拒んだが、老夫婦の必死の説得で遂に一同揃って会う事は何とか承知した。

男達の前に現れた娘の姿は光輝いていた。

とてもこの世のものとは思えない美しさであった。

昔から女性の美しさを表すのにいろんな例えがある。

「夜目、遠目、傘の内」とは、あからさまに女性を直視しない方が女性は美しく見えると言う例えである。

テレビでも美を売り物にするタレントはライトの位置、強弱を気にすると云う。

そのような努力で残酷なカメラの「目」の直視をぼかしているのだろう。

五人の男達は噂だけではなく実際に何度かその娘を垣間見る機会があった。

しかし、それは何れも「夜目、遠目、窓の内」と言う程度でこのように間近に娘を見るのはその日が始めての経験であった。

5人夫々の熱意の篭った求婚の申し出が終わった頃合を見計らって娘が初めて口を開いた。

「何れのお方のお話も身に余る有り難いお話で光栄でございますが、身は一つしか御座いません」。


「私の欲しい物を賜った方の熱意を汲んで、そのお方の申し出をお受け致しましょう」。

男達はいずれも金と権力には人後に落ちない自信があった。   

手に入らない物のあろうはずが無い。

娘の話に異論は無かった。

娘は初めの男に求めた。

「天竺に佛の御み石の鉢といふもの有るそうです。 それが欲しいのです」。

≪な・な・何だって・・・。 天竺と言えばインドではないか。≫

≪俺は玄奘三蔵ではない! インドカレーで何とか我慢出来ないか≫、

と何時ものように軽口を叩くには目の前の娘の美しさは交合、・・・いや、神々し過ぎた。

 「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」 歌:河井坊茶  作詞・作曲:三木鶏郎

♪♪1.はじめの男は印度にわたる
    仏陀の石鉢天然記念物
    ピカピカ光らず真っ黒なので
    よくよく見たらばメイドインジャパン
    (以下くりかえし)
    泣く泣くかぐや姫
    月の出を見て泣きじゃくる ♪ 

(続く)

 

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日銀総裁の投資は「生けるインサイダー取引」だ!

2006-06-15 09:14:19 | 県知事選

日銀福井総裁が村上ファンドへの投資を解約した時期について、今朝、共同通信の昨日の最終配信(6月14日23時3分更新)を見てヤッパリとの感に打たれた。

解約申しいれは、量的緩和解除直前の2月であったことが判明したという。

2月と言えば緩和解除で株式市場への資金流入が細り、ファンドの資金運用が難しくなる可能性出てきた時期だ。

市場では「売り抜けよう」という声が出てきた時期だ。

「量的緩和解除」を決定するインサイダーの親玉、いや、その存在そのものがインサイダーの日銀総裁が「その時期」に売り逃げしたとなれば、これは紛れもなく「インサイダー取引」だ。

一般にいう「インサイダー取引」とはインサイダーの情報を先取りして取引をすることをさすようだが、日銀総裁はインサイダー情報を作る立場だ。

日本の金融市場の金利さえも変えうる立場の人間が自分の子分たる村上ファンドを使って「財テク」はないだろう。

売り逃げは成功したが、今日の記者会見で如何言い逃れるつもりなのか。

                  ◇


◆解約申し出、なぜ2月 日銀総裁のファンド投資

 日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドへ1000万円を投資していた問題で14日、解約を申し入れた時期が量的緩和解除直前の2月であったことが新たな問題点として浮上してきた。緩和解除で株式市場への資金流入が細り、ファンドの資金運用が難しくなる可能性があったためで、市場では「売り抜けようとしたと言われても仕方がない」(ヘッジファンド関係者)と、脇の甘さを問題視する声が出ている。
 福井総裁が就任時に継続していた投資を突然解約しようとしたきっかけが何だったのかが焦点で、15日の記者会見などで説得力のある説明を求められそうだ。
 総裁は13日の参院財政金融委員会で、2月に解約を申し入れた理由について、自らがファンである阪神球団の経営に関与しようとした同ファンドの行動に「強い違和感を感じた」と説明した。
(共同通信) - 6月14日23時3分更新
 

◆産経抄
平成18(2006)年6月15日[木]
 人の懐具合をあれこれ詮索(せんさく)するのは、人品卑しい行為だと教えられた。金銭を貴び、世辞にうれしがるのは粋でないとみなされた。それでも世の中は万事色と欲だから、気になるのが人情というものだ。「通貨の番人」日銀総裁が錬金には目がなかったと聞いては心穏やかではない。
 ▼福井俊彦総裁が希代の錬金術師、村上世彰容疑者と親密な仲にあり、ファンド設立のさいに「激励する意味」でポンと1000万円を投資した。ファンドの利回りからすぐに計算する人がいて、平成11年から7年間で1500万円の運用益を手にしたという。

 ▼日銀総裁に就任するさいに、解約を考えたが、完全にファンドまかせだから「まあいいか」ということになったらしい。「法の番人」である裁判官と同じように、「通貨の番人」も独立、中立、公正が厳格に求められるとの自覚がなかったのだろうか。どうもすっきりしない。

 ▼まして、村上ファンドが「うちには福井総裁が資金を預けている」と営業活動をすれば、立派な広告塔になる。明らかに許容の限度を超えており、ことし2月に解約したといっても遅い。「日本銀行員の心得」にいう世間から疑念を抱かれるような利殖は慎めとの内規にも背くだろう。

 ▼自国の通貨がよその国でも通用するなら、その国の信頼性が高いことの証明になる。日本の「円」は、戦後しばらくは紙くずみたいな扱いを受けてきた。いまの繁栄は、日本人の勤勉、節約、才覚によって信頼性を築き上げたものだ。

 ▼総裁の発言や行動は、為替相場や株式市場を左右する。だからこそ「通貨の番人」は、聖人君子といわずとも公正さの体現者でありたい。いまさら、そんな日銀総裁のありようをいわせないでほしかった。

 

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思い出歌探しの旅 第二楽章

2006-06-15 07:41:31 | 音楽

昨日のエントリーで「想いで歌探しの旅」を書いたら、早速読者から「勘違いがある」とのご指摘を頂いた。

河井坊茶の件の歌はNHK「ラジオ歌謡」の歌ではなく、同じ時期大阪朝日放送の「ABCホームソング」から生まれた歌だったようだ。

その中から「ふるさとのはなしをしょう」「公園の手品師」「川は流れる」等のヒット曲が生まれたようだ。

なにしろ半世紀も前のラジオ番組のこと。
 
NHKの「ラジオ歌謡」と大阪朝日放送の「ABCホームソング」の放送から流れた歌を勘違いするのは仕方ない・・・と自己弁護しつつ先を進む。

                  ◇


河井坊茶という奇妙な名の歌い手というだけで、正確な曲のタイトルが分からない。 

うろ覚えながらかぐや姫の歌だったことは間違いなかった。

ヤフー検索で「かぐや姫」を検索したらかぐや姫関連の曲は南こうせつの一人舞台だった。

云うまでもなく「南こうせつとかぐや姫」は人気グループである。

青春の歌と銘打って・・・「神田川」、「赤提灯」等々が多数出て来るが、求める「我が青春の歌」は何処にも見当たらない。

以前に自分の仕事の業界雑誌に「カラオケ」について駄文を書いた時、「想いでの青春の唄」とは多少の個人差はあるが、18歳を基準に上下に10歳を加えた時代に流行った歌だと独断を書いた。

大雑把に言えば、8歳前後から28から30歳頃に流行った歌覚えた歌ということになる。

南こうせつは1949年生まれなので守備範囲に含まれる。

「神田川」には一寸時代がズレるがそれなりの青春があった。

「神田川」の前奏と間奏のヴァイオリン・ソロの部分が気に入って、ライブ酒場等で下手なヴァイオリンを弾いた事を想いだした。

「かぐや姫」というグループ名なのにこのグループが「かぐや姫」の歌を歌っている事はあまり知られていない。

フォークの一時代を築いた人気グループで、「神田川」、や「夢一夜」はカラオケの定番になっていて、持ち歌にしているご同輩もいるであろう。

南こうせつがまだ無名の頃,これも無名の阿久悠の作詞でフザケタかぐや姫の唄を歌っていた。

作曲者の南高節とは勿論南こうせつのことである。

「かぐや姫」から連想する上品なイメージとかけ離れて、何とオ下劣なお姫様な事!


酔いどれかぐや姫    阿久 悠 作詞 南 高節 作曲

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あやしいことばを投げて
おー 町の男を 誘っている


探し求めていた我が「かぐや姫」は深窓の令嬢とも言うべき清らかなイメージだ。

検索の旅の途中で遭遇した阿久悠の「酔いどれかぐや姫」によってその清純なイメージは木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

阿久悠もも同じ時代の空気を吸って生きてきた悪友だったのかも知れない。

しかし、旅の途中で脱線してはいけない。

気を取り直して再び検索の迷路に入り込んで行った。

苦節三年。

遂に求める思い出の唄の歌詞にたどり着いた。

検索の旅を彷徨った挙句「たずね歌・さがし歌」(現在閉鎖中の模様)というサイトにたどり着き、そこで求める歌詞に実に半世紀ぶりの対面をした。

求める想いでの歌は「吟遊詩人の歌」で副題が「かぐや姫」であった。

そして歌詞は、五番まで続く壮大な叙事詩であった。

                  ◇

冒頭にも書いた通り何しろ半世紀前のラジオ番組のこと。

勘違いに、思い違い、それにもっと厄介なの「思い込み」。

長年、それこそ半世紀もの間、河井坊茶の歌った「かぐや姫」は岡本敦夫の「白い花の咲く頃」と同じく「ラジオ歌謡」生まれの歌だと思い込んでいた。

そして河井坊茶との対面?によってもう一つの大きな「思い込み」に気がついた、・・・がそれについては後に触れたい。

今「思い込み」が解けて冷静に考えて見ると「ラジオ歌謡」と「ABCホームソング」では扱う歌のニュアンスが一寸違うような気もするのだが。

今後も「思い違い」、「思い込み」等に気がついた方がおればご教示をお願いしたい。
(続く)

 

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日銀総裁と投資ファンド

2006-06-14 19:36:36 | 県知事選

「金を儲けることは悪い事ですか。 私はメチャメチャ儲けました」。

「儲けすぎたから嫌われるのですかね」。

村上ファンドの村上代表は逮捕前の独演会で,このように開き直った。

その発言を受けて、麻生外務大臣が皮肉をこめて切り返した。

「その儲ける手法が嫌われるのだよ」と。

その嫌われる違法な手法でメチャメチャ儲けた村上ファンドに日銀総裁が投資していた。

しかも日銀総裁に就任する前は村上ファンドの顧問をしていた。

民間人が何所の会社の顧問をしようが、どの会社に投資しようがそれが合法である限り他人にとやかく言われる筋合いはなかろう。

しかし福井氏が日銀に就任した後も投資を続け、利益を得ていたことは不可解だ。

小泉首相は「問題はない。 日銀内規にも触れていない」と云う。

が、「世間から些(いささ)かなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には……個人的利殖行為は慎まなければならない」。

これは日銀自身が定めた「日本銀行員の心得」の一節だ。

それにこれは日銀内規にあるなしの問題ではない。

日銀総裁には、国の経済の未来を左右するほどの力と責任が、国民から託されている。

いわばインサイダー(内部にいる人)の総本山に鎮座して、一般国民の知らないあらゆる情報を知りうる立場にある。

いや日銀総裁の存在それ自身がインサイダーそのものなのだ。

その強大な力を備えた人が、違法な処方で「メチャメチャ儲けた」と豪語する投資ファンドに投資していたとしたらこれが問題でなくて何が問題だ。

公人たる日銀総裁が私的な動機で動きかねないなどと見られては、国民からの信託も崩れてしまうだろう。


村上ファンドは堀江・ライブドアののイメージとは異なり法令順守には厳格で、弁護士、証券のプロ、税理士など専門家を配し、細部にわたってチェックしているため、今回のようなバレやすい過ちは犯すはずがないと言われていた。

当然堀江被告以上に、徹底否認で長期戦に望むと考えられていた。

しかし、村上氏はインサイダーをいとも簡単に認め謝罪し業界からも引退するという。

なぜこうもあっさりと引いてしまったのか。

裁判をすれば長期化する。

すると、知られたくないような事まで検察やマスコミに追及され、驚くような事実や推測がボロボロ出てくるかもしれない。

罪状認否については、村上被告は堀江被告と対照的だ。

堀江被告は事件について否認を続け、自分が助かれば周りの仲間や恩人まで犠牲にしてもかまわない、というような対応だ。

村上被告は『全て自分の責任』として罪を被り、周りの人間を守ろうとしてる感がある。

村上被告がが守ろうとしているのは村上ファンドの親分といわれるオリックスの宮内義彦オーナー。

それに以前から顧問として親密な関係にあった日本銀行の福井俊彦総裁ではなかったか。

福井総裁が村上ファンドへの投資を解約したのは二、三ヶ月前だと言われるが、その時期は堀江被告の逮捕劇が有り、次の地検のターゲットは村上ファンドだと囁かれていた時期だ。

日銀総裁という地位におればその辺の「インサイダー情報」は充分承知で村上ファンドを切り離したのではなかったのか。

明日、福井総裁は記者会見に応じると聞く。

「日本銀行なる者は一人一個の私利を謀るものに非ず、公利公益を主眼とし、徒(いたずら)に商業社会の狂涛に揺がされず……」。

これは日銀創業の開業式で、松方正義・大蔵卿が述べた訓示だと言う。(『日本銀行百年史』)

天下の日銀総裁なら百も承知だろうが、敢えて言おう。

「李下に冠を正さず」と。
  

 


 

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想いで歌探しの旅

2006-06-14 07:37:22 | 音楽

昭和30年代初期の頃は、まだラジオが娯楽の主役の座を保っていた。

厚顔、・・いや紅顔の美少年の高校一年であったその頃、同級生の仲間の間で大人気の「ラジオ歌謡」という番組があった。

朝登校すると「ラジオ歌謡」の歌が何時もその日の話題になった。

TVが家庭に普及するのは天皇陛下ご成婚の昭和34(1959)年ごろからである。

「ラジオ歌謡」は、NHKのラジオ第1放送で、終戦の翌年、昭和21(1946)年5月から昭和37(1962)年3月までの16年間で、845曲も放送された。

新作の上品な唄を当時の人気歌手が歌って評判を呼んでいた。

それまでの流行歌が恋や別れやといった男女のしがらみを歌っていたのに対して、自然の美や人間の心情を表した歌詞の歌が多く、抒情性豊かで家族みんなで楽しめるのでホームソングといわれていた。

この番組から流行した歌に「踊子」、「公園の手品師」、「白い花の咲く頃」等がすぐ想いだされる。

当時人気歌手であった三橋美智也や三波春夫の歌とは一味違った上品なメロディーや歌詞の歌が新鮮であった。

番組は朝の登校の時間前後の放送だったようで、それを最後まで聞き終えて家を出るとギリギリで遅刻をしたような記憶がある。

その番組を通じて流行った三浦光一の「踊り子」は、その叙情的な歌詞とメロディーが当時の高校生の間でフランク永井の都会ムードの歌(例えば「有楽町で逢いましょう」)と人気を二分していた。

ラジオ歌謡には他にも「気象台のアンテナ」と言う曲があって好きな曲の一つだったが、あまり流行りはしなかった。

高校を卒業して20年ほど経った頃、久し振りにラジオから流れる「気象台のアンテナ」を耳にして過ぎし高校時代のあの日あの頃が懐かしく蘇ってきて、今更ながら「流行り歌」の持つ力に驚かされた。

その「ラジオ歌謡」で放送された曲で高校卒業以来ずーと気になっている曲が一つあった。

その曲は「気象台のアンテナ」よりも更に流行らなかったせいか、卒業以来現在に至るまで一度もテレビ・ラジオから流れるのを聞いたことがなかった。

音楽・曲の好みは人夫々(それぞれ)で、その時代に流行らなくても何故か気になる曲は誰でも一つや二つは心に秘めていると思う。

その気になる曲はどの歌集、ナツメロ集にも載っていなかった。

その歌を歌った歌手は「踊り子」の三浦光一ような人気歌手ではなかったし、それどころか歌を本業としない河井坊茶と言う喜劇俳優のような人だった。

今で云う「お笑い」のような事をラジオでやっていて、お世辞にも歌が上手いとは言えなかった。

河井坊茶のしゃがれた声で歌う奇妙な節回しのメロディーは今でも覚えているが、歌詞が想いだせない。

ネット検索を始めるようになって歌詞探しの検索の旅に出た。(続く)

 

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メジャー見物がバレて首になった横綱

2006-06-13 14:56:46 | 県知事選

ワールドカップで老いも若きも連日連夜大騒ぎ。

常日頃サッカーにはそれほど興味を持たなかった人も「世界大会」と冠がつくと熱狂するのはWBC野球大会で証明済み。

メジャーリーグ選手で構成されたアメリカ代表チームを押さえて日本チームが優勝したことは、ある一定以上の年齢の野球ファンにとっては信じられない出来事であった。

一昔前の野球漫画「巨人の星」に出てくる「大リーグボール」でも判るとおりメジャーリーグは遥か雲の上の日本人選手には手の届かない存在であった。

更に時代を遡る。

終戦4年目のの1949年(昭和24年)、戦後初めて来日したメジャーリーグの親善試合を見物する為に地位も名誉も、職業さえも棒に振った熱狂的野球ファンがいた。

その人は前田山英五郎、当時現役の力士で曙、小錦、高見山等の高砂一門の大先輩で第39代横綱である。
http://www.jtng.com/p41/p41-39.html

その年の10月、メジャーリーグのサンフランシスコ・シールズが来日した。

当時の事を記憶していた人の書いた某ブログによると、
「第一戦の相手はその年優勝した三原監督(!)率いる巨人軍(と言わないと当時の感じが出ない)で、この年に南海ホークスから移籍してきた別所が先発したが10対0で負けた。(略)そのあと全日本軍だの何だのが戦ったが、まったく歯が立たなかった。」(引用「上村以和於野球噺」)と、やはり当時のメジャーリーグは雲の上の存在であったようだ。

その野球ファン垂涎のメジャーリグの試合を、折りしも大相撲秋場所中の現役横綱が場所をサボって見物に行ったのだ。

横綱前田山は病気と偽って休場をしたが、横綱が現れたのは病院ではなくシールズの試合が行われた後楽園球場であった。

現在のようにテレビ等のメディアが盛んな時代ではなかったとはいえ、天下の現役横綱である。 しかも本場所中の。

一目を偲んだつもりで帽子でチョンマゲを隠し、馴れぬ洋服と黒メガネを着用したが、並外れた図体では先刻バレバレ。

それだけでも充分アヤシいのに、生来の野球好きのこの横綱、シールズのオドール監督とグラウンドで握手したのを新聞で報じられてしまった。

これが相撲協会の目にとまったからさー大変、「横綱にあるまじき無責任な行為」と問題視された。

14日目の土俵入りと千秋楽の取組出場を希望したが拒絶された上に引退勧告をされ、遂には引退に追い込まれてしまった。

メジャー野球観戦の為に名誉ある横綱の地位を棒に振ってしまったこの横綱、自らプレイングマネージャとしてチームを持つ程の野球好きが仇となってしまった。
  
日本人にとっては雲の上の存在であったメジャーリーグへの道は、事実上1995年の野茂英雄のロサンゼルス・ドジャース入団によって道がひらける。

だが、野茂のメジャー挑戦の33年前、日米の野球の実力差が天と地ほどあった時代にデトロイト・タイガースを相手にして、殿堂入りの強打者ケーラインを三振に討ち取り、投げた二回をゼロ点に押さえた日本人投手がいた。

しかも驚いた事にその豪腕日本人投手はプロ野球選手ではなくアマチュアの野球選手であった。

「アポロ13号」プロジェクトに参加した沖縄出身の知られざる日本人の事を前に当日記で紹介したが、http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/fb158f152aa1cbd0a78311
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その知られざる日本人同じく沖縄出身で、メジャーの強打者をキリキリ舞いさせた日本人投手がいた。

その男は、同じく米軍統治下の沖縄で職域野球のエースだった岸本繁夫投手(当時30歳)のことであった。

野茂投手がドジャースに挑戦する33年前、日本のアマチュア投手がデトロイトタイガースの強打者連を二回とはいえ零点に討ち取っていた事を知る日本人は少ない。

沖縄がまだ「日本であって日本でない」時代の、話題にはならなかったが痛快な物語である。

この物語については別稿で紹介したいと思っています。

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ワールドカップ 敵は体力とスタミナと猛暑だった!

2006-06-13 07:08:38 | 県知事選

ワールドカップ日本にとっての緒戦の対オーストラリア戦。

先取点を守れなかった。

対ドイツ親善戦の貴重な経験を生かせなった。

後半、敵は力と体力とスタミナにものを言わせ日本陣になだれ込んだ。

洪水のような破壊力でせきを切ったように疲労困憊の日本の防御提を踏みにじった。

疲れを誘う敵は外にもあった。  暑さ!

が、これは相手も同じだ。

やはり、先取点を取り返す為攻撃に布陣を変えた敵将ヒディンクの智謀が上回っていたのか。

いや、ブラジルチーム監督が言うように、やはり実力どおりの結果だったのか。

選手のことを一番知るのは監督だろう。

が、スポーツ観戦は5人集まれば5人のスポーツ評論家が誕生する。

ジーコ監督よ、クロアチア戦は選手の大幅入れ替えを実行して、選手に渇を入れよ!

中田選手いわく「次は勝つしかない!」。

その通り! 

                   ◇

サンケイスポーツ 2006年06月13日 更新

ジーコ日本、悪夢の逆転負け…後半残り6分からまさかの3失点

肩を落とす中田英と中村俊輔(左)

試合終了の瞬間、ガックリと肩を落とす中田英と中村俊輔(左)。このシーンが、衝撃の大きさを物語っている=撮影・小倉元司

W杯1次リーグ第4日(12日=日本時間同日、ドイツ・カイザースラウテルン)悪夢の惨劇だ。日本代表が、大会初戦で豪州代表に1-3で敗れた。前半26分に先制しながら、後半残り6分から3失点して痛恨の逆転負け。ジーコ監督(53)は、指揮官として初めて臨んだW杯であまりにも厳しい現実を突きつけられた。02年日韓大会に続く決勝トーナメント進出に向けて手痛い黒星となったが、残りはまだ2戦ある。ジーコ・ジャパンは、必ず巻き返す。

直視したくない現実。ジーコ監督は思わずピッチに背を向けた。1発、2発、そして3発…。後半39分から、ヒディンク豪州の放つ爆弾が日本を次々と直撃した。

「先制した展開から、この結果はまったく想像もしていなかった。難しい展開になった」

ジーコ監督

ベンチ前で頭を抱えるジーコ監督。まさかの逆転負けに声を失った=共同

ジーコ監督が唇をかみ締めた。W杯にはブラジル代表選手で3度、同代表首脳で1度の計4度出場も、監督としては初さい配。水色の長袖シャツにノーネクタイといういつもの勝負服で向かったが、シャツに汗が染みたときに待っていたのは悲惨な結末。率いた国を最近のW杯2大会連続で4強に導いている敵将、ヒディンク監督の笑顔とはあまりに対照的だった。

策が裏目に出た。前半26分にMF中村俊輔のゴールで先制。海外開催W杯で日本史上初の勝利へと前進した。しかし後半11分にDF坪井が足を痛めて退場。怪しい展開に、同34分からFW柳沢に代えてMF小野を投入。MF中田英が上がって1トップの下に俊輔、小野とトライアングルを組ませたが、「ヒデさんがボランチだと止めてくれたから楽だった。交代で役割が少しずつずれた」と俊輔。交代が混乱をもたらした。

逆に相手さい配はピタリ。ハーフタイムにジーコ監督は「カウンターを狙う」と指示したが、ヒディンク監督は「相手が引いてくればこっちのもの」と宣言していた。終盤、展開は敵の思惑通りに動く。後半39分、途中投入のMFケイヒルに守備の連係の乱れをつかれて同点弾を浴びる。さらにケイヒルに同44分、豪快にゴール左へ決められた。そしてロスタイム、これも途中出場のFWアロイージが3点目。「交代がうまくいった」と敵将に自画自賛を許した。

勝ち点を奪えなかった上、3失点は1次リーグ突破に向けて痛恨。だがジーコ監督は「昨年のコンフェデ杯も同じ展開。次に勝つしかない」と前を向いた。昨年6月のコンフェデレーションズ杯。初戦でメキシコに敗れたが、続く欧州王者・ギリシャに完勝し、世界王者のブラジルを2-2ドローと追い詰め、決勝トーナメント進出に限りなく近づいた。次戦18日のクロアチア戦に勝っての同じような展開を、理想図に描いた。

「がっかりしていても仕方ない!」

試合後のロッカー。ジーコ監督は、うなだれる選手に向けて大声を飛ばした。まだ歩みは進められる。指揮官ジーコのW杯初戦は悪夢となったが、大会をハッピーエンドにする可能性は、まだ残されている。

(須田雅弘)

■ジーコとW杯

ブラジル代表として78年アルゼンチン大会(3位)、82年スペイン大会(2次リーグ敗退)、86年メキシコ大会(8強)と3度出場。計14試合出場で5得点を挙げた。この3大会のチーム通算成績は12勝4分け1敗。また、テクニカル・ディレクターとしてベンチ入りした98年フランス大会は準優勝しており、同大会は4勝1分け2敗だった。4大会を合計すると16勝5分け3敗だが、公式記録で引き分けとなるPK戦2試合(1勝1敗)を「勝ち」「負け」で計算すると17勝3分け4敗。監督としては初のW杯で、通算“18度目”となるはずの勝利を目前で逸した。

【ヒディンクは】

豪州代表・ヒディンク監督は「日本のプレーを分析してきた。(同点の起点となった)スローインも練習していたし、すべてプランのひとつだった」と計算通りの勝利に胸を張った。日本の得点についても「明らかにGKに対するファウルがあった。それに対する正義の判断があったということだろう」とコメント。オランダと韓国をW杯4強に導いた名将のさい配が、32年ぶりW杯出場の豪州に大会初勝利をプレゼントした。


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お知らせ

2006-06-12 10:43:16 | 未分類
当ブログ開設して4ヶ月になるので、6月から夏のイメージのデザインに変えましたが、本文に横罫線が入って読みずらいという指摘がありましたので罫線の無いデザインに再変更しました。
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「狼魔人日記」が沖縄タイムス、琉球新報に勝った日

2006-06-12 07:14:51 | 県知事選

「狼魔人日記」が沖縄タイムス、琉球新報に勝った日

「シンドラーのリスト」の公表について当日記は6月7日のエントリーで県に警告をした。

その日のコメントで読者の松さんが「海洋博公園の駐車場にシンドラー社エレベーターがある」と書き込みがあり、スピルバーグさんが「死刑台のエレベーター」の恐れありと警告していた。

その時点での沖縄タイムス琉球新報を含む沖縄メディアは地元の「シンドラーのリスト」としてモノレールに設置された数点のみしか報道していなかった。

沖縄タイムスが「当社の調査によれば」ともったいぶって海洋博公園のシンドラーリストを報道したのは二日遅れの9日の夕刊が初めてだった。

◆沖縄タイムス 2006年6月日(金) 夕刊 7面 
 
 海洋博公園の駐車場に2基/シンドラー社製

 東京で死亡事故を起こした「シンドラーエレベータ」製のエレベーターが本部町の海洋博記念公園の立体駐車場にも二基設置されていたことが九日、沖縄タイムス社の調べで分かった。沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所は「これまでトラブルはなく使用に問題はないが、利用者の不安を考慮した」として、八日から使用を中止している。県内の同社製エレベーターは、判明分で二十二基となった。
 

更に遅れて琉球新報が海洋博公園のシンドラーエレベーターを初めて報じたのは更に二日遅れの昨日(10日)の朝刊であった。

◆琉球新報 2006年6月10日 社会

県内に34基、学校にも3 シンドラー社エレベータ

 東京都港区で起きたエレベーター事故の製造元「シンドラーエレベータ」製のエレベーターが、前身の「日本エレベーター工業」製を含め、秋田県を除く46都道府県に8834基あることが9日、同社が国土交通省に提出したリストで分かった。
 国交省によると、東京都の1703基が最多。6096基は同社が保守点検をしている。
 リストの内容は公表されていないが、施設や建物の名称、住所、設置した年などが記載されているという。
 琉球新報社の調べでは、沖縄分は、官公庁分の設置台数が11基、民間分が23基。官公庁施設は都市モノレール駅(4基)、海洋博記念公園(2基)、中城海上保安署(1基)、那覇地裁沖縄支部(1基)、小学校(1基)、2中学校(計2基)。
 首里勇治県土建部長はリストに学校が入っていることについて「すでに撤去済みとの情報もあり県としては未確認だ。調査を優先し教育庁に伝え早急に対応を取ってもらう」と強調。「(リストは)信頼性がないので、慎重に精査し、早めに設置台数を県民に公表したい」と話した。県は民間分の施設名の公表は慎重に行う方針。
 なお、リストの官公庁分には、県が設置を把握している農業研究センターと県動物愛護センターは含まれていない。
 今後、県はリストを基に設置個所を台帳から特定。管理者への点検を指示し結果の報告を求める。
 国土交通省への報告期限は28日。  (6/10 9:50)

 
6月8B日木曜日

その日、小さなブログ「狼魔人日記」がマスメディアに勝った

一寸オーバー?

6月7日当日記は「シンドラーのリスト」に関して初めてエントリーした。

その時触れた事故についての「ハインリッヒの法則」を判りやすく書いたコラムを見つけたので下記に転載する。

河北新報 河北春秋

自然科学に限らず、日常の営みの中にも法則はいろいろ存在する。突発事故に見えても陰に「ハインリヒの法則」が控えるのは有名▼これを無視すれば、とんでもない一大事を招く。東京で起きたエレベーターによる死亡事故。高校生には全く過失がないゆえ、理不尽も甚だしい。メーカーのシンドラーエレベータの責任は重大だ▼「1‥29‥300」がこの法則の唱えるところ。「一つ」の大事故の陰に「29」の軽い事故があり、そのまた陰に「300」の小さな事故がある―。どこぞの自動車メーカーの醜態は典型だった▼一つの重大事故の後、シンドラー製には全国から300件ものトラブルが寄せられた。妙な暗合でなく、法則の正しさと受け止めたい。メーカーや保守点検業者は、小さな不具合を無視し続けたと言われても仕方ない▼職場のリーダーにはPM理論が及ぶ。部下を叱咤激励(しったげきれい)するのがP型、和気あいあいがM型。双方備えていれば理想的だが、二人で相補い合ってもいい。事故を減らすために有効なことが実証されている▼「マーフィーの法則」もある。間違う可能性のあるものは必ず間違う―。ごく当たり前の理屈。例えば隣り合った配線があり、双方ともつなぐことができるといった状況だ。殺人エレベーターはどんな法則に支配されたのか。
(2006年06月09日金曜日 )

蛇足「ハインリッヒの法則」に関しては、当日記は「河北新報」にも勝った  

蛇足②:「自分で自分を誉める」自己陶酔のことを、沖縄方言では「同誉め」⇒「どぅーふみー」という。

 


 

 

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