ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

2023年の初滑りと瀬戸赤津焼

2023-01-10 11:12:25 | スキー
2023年の仕事始めは1月4日
中部圏は、自動車産業中心で経済活動。その自動車産業はまだ、正月休みなので会社に行っても開店休業状態。
なので、午前中に月初に必要なデータ収集をしてから午後半休。
ということなので、深夜までナイターをしている奥美濃のスキー場へ。
ETCの休日割合が無いので国道で。
ダイナランドスキー場、昔は大日岳スキー場、ナイター営業は18:00からですが、21:00からはレイトナイター営業としてナイター料金が安くなります。それを狙ってくるスキーヤーも結構います。以前は1,000円でしたが、今は1,800円。
煌々と明かりが。
夜の方がゲレンデのデコボコがカクテル光線ではっきりとするのでむしろ滑りやすいです、高速で滑走するのには。


反対側には別のスキー場のナイター。位置的には鷲ヶ岳スキー場かな。ここは週末にはここダイナランドよりも遅くオールナイト、日曜日の明け方までスキーが出来ます。


不思議とアジア系の若い人達が多かったです。スキー、ボードをうまく滑るというよりは雪で遊んでいる、そんな感じ
22:30がリフト最終、21:00から休みなく、一気に滑っていたので寧ろ、今シーズン、一番滑ったかもしれません。リフト5-6本、高速滑走なので脚がパンパンに。
23:00にスキー場を出て、すぐ近くの高速インターから名古屋へ。往路は名古屋から国道で3時間、復路は高速道路で1時間強。深夜割引になるように午前0時にインターを出て。
翌日は午前中半休をとって、嫁さんを初釜の準備に送ったあとは、愛知県瀬戸市にある雲興寺へ
東海道自然歩道がこの寺の前を通っているので、ウィーンデーとはいえ、正月休みのせいもあって多くのハイカー達が。

織田家、尾張徳川家とゆかりの深い雲興寺
ここの特徴は、なんといっても作られなくなった瀬戸赤津焼の屋根瓦の美しさ




太陽があがると刻々とその色を変えていきます。











この雲興寺は、盗難除けとして御利益のあるお寺としても知られています。
実は10年近く前に、駐車場に停めてあった車のカーナビが盗難に遭いました。車には全く傷なく、綺麗に?盗まれていました。とりあえずJAFを呼んで車をディーラーへ。この時、JAFの若い隊員さんと話をしていて、盗難防止は難しいと。色んな話をしている中で、結局は御守りかな?と。気休めですが、若い隊員さんも、実は盗難よけの御守りを車にはつけいてるとのこと。どこが御利益良いかな、と盛り上がったのも思い出。

昼から仕事に。

のどかな正月。























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2022年年末2023年始

2023-01-03 14:24:32 | スキー

年末には美味しいお酒を

下仁田ネギ

おでん

美味しいお酒を







海老芋






今年も美味しいお酒をいただきました。
美味しいお酒に感謝
年末年始はいつもの妙高赤倉へ。
姨捨SAからの大晦日の夜明け前の善光寺平。
スキー場に着くと2022年最後の夜明。夜明の太陽で赤倉山はモルゲンロート


今年最後のスキー。

ゲレンデ内にある山ノ神に、スキーの無事に感謝と今シーズンの無事を祈願
お昼は、個人的には一番美味しいランチと思う“ぽん太郎”さんで。
ぽん太郎さんのランチをいただくと、今年もスキーシーズン始まったな、と。
お昼をいただいた後は柿崎へ。
米山は雲の中。手前の田んぼには白鳥が落ち穂拾い。



代々菊酒造さんへ。
”吟田川“(ちびたがわ)の名前のお酒


かわいい入れ物にお酒を
今年も美味しいお酒、ありがとうございます

大晦日の夜は、居酒屋ぽん太郎さんで。
年越し蕎麦を
そして年越し。
新年の夜明
妙高山も神々しく
初詣は、妙高市の関山神社へ

関山神社は元々はお寺と一体となった大きな神社。明治時代の神仏分離で神社とお寺が分離。でも、片隅にお寺。
妙高山が御神体

多くの石仏

関山神社のあと、少し足を延ばして斐太神社へ。
お賽銭を入れると神主さんがお祓いをしてくれます。今の神主さんは、女性で、妙高山、火打山の山開きの時にもお祓いをしていらっしゃいます。
斐太神社横の鮫ケ尾城跡には雪は無く、のんびりと年明けの釣りを楽しんでいる人達も。
近くには間もなくの左義長の準備も
新年最初のランチはぽん太郎さんで牡蠣フライ。
新年早々美味しいランチを。
そして休日割引が無い高速道路を使わずに国道18号、19号で名古屋へ。

年明け二日の朝は名古屋の初詣

堀川に朝の暖かい光が。
熱田神宮へ。
名古屋の人達は、親しみを込めて“熱田さん”と。


御垣内へ。
本殿近くへ。
久しぶりにおみくじ。我が家は二人とも”中吉“。
その横では、前日のおみくじを回収。
この熱田神宮には、“信長塀”が。
桶狭間の戦に向かう織田信長がこの熱田神宮には戦勝祈願。そして勝利の後にこの塀を寄進したとのこと。
この熱田神宮の向えには源頼朝出生地が。父親の源義朝は熱田神宮の神官の娘と結婚したため。

そこから少し足を延ばして大須観音へ。



暖かな名古屋の正月
外国人の多い大須観音。こんな自販機も。
早速買って使うと、辛さとほんのりとした風味がクセになりそう。
この日は、昨年と同じく、中島みゆきさんの映画をその年初めての映画を。

閑かな、暖かな名古屋の新年。

そして40年の会社勤めを来年に終える、間もなくの正月。











































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懐かしいロマンスカー

2023-01-02 11:47:03 | 鉄道(模型)
今年最後の東京日帰り
富士山は雲の中
東京に近づくと日も差して来ました
実家のある杉並区の街路樹もすっかりと葉を落として冬の装い
通っていた小学校の向かえにある神明社、地元の人は天祖神社。東京にある伊勢神宮唯一の分社。

既に初詣を。
東京の人は里帰りするので正月には不在の人が多いのか、正月前の初詣のお誘いのポスターも。


初詣用の授産品も販売中
交通安全祈願を購入
名古屋の熱田神宮、妙高市の関山神社、の交通安全ステッカーに加えて三カ所目。

通っていた創立147年の小学校

小学校前の屋敷森も近くの病院移転のために多くの木々が伐採。


昔の鬱そうとした森の面影は既に思いでの中に。


いつもの喫茶店でモーニング

父の墓参りのために神奈川県登戸へ。
年末のご挨拶も

住職の息子さんが新年の正月飾りを
名古屋へ戻る途中に海老名にあるロマンスカーミュージアムへ


子供の時に小田急線沿線に住んでいた亡き祖母の家に行くとき、よく見ていたロマンスカー。
独特のミュージックホーンは子供時には憧れでした。
戦時中の戦闘機の設計技術者達が関わった初代ロマンスカー。流体力学の技術の美しい流線型は時代を経ても色あせません。
そして当時の国鉄と協力して東海道線で当時の狭軌の世界最高速度記録を。

2代目の二階建ての車両も展望車の予約はとるのが至難の業、結局乗ることができませんでした。
また、日東紅茶の社内デリバリー、”走る喫茶店“とも言われていました。

流線型の車体ですが今みると凄く狭く感じます。
特に”目線“で見ると天井の低さを。多分、当時の日本人の体格から言えば問題なかったのかもしれません。
同じ頃にデビューした名鉄(名古屋鉄道)のパノラマカーに比べても天井は低いです。
二階建ての運転席へは名鉄は外から乗り込むのに対して小田急は中から乗り込みます。名鉄では雨の日に運転手交代の時に、下で次の運転手さんが傘を差しだしたのも懐かしいです。

速度を上げるために採用された連接台車。
このロマンスカーの線路の継ぎ目の音が、いつも聞き慣れた“ガタンガタン、ガタンガタン”の2回ではなくて、”ガタンガタン“と1回だけ。これも子供の時には新鮮なものでした。






ジオラマも





年末年始は高速道路の休日割引無いので、名古屋に着くときに深夜割引の時間、深夜零時に着くように国道で。箱根新道を使って箱根峠越え
裾野市に近づくと夕暮れの富士山
結局、バイパスのお陰で、静岡市、浜松市といった大きな都市の街中を走らないため、スムーズに名古屋へ。
結局、名古屋には22:30に。
神奈川県から寄り道をしながら実際の運転時間は8時間。バイパスのお陰でスムーズに、そしてスバルのアイサイト、クルーズコントロールで楽に

























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12月に観た映画

2023-01-01 20:50:04 | 映画
最初は、時系列が中々繋がらず頭の中で整理しながら観ていましたが、すぐに、“生まれ変わり”の流れが。
輪廻的な、生まれ変わり、一つの思いが世代を超えて繋がる事を。
俳優さん達も素敵でそれなりに楽しめる映画
たった1週間、しかも名古屋ではミニシアターで1日1回の上映。
観てみて、素敵な映画と。
自殺に失敗したシェフが助けてくれた人のレストランを任されます。でも、最初は自殺する人の最後の晩餐を出すためのレストランとして。
しかし、家庭内暴力から逃げてきた女子高生との交流、自らの自殺の原因と向かい合い、助けてくれたレストランのオーナーも自然共に、そしてそのオーナー自身の“死ぬことから生きること”の変化によって、シェフ自身が”生きていくこと“に光明を見いだしていく、その変わる姿を。
表情の変化は少ないシェフ、しかし、ほんの僅かな目元、口元の変化、見事に。
本当に素敵な映画なのに、大手の流通にのらないと多くの人の目に入らない、もったいなさを感じる、本当に素敵な映画
室町時代から始まり、後には幕府への献上品として重用された山形の紅花
戦争中は贅沢品として生産を禁止。戦後、奇跡的にみつかった種からの復興
その紅花にかける多くの人達の思いを描いたドキュメンタリー。生産地山形のみならず、その”紅色“を出すために必要な“烏梅(うばい)”を作る唯一の生産者のいる奈良県月ヶ瀬村、その輸送を担った近江商人、その安全祈願のための大阪住吉大社、その紅花を使った染め物をする京都の職人達。その多くの人達の強い思いが、閑かに、でも、力強く感じます。
学生時代に仙台にいたので山形の紅花のことは知っていましたが、あの、黄色い花から”紅花“ができるのはとても不思議だったのを思いだしました。また、その当時、仙台発山形経由新潟行きの急行の名前が“べにばな”だったことも。
辺見じゅんさんの実話に基づいた著作の映画化。
満州からの引き上げについては、生まれる前に亡くなった祖父が満鉄で満州におり、そこで育った母親から昔よく聞きました。
この映画では命からがら逃げる日本人が描かれていますが、母親からの話ではもっと悲惨な、過酷な状況だったと。
悪名の高い、ロシアのシベリアの収容所の悲惨さは多くの人達が著しています。その中で、生きること、日本に戻るその希望を失わなかった主人公のその生き方には深く思うことがあります。そして、その彼が仲間たちへ影響を与えていく、その姿を俳優さん達が見事に演じています。
この映画の本当の思いは、やはり原題の”収容所(ラーゲリ)からの遺言“のほうが良かったかもしれませんね。
記憶の中にある、その人への思いが現れると。
16年ぶりの続編。
過去の映像は一切使わず。
当然これだけの年月が経つと社会情勢、島を取りまく状況は大きく変わっています。元は、無医村となる島の診療所の医者の問題として始まった映画。しかし、年月経つと、無医村の問題に加えて、高齢化、町村合併の問題が加わります。この年月はまさに、ある意味衰退した日本の姿を映し出しています。この問題は、離島の問題ではなく、大都会東京でも同じ、深刻な問題。高齢化、病院不足、人との繋がりの希薄。月に数回行く実家のある東京都某区、実は日本の近い近未来の姿として政府が色々と。確かに、子供に出会うことは少なく、逆にお年よりばかり。車で行くので東京の道路を走りますがデイサービスの車ばかり。母を病院へ連れて行こうとしたときにも病院不足、中々観てもらえず。無医村とは言わなくても“少医都会”。
しかも映画の孤島は人との繋がりありますが、都会では孤立。
この映画の歳月の経過、とても厳しく感じます。
とはいえ、とても大きな社会的課題をこの映画では人々は繋がりあってなんとか乗り越えようと。
主演の吉岡秀隆さんは、もう、終わり、と言っていますが、是非、時の過ぎたコトー先生を見続けていきたいと。









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