慶喜

心意気
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「時宗」「一遍」「賦算札」「名号至上主義」

2024年04月05日 | 宗教
🌸時宗宗祖・一遍

 ☆すべてを捨て去り全国を布教して回った遊行僧

踊念仏を提唱した捨聖
 ☆聖達のもとでは十数年にわたって浄土宗の教えを学び
 *父が亡くなるといったん還俗して家を継いだ
 *そのあいだに結婚して子をもうけたが
 *その後、財産をすべて処分してふたたび出家
 *伊予を発つて遊行の旅に出た
 ☆熊野の地に立ち寄ったとき、一遍は悟りを得る
 *すべての人々の極楽往生は信心に関係なく
 *誓願によって確定されているとの信仰を得た
 *人に「南無阿弥陀仏」との縁を結ばせようと
 *札を配りながら、全国を遊行した
 ☆布教活動の途中、の佐久で念仏を称えていると
 *人々が極楽往生できる喜びに包まれて踊りだした
 ☆一遍は亡くなるまで賦算札に生涯を捧げた
 *その間、私財を身に着けず
 *布教の拠点となる寺や教団を創ることもなかった
 *そこから「捨聖」と呼ばれている

その後の時宗
 ☆―遍の死後|こ成立した時宗集団
 ☆―遍は自らの教団を持つことに否定的だった
 ☆一遍の死後、念仏集団の指導者の真教
 *一遍とは違つて北陸や関東に長くとどまり教化に励んだ
 *その結果、各地に念仏道場ができ
 *それらの道場を拠点に時宗教団が成立した
 ☆南北朝時代から室町時代半ばに最盛期を迎えた
 *戦国時代になると、宗勢は急速に衰えた
 *江戸時代に入ると徳川家の保護を受けて大きく発展
 *現在は真教の流れをくむ遊行派が本流となっている

🌸時宗教え名号

 ☆「南無阿弥陀仏」の六字に絶対的な救済力がある

⛳遊行・賦算札・踊念仏の実践
 ☆法然は悟りに至るいくつかの方法から称名念仏を選びとった
 ☆親鸞は念仏を称えて、阿弥陀如来にまかせれば救われると説いた
 ☆一遍が説いた教えは、「名号至上主義」とでもいうべきものだった
 *「南無阿弥陀仏」の六字の名号そのものに絶対的な力があるので
 *阿弥陀如来の本願を信じても信じなくても救われるとした
 ☆一遍の教えは、遊行と賦算札によって広められた
 *遊行は衣食住そのほかすべての欲望を捨てて
 *諸国を遍歴しながら教えを広めるという方法
 ☆「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札を配る賦算
 *非常にわかりやすい教えである
 *多くの人々に念仏ヘの関心をもたせることができた
 ☆遊行、賦算札、踊念仏
 *シンプルな布教方法が庶民階級や武士に受け入れられ、時宗は興隆した
                          (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『比べてわかる!日本の仏教宗派』


「時宗」「一遍」「賦算札」「名号至上主義」
『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事他より記事画像引用)

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