🌸時宗宗祖・一遍
☆すべてを捨て去り全国を布教して回った遊行僧
⛳踊念仏を提唱した捨聖
☆聖達のもとでは十数年にわたって浄土宗の教えを学び
⛳踊念仏を提唱した捨聖
☆聖達のもとでは十数年にわたって浄土宗の教えを学び
*父が亡くなるといったん還俗して家を継いだ
*そのあいだに結婚して子をもうけたが
*その後、財産をすべて処分してふたたび出家
*伊予を発つて遊行の旅に出た
☆熊野の地に立ち寄ったとき、一遍は悟りを得る
*すべての人々の極楽往生は信心に関係なく
☆熊野の地に立ち寄ったとき、一遍は悟りを得る
*すべての人々の極楽往生は信心に関係なく
*誓願によって確定されているとの信仰を得た
*人に「南無阿弥陀仏」との縁を結ばせようと
*人に「南無阿弥陀仏」との縁を結ばせようと
*札を配りながら、全国を遊行した
☆布教活動の途中、の佐久で念仏を称えていると
*人々が極楽往生できる喜びに包まれて踊りだした
☆一遍は亡くなるまで賦算札に生涯を捧げた
☆一遍は亡くなるまで賦算札に生涯を捧げた
*その間、私財を身に着けず
*布教の拠点となる寺や教団を創ることもなかった
*そこから「捨聖」と呼ばれている
⛳その後の時宗
☆―遍の死後|こ成立した時宗集団
☆―遍は自らの教団を持つことに否定的だった
⛳その後の時宗
☆―遍の死後|こ成立した時宗集団
☆―遍は自らの教団を持つことに否定的だった
☆一遍の死後、念仏集団の指導者の真教
*一遍とは違つて北陸や関東に長くとどまり教化に励んだ
*その結果、各地に念仏道場ができ
*一遍とは違つて北陸や関東に長くとどまり教化に励んだ
*その結果、各地に念仏道場ができ
*それらの道場を拠点に時宗教団が成立した
☆南北朝時代から室町時代半ばに最盛期を迎えた
*戦国時代になると、宗勢は急速に衰えた
☆南北朝時代から室町時代半ばに最盛期を迎えた
*戦国時代になると、宗勢は急速に衰えた
*江戸時代に入ると徳川家の保護を受けて大きく発展
*現在は真教の流れをくむ遊行派が本流となっている
🌸時宗教え名号
☆「南無阿弥陀仏」の六字に絶対的な救済力がある
⛳遊行・賦算札・踊念仏の実践
☆法然は悟りに至るいくつかの方法から称名念仏を選びとった
⛳遊行・賦算札・踊念仏の実践
☆法然は悟りに至るいくつかの方法から称名念仏を選びとった
☆親鸞は念仏を称えて、阿弥陀如来にまかせれば救われると説いた
☆一遍が説いた教えは、「名号至上主義」とでもいうべきものだった
☆一遍が説いた教えは、「名号至上主義」とでもいうべきものだった
*「南無阿弥陀仏」の六字の名号そのものに絶対的な力があるので
*阿弥陀如来の本願を信じても信じなくても救われるとした
☆一遍の教えは、遊行と賦算札によって広められた
*遊行は衣食住そのほかすべての欲望を捨てて
☆一遍の教えは、遊行と賦算札によって広められた
*遊行は衣食住そのほかすべての欲望を捨てて
*諸国を遍歴しながら教えを広めるという方法
☆「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札を配る賦算
*非常にわかりやすい教えである
*多くの人々に念仏ヘの関心をもたせることができた
☆遊行、賦算札、踊念仏
*シンプルな布教方法が庶民階級や武士に受け入れられ、時宗は興隆した
☆遊行、賦算札、踊念仏
*シンプルな布教方法が庶民階級や武士に受け入れられ、時宗は興隆した
(敬称略)
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⛳出典、『比べてわかる!日本の仏教宗派』
「時宗」「一遍」「賦算札」「名号至上主義」
(『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事他より記事画像引用)
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