タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

おらが村の氏神様

2020年12月28日 | 日々雑感
団地の編集長はいま、団地新聞の新年号づくり、突然降ってわいたような企画をかたちにするために奮闘しています。

正月に各戸配布することは不可能なのですが、新年号なので氏神様を紹介するページがあります。

    

この神社、タカ長が子どものころの野球場でした。その頃は今のように整備された広場ではありませんでしたが、一応野球らしきものは出来ました。三角ベースの野球ではありません。

子どもの遊び場だった神社なので、正直言って有難い神社だと思ったことはありません。

しかし、高齢になって「歴史散歩」などに参加するようになり、神職も常駐していないこの神社が古い歴史を秘めていることが分かってきました。

    

タカ長が興味を引いたことのひとつがこの「右三つ巴」のご神紋です。

この神社は八幡(やはた)神社と言いますが、、、、、、

平たく言えば明治の一村一神社の勅命によって合併された神社です。

    

その前身のひとつ「中須賀村の八幡神社には、神功皇后が瀬戸内海を航行されたとき立ち寄られ、八幡の神を祀られたと言う言い伝えが残されています。

このことがタカ長が育った八幡(やはた)村の起源になっています。

左三つ巴の神紋は八幡神社の祭神・誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇を祀った神社で使われています。後に源氏の守り神になりました。

右三つ巴の神紋は息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后に縁のある神社でわずかに使われているだけだそうです。

    

その証拠写真みたいなものです。

神紋は右三つ巴の神社ですが、軒先瓦は左三つ巴になっています。
軒先瓦を右三つ巴にするためには特注する必要があり、そのためには多額な費用がかかります。

そのため軒先瓦は全国どこでも使われている左三つ巴にしている、と言う説明を受けました。

以上のようなことを団地新聞で紹介することは紙数の関係で出来ませんが、私たちの氏神様は、かの有名な神功皇后に縁があり、全国的には数少ない右三つ巴の神紋が使われていることだけは知ってほしいと考えているのです。

神社に初詣される人は多いと思いますが、そのとき神紋に注目されてはいかがですか?

そこから面白いものが見えてくるかも分かりませんよ。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は別記事です。

是非、お立ち寄りください。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿