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「平安時代の藤原政権」「双処居住制」「直系家族」

2024年03月19日 | 社会
🌸日本史の謎2

 ☆平安時代藤原一族が権威を誇れた理由

直系化のルーツは12世紀頃の畿内で発生した
 ☆近世以降の日本では、父親に権威があり
 *相続は長男のみの直系家族社会が主流を成していた
 *直系化、明治以降加速され、社会そのものが直系的になった
 ☆朝鮮半島からの弥生文化や儒教伝来などのある程度影響したが
 *日本の直系化はそれとは無関係に、地理的、社会的要請から成り立った

直系化する以前の日本「双処居住制」
 ☆日本の古代から院政時代後期、鎌倉時代初期まで
 *階級を問わず、「双処居住制」だった
 *新婚夫婦が、夫の親または妻の親のどちらかの家に同居し
 ☆しばらくして夫婦二人だけに戻って出ていく「起源的核家族」

サザエさん一家にみる起源的核家族
 ☆双処居住型核家族の痕跡は
 *漫画『サザエさん』のなかに見ることができる
 ☆長谷川町子さんの出身が佐賀
 *連載媒体が九州のフクニチ新聞だったことも関係がある
 ☆漫画の読者があまり違和感を抱かなかったことがおもしろい
 *日本人は、双処居住になじんでいたことを物語っている

「妻問婚」という婚姻
 ☆『源氏物語』や『枕草子』が書かれた平安時代
 *貴族階級は古いタイプの核家族の「バージョン」である
 *母方居住の名残りともいえる「妻問婚」の婚姻スタイル
 *夫は夜を妻のもとで過ごし、朝には帰っていくという通い婚
 *妻問婚で生まれた子どもは、母方の一族が育てる
 ☆妻問婚でも、中国から伝播した父系原則、に影響を与えていた
 *妻問婚の慣習を利用して天皇家の後見一族となり
 *権勢を振るった藤原家の天皇形成
 ☆自分たちの娘のところへ天皇を通わせ
 *生まれた息子、次代の天皇候補を藤原一族で育てる
 *母系ではなく父系の原理が入っている

 ☆双処居住制との関係をトッドは次のように要約する
 *父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった
 *家族システムがまだ主要部分では双処居住的であった日本社会
 *父系制は補償的母方居住反応を生み出した
 *最初はニュートラルな双処居住制だったところに
 *中国から父系制が入り込んでくる
 *反動形成的に、母方居住「妻問婚」が採用された

⛳直系家族の象徴たる天皇制は明治以降から
 ☆直系の象徴天皇制は明治以降の特徴となっている
 *院政時代の後期よりも前には
 *天皇家に直系家族的な規定はなかった
 *天皇の弟や皇后に皇位が継承されることがしばしばあった
 ☆弟や妻に相続されてから再び長男に戻る
 *「Z型相続」が頻繁に行なわれ、長子相続と決まっていなかった
                       (敬称略)
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⛳出典、『読み解く世界史の深層』




「平安時代の藤原政権」「双処居住制」「直系家族」
(ネットより画像引用)

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