🌸日本史の謎2
☆平安時代藤原一族が権威を誇れた理由
⛳直系化のルーツは12世紀頃の畿内で発生した
☆近世以降の日本では、父親に権威があり
*相続は長男のみの直系家族社会が主流を成していた
*直系化、明治以降加速され、社会そのものが直系的になった
☆朝鮮半島からの弥生文化や儒教伝来などのある程度影響したが
☆朝鮮半島からの弥生文化や儒教伝来などのある程度影響したが
*日本の直系化はそれとは無関係に、地理的、社会的要請から成り立った
⛳直系化する以前の日本「双処居住制」
☆日本の古代から院政時代後期、鎌倉時代初期まで
☆日本の古代から院政時代後期、鎌倉時代初期まで
*階級を問わず、「双処居住制」だった
*新婚夫婦が、夫の親または妻の親のどちらかの家に同居し
☆しばらくして夫婦二人だけに戻って出ていく「起源的核家族」
⛳サザエさん一家にみる起源的核家族
☆双処居住型核家族の痕跡は
⛳サザエさん一家にみる起源的核家族
☆双処居住型核家族の痕跡は
*漫画『サザエさん』のなかに見ることができる
☆長谷川町子さんの出身が佐賀
*連載媒体が九州のフクニチ新聞だったことも関係がある
☆漫画の読者があまり違和感を抱かなかったことがおもしろい
*日本人は、双処居住になじんでいたことを物語っている
⛳「妻問婚」という婚姻
☆『源氏物語』や『枕草子』が書かれた平安時代
☆『源氏物語』や『枕草子』が書かれた平安時代
*貴族階級は古いタイプの核家族の「バージョン」である
*母方居住の名残りともいえる「妻問婚」の婚姻スタイル
*夫は夜を妻のもとで過ごし、朝には帰っていくという通い婚
*妻問婚で生まれた子どもは、母方の一族が育てる
☆妻問婚でも、中国から伝播した父系原則、に影響を与えていた
*妻問婚で生まれた子どもは、母方の一族が育てる
☆妻問婚でも、中国から伝播した父系原則、に影響を与えていた
*妻問婚の慣習を利用して天皇家の後見一族となり
*権勢を振るった藤原家の天皇形成
☆自分たちの娘のところへ天皇を通わせ
*生まれた息子、次代の天皇候補を藤原一族で育てる
*母系ではなく父系の原理が入っている
☆双処居住制との関係をトッドは次のように要約する
*父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった
*母系ではなく父系の原理が入っている
☆双処居住制との関係をトッドは次のように要約する
*父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった
*家族システムがまだ主要部分では双処居住的であった日本社会
*父系制は補償的母方居住反応を生み出した
*最初はニュートラルな双処居住制だったところに
*最初はニュートラルな双処居住制だったところに
*中国から父系制が入り込んでくる
*反動形成的に、母方居住「妻問婚」が採用された
⛳直系家族の象徴たる天皇制は明治以降から
☆直系の象徴天皇制は明治以降の特徴となっている
*院政時代の後期よりも前には
☆直系の象徴天皇制は明治以降の特徴となっている
*院政時代の後期よりも前には
*天皇家に直系家族的な規定はなかった
*天皇の弟や皇后に皇位が継承されることがしばしばあった
☆弟や妻に相続されてから再び長男に戻る
☆弟や妻に相続されてから再び長男に戻る
*「Z型相続」が頻繁に行なわれ、長子相続と決まっていなかった
(敬称略)
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⛳出典、『読み解く世界史の深層』
「平安時代の藤原政権」「双処居住制」「直系家族」
(ネットより画像引用)
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