タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

たった独りの山旅

2021年01月13日 | 山歩きから
コロナ問題があって自由に山に行けないような状況が続いています。

自由に行けたとしても、今週は北アルプスで、来週は九州の山、来月は北海道に遠征、、、、

と言うような登山が出来るわけではありません。

今のタカ長が出来ることは小さな山歩きだけですが、それでもバスやJRを利用するのは億劫で、その小さな山歩きも自由にできない気分です。

    
              丘の上の歌姫さん撮影のワンショットです。


そこで紙上登山。

今は「忘れえぬ山」(串田孫一編・ちくま文庫)などを拾い読みしています。

ここに収録されているのはタカ長よりひと時代もふた時代も前の登山ですが、、、、、

その中の、植草彦次郎と言うまったく知らない人の「尾瀬の詩」という文章の一節が目にとまりました。

山旅も三日目になると疲れてはいるものの、誰にも会うことのない独り旅は淋しく、無性に人を恋うのであった。今日もまた誰にも会わないだろう、、、、、そう思うと、何か淋しく足が早まった。

この何気ない一節を読みながら、タカ長にもそのような山旅があったことを思い出しました。

    

タカ長にもテントを担いで独り歩いた山旅の経験があります。

その中には、たとえば、秘境と言われていた裏大山、いまは鏡ヶ成と言われ、国民休暇村があるところですが、当時は本当に何もなかった草地で、三日三晩雨に降りこめられたような、場所を特定できる山旅もあります。

しかし、どこをどのように歩いたのか、具体的なコースがまったく思い出せない山旅のほうが多いのです。

でも、その時の気持ちは植草のものと同じで、、、、、

人が恋しいのですが、人に遭うことが何となく怖いような思いがしたり、、、、、

何日も話していないので、そのとき声が出るか本気で心配になったり、、、、

そのような思いをしながら、山の上から人里を見下ろしていた山旅を思い出したのです。

山を下りて町に帰ると女性がキレイに見える、、、、

船乗りの人が言うようなことを感じた記憶もあります。

そのような青春時代の山旅を、植村彦次郎の何気ない文章から思い出しましたわけです。

タカ長の山ときどきタカ見は毎日更新するよう頑張っています。

こちらにもご訪問下さるようお願いします。



ラインは同じ

2021年01月10日 | 山歩きから
    

スマホから投稿したように、今朝50番鉄塔まで登ってきました。

自宅から自宅までの単純往復登山でしたが、途中では小さなドラマ(?)がありました。

目の前をシロハラが飛んだり、椿尾根ルートの渓流沿いにミソサザイの姿を見つけたり、、、、、

ルリビタキのオスが目の前に止まりましたが、コンデジしか持っていないので写真に撮れなくて悔しい思いをしたり、、、

たった半日の登山でしたが、タカ長には充実した時間でした。

    

この写真は下山のときに撮ったものです。

何の写真か分からないようですが、、、、

四つ足の動物の足跡がタカ長のラインと同じところを歩いているのが嬉しくて、上手く撮れないことは分かっていながらシャッターを押しました。

タカ長のラインと同じだ、と言うことは登るときから気づいていました。

他にも何ヶ所かありました。

その動物が何か、タカ長は動物の足跡を勉強していないので何も言えないのですが、、、、、

考えてみれば山を歩くのは彼らのほうが上手ですから、、、、、

タカ長が彼らの歩きそうなラインを歩いていた、と考えるほうが自然ですね。

でも、タカ長にはチョットだけ嬉しい動物の足跡でした。

その登山の様子をタカ長の山ときどきタカ見で、もう少し詳しく紹介しています。


登山道はけもの道

2021年01月04日 | 山歩きから
昨日も裏山を歩いてきました。

白樫尾根を登って桜尾根を下りる小さな山歩きです。しかし、、、、

当たり前のことですが、山の上とふもとは別世界でした。

    

この写真では分かりにくいのですが、黒く見えているところはイノシシ君が掘りかえしたところです。

そして手前の白いところ、ここは落ち葉の上に雪が薄く積もり、地面ともども凍っているところです。

さすがのイノシシ君も歯がたたなかった、、、、ではなくて、鼻がたたなかったようです。

    

写真で見ると何のことか分かりませんが、この登りは見た目より厄介でした。

雪の尾根になっているのなら、登山靴を蹴りこんで、、、、つまりキックステップで登ることも可能でしょうが、ここにはそのような雪はありません。

このようなところが3ヶ所あり、細心の注意を払って登りました。

高齢登山者はチョッとしたところで転倒・骨折、、、となったら大変ですから、、、、、。

このような登山を冬山登山とは言わないでしょうが、いつもの裏山歩きとはまったく違う緊張感を味わうことができました。

イノシシ君が嫌うけもの道は厄介な登山道になっていました。

今は気温が下がっているので、わが裏山の登山も油断できません。

タカ長の山ときどきタカ見では、仲間がタカ長ブログに寄せてくれた文章を紹介しています。

こちらにもお立ち寄り下さるよお願いいたします。


初めての冬山

2020年12月30日 | 山歩きから
タカ長にとって初めての冬山も伯耆大山です。

冬に県内の山や久住などに登ったこともありますが、タカ長にとっては伯耆大山が冬山のすべてです。

    
                 画像はネットより借用

初めての冬の大山、リーダーは広島高等師範学校山岳部OBのKさんでした。もちろん、筋金入りの登山者です。

大山北壁の下で、雪崩に埋まった遭難者を捜索しているのを眼下に見ながら宝珠尾根を登り、いわゆる「逆縦走」しました。

冬の大山縦走は、一歩間違えればあの登山家高見和成でも遭難騒ぎを起こすような難所です。

その尾根を4名で縦走しました。

その縦走を終えて下山にかかるころ天気が急変しました。

大山の頂上、弥山は凹凸の少ない広い山です。ここで吹雪かれるととても危険な山になります。

    
               画像はネットより借用

ホワイトアウトと言う言葉があります。

濃霧や吹雪のために視界がきかなくなる状態。地面と空の境界が分からなくなるので、空間を漂っているような気分になる。

と説明されています。

屁理屈を言うようですが、地面や空間が白い(ホワイト)のは太陽の光が届いているからです。ひどい吹雪になると太陽の光が届かなくて、まわりは夕方から夜に近い感じになります。ホワイトアウトではなく、グレイアウト。

その時もグレイアウトの状態になりました。それもブラックに近いグレイです。まさにピンチです。

しかし、リーダーのKさんは冷静沈着でした。さすが筋金入りの登山者です。

その時Kさんがどのようなことを考えていたのか、それを聞いていないのは、今となっては残念でならないのですが、、、、、

とにかく、少し歩いては地図と磁石で進行方向を確認していました。数メートル歩いては立ち止まって方向確認、と言うのは少しオーバーなのでしょうが、とにかく頻繁に確認していたことを記憶しています。

一度に長い距離を歩くとリングワンデルング(環状彷徨)する危険があるからでしょうが、それにしてもあの状況下であれだけ冷静な行動がとれるのはタダものではありません。

お蔭さまで無事にピンチを脱出し、無事に下山出来ました。

    

これは夏の写真ですが、冬の大山の山頂部はいつも雲にかくれ、その中は厳しい状況になっています。

下山して、頂上部分が雲に隠れている山を見た時、涙が出てくるようでした。それまでの緊張が一気にほぐれ、生きて帰ったことを実感できました。

誇るものなど何もないタカ長の山歴ですが、健康登山の世話をするようになってからは、何度か死にそうになった経験を持っていいることだけは誇れるもの(?)だと、自虐的に考えるようになりました。

冷静沈着なKさんも人の子です。何かの間違いを犯してもおかしくありません。

もしあの時にKさんが判断ミスしたら、、、、、
もしあの時タカ長が仲間とはぐれたり、、、、、体調をくずしていたら、、、、、

何が起こったかわかりません。まさに紙一重の生還でした。

初めての冬山は死に損なった(?)最初の山でもあるのです。


最後の山

2020年12月29日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は12名が集まりました。

その12名は、家では邪魔者の男性ばかり邪魔者はタカ長だけだと言う声が聞こえるような、、、、

この時期には女性の参加者はいませんでした。

その12名の目的地は山上の古刹、極楽寺。今年1年のお礼参り、と言うことでしょうか。

    

展望台からの風景です。

ぼんやりともやっていて、遠くの山は見ることが出来ません。

ここから四国の石鎚山が見えるのですが、今日はダメ、石鎚山なんて夢のまた夢の感じでした。

    

    

風を感じながら登ったのですが、牛池はご覧のような鏡状態でした。

モデルが悪いので勝負できませんが、水面の状態だけなら北アルプス鏡池に負けていない感じです。

鏡状態のときが多い牛池ですが、それにしてもこれほどきれいなのは珍しいように思いました。

     

今日の記録です。

気候が良い時はどこかで弁当を食べて帰るプランですが、今は寒いのでほとんどノンストップで歩きました。

アルカディアヴィレッジが閉鎖されたことが、このような時にこたえます。

最後にウラジロを採るために横道にそれましたが、それを除けは丁度4時間の山歩きになります。

皆さん急いでいる(?)ので足もとに目が届かないのでしょうが、、、、、

    

登山道のど真ん中にこのようなものがありました。

帰りに採るつもりでスルーしたのですが、、、、、

ウラジロを採るために横道に入ったら、このナメコを採るのを忘れてしまいました。

こんなことでは人のことは言えませんね。

これが仲間たちとの、そしてタカ長にとっても今年最後の山歩きです。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は正反対のタイトルです。

こちらにもお立ち寄りください。





ラインが消えた

2020年12月26日 | 山歩きから
ラインが消えた、と言ってもあのLineではありません。

タカ長が山を歩いている時に見ている、登山道の上の「目に見えないライン」のことです。そのラインのことで他の登山者と話したことはほとんど無いので人さまのことは分からないのですが、タカ長の目には確かに見えています。

たとえば、裏山の椿尾根ルートのように広い登山道でも、その日そのとき自分が一番楽に登れそうなラインがあり、そのラインに沿って歩いています。

登山道の上にトラロープのようなものが延々と伸びている感じです。そのラインに沿って歩くのが習い性になっていますから、平素は深く意識することはありません。

ところが、そのラインが突然消えてしまった経験をしたのです。

    


今年の5月はじめに広島・山口県境の鬼が城山に登りました。

山頂から北に縦走して、馬頭観音の近くから東に下りれば半日コースですが、その日はさらに北方向に歩いて、冠高原の松の木峠を目指すことにしました。タカ長にとっては初めてのルートです。

北方向にルートを取ってしばらく行くと深い笹が現れました。ソロ登山で他に登山者がいないので写真では分かりませんが、背を没するほどの笹です。

当たり前のことですが、ここではそのラインを見ることが出来ません。

苦労してここを通過すると再びラインが見えてきました。

    

875メートル地点の近くでゆっくりとランチタイム。
初めてのルートですが、このあたりはラインが見えているので不安はまったくありません。

昼食を済ませて活動を再開、そのラインにそって下りて行きました。

    

特別な地形があったような記憶はありません。

このような感じのところを歩いて行きました。そして、、、、

    

このような広いところに出ました。放牧地だったところのようです。

ここに出るとそれまで見えていたラインが突然消えてしまったのです。

いくら凝視してもラインは見えません。ルートを間違ったのかと思いひき返してみると、そこまで歩いて来たラインはハッキリ見えるのです。

そのラインを補足するようなテープもありました。

再び広いところに出て見ましたが、どんなに見てもラインが見えないのです。

同じことをくり返すこと3回、どうしてもラインが見つけられないので、有視界飛行ならぬ有視界歩行で松の木に下りることにしました。

     

ローカルな山の地図を出しても意味ないでしょうが、矢印のところでラインが見えなくなりました。タカ長には初めての経験です。

    

このあたりは放牧が行われていたところです。その頃のものでしょうか、古びた柵のような物も残っていました。

今は荒れ地になっているところもあれば畑も見えました。

そのようなところにはラインが残らないのでしょうか?

その原因はタカ長には分かりませんが、ラインを読むことがすべてのルートだったら困ったことになったはずです。

その時は進むべき方向も分かっていたので問題はありませんでしたが、ことラインについてはまったく見えなくなり、マジあわてました。

そのような経験をして、いつも目に見えないラインに沿って歩いていることを実感したわけです。


ノルマを達成したので

2020年12月25日 | 山歩きから
仲間たちとの裏山歩き、タカ長は今年のノルマを達成したので楽をさせてもらえると思っていました。

ところが、仲間が言いだしたのは荒谷林道から71番鉄塔に登り、尾根を南下して50番鉄塔に行き、椿尾根を下りるコースでした。

その提案をしたのは2軍選手だったはずですが、最近は膝の調子も良くなったようで、ジャイアントコースを登りたいとも言っています。

体調が良くなるのは良いことですが、タカ長の歩けないコースを提案することだけは止めてほしいものです。

    

いつものように自然歩道を歩いて荒谷林道へ行き、、、

ラストを歩きながら71番鉄塔への尾根道にとりつきます。

    

山だから多少の急登はありますが、無事に71番鉄塔まで登りました。

前回と違って北から南へ歩く感じになります。

稜線には風があるので71番鉄塔はほとんどノンストップで通過です。

    

窓ヶ山の山頂部に陽が射していい感じだったのですが、手前のブッシュを避けるところまで移動していたら、このような感じになってしまいました。

上空は風が強くて、雲の流れが早いようです。

    

50番鉄塔もノンストップで通過。

天気図が冬型の間は、カフェ50でコーヒータイムとはなりません。

この寒波が去らない限り、瀬戸内のおだやかな里山にはならないようです。

    

この軌跡を反時計回りに歩きました。

タカ長たちの縄張り(?)を半周以上した感じです。

累計の標高差が485メートルで、歩数は14,640でした。

別に誇るような数字ではありませんが、年寄りには丁度いい半日登山でした。


こりゃぁ戦力外だ

2020年12月23日 | 山歩きから
    

負け惜しみで言うのではありませんが、タカ長はこれまで百名山を意識して登山をしたことはありません。

それでも、、、、何となく、、、、40座くらいは登っているのでは、、、、、

と思っていました。ところが、、、、

「山と渓谷」2021年1月号が百名山のことを特集していたので、これを機に、これまでに登った百名山をチェックしてみました。

すると、、、、たったの32座だけでした。

若いころから登山を楽しんできてこの数字、百名山を意識しないで登っていたとは言っても、チョッと少ないように感じています。

    

そこでチョッと乱暴な計算をしてみました。「山と渓谷」の付録であるData Bookを見て、、、

百名山 花の百名山 標高ベスト100 そして都道府県の最高峰

その数字を単純にトータルすると分母は347になります。その分母の上に、、、

百名山の32や、上記の山に登った数を単純に加えて登頂率みたいなものを計算したら、、、、

たったの2割9分1厘でした。

この数字、野球なら何とか1軍に踏みとどまることができそうですが、一流選手とは言えないようです。

これが登山者ならどうなるのでしょうか???

下手をすると戦力外通告されそうな???

    

ピークハント型の登山をしてこなかったのでこのような数字になったのだと思います。

伯耆大山には何度も、何度も、何度も、何度も登ったとか、、、、

石鎚や久住にも何度も行った、、、と言うような登頂回数を分子にしたら、

間違いなく10割を超えているはずでが、、、、、

でも、このような計算には意味がありませんね。

そのような数字より意味があるのは日々積み重ねている数字です。

    

YAMAPに記録されているタカ長の獲得標高です。

数字が明記されていないところをグラフの高さから類推して計算したら67,265メートルになりました。

ほとんどが裏山歩きで、大きな山に登ることのなかった2020年ですが、それでもエベレストを、インド洋の海面から7.6回登るだけの標高をかせいでいます。

1回あたりにすれば450メートルに満たない標高ですが、継続すればバカにならない数字になります。

同じ数字遊びでも、このような生きた数字のほうが励みになります。

百名山などの成績は散々のタカ長ですが、この数字だけは伸ばしてゆき、、、、

来年もエベレストに数回登るつもりです。



ノルマ達成だぁ!

2020年12月22日 | 山歩きから
仲間たちととの裏山歩き、今日は16名が集まりました。

タカ長には今年150回目の山歩き、ノルマ達成の山歩きです。

そのためではありませんが、いつもいつも同じルートでは面白くないので、今日は二郎杉の尾根を登ることにしました。

小さな沢を渡渉して、裏山温泉イノシシの湯のそばを通って尾根に登るまではチョッとだけワイルドなコースです。

尾根に登るまでタカ長が先導、この間は写真を撮りませんでした。

        

二郎杉の前で記念撮影。

この二郎杉は麓から見てもそれと分かる、抜きん出て大きな木双幹の杉ですが、この記念撮影ではその雰囲気は分からないようですね。

    

記念撮影が済むと仲間たちは出発。

三脚を片づけていたタカ長は置いてきぼり(?)の感じになります。

しかし、そこからも急登が続くので、すぐに追いつきます。

    

特別な急登コースではありませんが、斜度としては椿尾根ルートよりきついところがあります。

しかし、登山道は椿尾根ルートほどは荒れていないので、特に問題はありません。

たまに歩くだけなので、実際よりきつく感じるのかも???

    

障子岩まで登りました。

天気は晴れですが、空気はもやっていて眼前の安芸の宮島もぼんやりとしか見えません。

写真にはほとんど写っていない感じですね。

    

障子岩から小さなアップダウンをくり返して牛池林道に合流。そのすぐ先が牛池です。

登る前は立戸岩まで登ろう、と言う人もいましたが、早めに下山したい仲間もいたので、ここからひき返すことにしました。

チョッときつい思いをした仲間もいたようですが、、、、、

とは言っても全員問題なく歩けるのですから、高齢グループとしては合格だと勝手に思っています。

    

寒いので、、、、牛池で油を売って、、、、と言うようなことが出来ません。

歩数も1万と少し、椿尾根ルートを単純に往復するのと同じような数字ですが、、、、

いつもとは違うコースを歩くと新鮮なものを感じます。

そのことが嬉しい、ノルマ達成の山歩きでした。


冬の陽だまりハイク

2020年12月21日 | 山歩きから
    

昨日の軌跡です。

と言っても見えているのは左端の鬼ヶ城山手前に少しだけ。

山頂手前の八畳岩までしか行きませんでした。

当初の予定ではこの赤い軌跡をたどり、上部の緑印あたりから右下に下りて、西広島バイパス(赤い線)を走る路線バスを使って帰るつもりでした。

ところがコロナウイルスの感染者急増、人口10万人あたりの感染者は東京の次になりました。

このような状況になると能天気なタカ長も公共交通を利用する気になれなくて、八畳岩からひき返すことにしたわけです。

    

私たちの山グループはこの時期「冬の陽だまりハイク」と称して、広島湾ぞいの低山を歩いてきました。

特別なものは何もない山ですが、海のほうを見るとおだやかな光る海が見え、、、、

昼休憩もそのような風景を楽しんでいました。

    

ところが、今年は寒波襲来、湾岸沿いの低山のすぐそばまで雪雲が襲来しています。

そのうえ低温、年末には最高気温が2℃と言うような予報もあります。

このような状況を見て戦意喪失、しばらくの間は昨日のような自宅から自宅までの山か、裏山のように登山後の体が冷える前に自宅に帰れる、近場の山にマイカーで行くだけに決めました。

新年を雪の中に張ったテントの中で迎えるのが常だった若い日がウソのようです。

    

裏山でも光る海は見えますが、しばらくはスッキリとは晴れないようです。

でも、仕方ありません。

タカ長がイメージする冬の陽だまりハイクはコロナがおさまり、寒波が遠のくまでお預けにします。

    

年が明けたら、、、、、と期待したいのですが、、、、、

このような状況では1月いっぱいはバスに乗る気分になれないでしょうね。