タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

石城山を歩く

2014年12月24日 | 山歩きから
    

昨12月23日は山口県光市の石城山(いわきさん)を歩いてきました。

石城山(362m)は古代朝鮮式の山城跡として有名な山で神籠石と呼ばれる石積みが頂上8合目付近を約2.5kmにわたってとりかこんでいます。

この山には車で登ることもでき、十年以上前に仲間たちといったことがあるのですが、今回は歩いて登りました。

神籠石といっても私たち素人には単なる石積みにしか見えないので、今回はガイドをお願いしました。私たち14名に対して二人のガイドさんが来て下さいました。

    

お二人とも男性で、その意味では色気がありませんが、それでも終始楽しくあることができました。

当初の予定では12時には下山するつもりでしたが、ガイドさんに対する質問が多かったのか、ガイドさんが詳しく話して下さったためか、予定を1時間以上遅れての下山になりました。

    

    

    

石城山には四つの水門跡がありますが、私たちは西水門⇒北水門⇒東水門と歩きました。

この水門は、いってみれば排水口のようなものらしいのですが、現地の人は「山姥の穴」と呼ばれているとか、、、、、、

そのような話をうかがいながら行くと、、、、、

    

最初の写真に見えた龍尾石にたいする龍石、龍の頭間を意味する石が現れ、、、、、

    

ガイドさんの話では、龍の口がだんだんと開いてきている、ということでした。

お分かりですね。女性の頭のすぐ上の石が龍の顎に当たるところです。

    

    

ご覧のように全身を使って説明されていますね。

このあたりは石の表面も滑らかで、遠目で見るとまるで一枚岩のように見えます。重機も何もなかった時代にどのようにして工事したのか、素人のタカ長にはそのことだけでも不思議に思えてきます。

    

これは「沓石」の説明をされているところです。この沓石は北門の柱礎の一種と考えられているもので、左右一対がありますが、原位置にあるのはひとつで、もうひとつは右上のほうにありました。騎兵隊のころ若者たちが力自慢のために動かしたのでは、、、、、ということです。

ガイドさんの手が示しているのは門の止めになっているところです。

    

これは「東水門」のところで写したのですが、このあたりの風景だけは記憶に残っていました。

もちろんそのときはただ歩いただけで、水門が何のことか分かりませんでした。

    

今回はじめて知ったことがあります。それがこの「人枡」です。何でもない単なるくぼ地に見えますが、これが人枡だということでした。

デジタル大辞泉によると人枡とは昔、軍勢をその中に入れて人数をはかるため城外に設けた枡形と書かれていました。

むかしはここに大きな松の木があり、その松の木を目印に登ってきた里人をここではかり、この人たちはA工区、この人たちはB工区、、、、、というように使っていたそうです。

そのようなことをしなくても人数を数えれば済むことなのに、、、、、、とタカ長は思ったのですが、、、、、

いずれにしてもこの「人枡」ということは、この歳になって初めて知ったことです。

今回はガイドさんと楽しく歩くことができました。このガイドの問い合わせは石城山のふもとにある三国志城博物館にして下さい。女性の館長さんが親切に対応して下さいますよ。


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