🌸三韓征伐を再現せよ(神裔たちの日清・日露戦争)2
⛳神武天皇よりも人気があった神功皇后
☆京都の祗園祭に、神功皇后をモチーフとする山車が3つある
☆神功皇后にゆかりのある地名や神社の数も、神武天皇より多い
*神功皇后の根強い人気を裏付けしている
*佐賀県の嬉野温泉その名の由来
*佐賀県の嬉野温泉その名の由来
(神功皇后が負傷兵を入浴させ傷が治り「うれしや」と述べたことにある)
*神功皇后が実際にそのような言動をしたという証拠はない
*地元の民衆が神功皇后の説話をありがたがり
*観光アピールに積極的に使っていたことが重要なのだ
*神武天皇が温泉の開湯に関わったという話は聞いたことがない
☆無名だった神武天皇だけでは説得力に欠けるので
☆無名だった神武天皇だけでは説得力に欠けるので
*『神武創業』『神功征韓』並列にされたのでは
*有名だった神功皇后も引き合いに出したのでは
⛳政府紙幣にも使用された神功皇后
☆神功皇后は、日本で始めて、政府紙幣に肖像が使用された人物
☆神功皇后は、日本で始めて、政府紙幣に肖像が使用された人物
*1円券、5円券、発行の10円券に、神功皇后の肖像が使用された
☆神功皇后札の肖像を手掛けたのは、イタリア出身の銅版画家
*各お札デザインが微妙に異なっており
*各お札デザインが微妙に異なっており
*版画家は、デザインにあたり、印刷局で働く女性職員をモデルとした
☆神功皇后の肖像は、政府起業公債の証書、 切手にも使用された
*日本の切手ではじめて使われた人物肖像も神功皇后だった
☆神功皇后は高い知名度を誇っていた
*日清・日露戦争の軍歌で登場するのも当然であった
⛳戦う女性は不要に?
☆現在の皇統譜では神功皇后は天皇として認められていない
⛳戦う女性は不要に?
☆現在の皇統譜では神功皇后は天皇として認められていない
*しかし、それはけっして決定的な理由でなかった
☆皇統譜の確定にはずいぶんと時間を要している
*弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇が追号されて
☆皇統譜の確定にはずいぶんと時間を要している
*弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇が追号されて
*正式に天皇になったのは明治時代
☆南北朝時代の天皇
*南北どちらを正統とみなすのかでずいぶんと紛糾があった
*皇統譜が完成は、南朝の長慶天皇が天皇に加えられた大正時代
☆戦前の体制や価値観は、徐々に形成されていった
*認定は、かならずしも学術的な成果に基づくものではなかった
*認定は、かならずしも学術的な成果に基づくものではなかった
*現在でも、たとえば弘文天皇は即位していなかった説も根強い
*政治状況次第で、またちがった皇統譜もありえたのだ
☆神功皇后が天皇に加えられた可能性もまったくないわけではなかった
☆神功皇后が天皇に加えられた可能性もまったくないわけではなかった
*結果として神功皇后は天皇に認定されなかった
☆皇統譜が確定しようとする時期
☆皇統譜が確定しようとする時期
*日露戦争が終わるころ、神功皇后の人気には翳りが差していた
*神功皇后の名前も軍歌などで見かけなくなった
☆神武天皇より高い人気を誇った神功皇后
*近代において女性は戦う存在ではなく
☆神武天皇より高い人気を誇った神功皇后
*近代において女性は戦う存在ではなく
*女性は、家を守る存在とされたから
☆日清戦争や日露戦争で数多くの軍神が登場した
*古代の皇后を持ち出す必要がなくなったことも大きい
☆日清戦争の直後
☆日清戦争の直後
*日本武尊の再来と呼ばれた皇族軍人があらわれた
*北白川宮能久親王がそのひとだ
*神功皇后よりも、当時の国威発揚にマッチする存在だった
(敬称略)
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⛳出典、『「戦前」の正体』
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⛳出典、『「戦前」の正体』
(祇園祭神功皇后山車)
北白川宮能久親王銅像
「祇園祭」「政府紙幣」「皇統譜」「北白川宮能久親王」
(『「戦前」の正体』記事・ネットより画像引用)
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