ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

重み

2008-12-19 17:09:00 | 時事(国内)
「お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、
自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の
成績表だと思う…」

先月亡くなった、筑紫哲也の言葉である。

亡くなった人の言葉はどこか重みがある。

彼は生前ヘビースモーカーでハイライトとマルボロの赤を
好んで吸ったそうである。ニコチンが強く、のどに強い圧迫感を
感じるタバコ好きの好む銘柄である。

また彼曰く、「長生きには、吸わないのがいいのか、吸うのがいいのか、
議論のあるところでね。たばこで死ぬ人も、糖尿など食い過ぎで
死ぬ人もいる。もう一つは、たばこや食に急ブレーキかけて、
そのストレスで死ぬ人もいる…」

これはおそらく屁理屈だろうが、彼が言うともっともらしく
聞こえる。

そして、「百害あって一利なしと言うけど、たばこの文化は悪徳が高い分、
深い。人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な
気がしますね…」

喫煙者には肩身の狭い昨今、これは非常に心強い言葉ではないだろうか?

でも、そんな文化ががんをもたらした、と聞かれると「そうとも言えない」
と首を振ったそうである。「たばこは、肺がんに直結しているようだけど、
たばこは引き金で、本当の原因はストレスなんだと…」

彼は最後まで自身の肺がんは、タバコが原因ではなく、仕事上のストレス
だと言い張ったそうだ。

「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。
それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、
なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も
働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。
そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど…。」

人間、終わりが近づくと、仏像や日本画をしみじみと見たくなるものなの
だろうか?

やはり亡くなった人の言葉はどこか、重みがあるものである。


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