久しぶりに歴史散歩に参加しました。
今日のコースは都志見往来。広島藩士で名絵師であった岡民山が1797年(寛政9年)に山県郡都志見にある名瀑の駒ヶ滝を見物するたびに出て、その道中記「都志見往来日記」をしたためました。(みん山のみんは山偏に民と書くのですが、タカ長はその字を出すことが出来ませんでした)
そのあとを訪ねるのが今日の目的です。
画像はネットより借用
そのルートですが、私たちが歩いたのは広島市から五つ目のマーク、白丸が見えるところ(寺田)の近くです。
このコースは昨日の裏山歩きで歩いた道と重なるのにですが、、、、
そしてそのことは昨日も認識していたのですが、しかし、、、、、しかし、、、、
勉強しないとダメですね。
昨日紹介した、渓流沿いの道を歩いている写真のすぐそばに、、、、
この「宮風呂(新宮神社)」があることは知りませんでした。昨日の写真の渓流の下流、その右側のスギ林の中にあったので昨日は気づかなかったのですが、、
それにしても残念でした。昨日の道からわずか20~30mばかり入ればこのような神社があるのですが、杉林の中だったので気づかなかったのです。
ハッキリ言ってしまえは、お世辞にも立派とは言えない素朴な神社でしたが、、、
その裏には祭神だと思われる大きな岩もありました。
人知れず管理されている人もいるようでした。このそばの道が都志見往来で、岡民山も絵を残しています。
昨日はこのそばの車道を隣の団地に向けて歩いたのですが、、、、、
先生の案内で歩いた都志見往来はこのような道、車の往来を心配しないで済む道でした。
「歩けば歴史が見えてくる」とはこの講座で教わった言葉ですが、歩かないと道も見えません。
その道を歩いて、昨日歩いた道を横断して都志見往来を歩くと、そこは幹線道路ではなくて、車も少なく、、
その道からは、、、、
わが裏山や、昨日歩いた団地が見えました。
そう、今日のコースはわが裏山をめぐるコース、と言っても間違いないのです。
しかし、そのコースの多くは市街地の道で、車も多いのですが、そこから一歩入った旧道は車も少なく、、、
道路の真ん中で説明を受けました。ここは寺田ですが、、
画像はネットより借用
都志見往来に描かれた民山の絵で、左が宮風呂、右が寺田です。
その時代と今は風景が全く違うのでよくわからないのですが、自分が育った村の風景がこのように描かれていることを知るのは悪い気はしません。
勉強不足のタカ長は都志見往来について気の利いたことは書けませんが、、
この歴史散歩に参加して思うのは、タカ長が育ったところはすごい所だったということです。
そのことに気づかせてくれるだけで参加した意味あり、ということですね。
今日のコースは都志見往来。広島藩士で名絵師であった岡民山が1797年(寛政9年)に山県郡都志見にある名瀑の駒ヶ滝を見物するたびに出て、その道中記「都志見往来日記」をしたためました。(みん山のみんは山偏に民と書くのですが、タカ長はその字を出すことが出来ませんでした)
そのあとを訪ねるのが今日の目的です。
画像はネットより借用
そのルートですが、私たちが歩いたのは広島市から五つ目のマーク、白丸が見えるところ(寺田)の近くです。
このコースは昨日の裏山歩きで歩いた道と重なるのにですが、、、、
そしてそのことは昨日も認識していたのですが、しかし、、、、、しかし、、、、
勉強しないとダメですね。
昨日紹介した、渓流沿いの道を歩いている写真のすぐそばに、、、、
この「宮風呂(新宮神社)」があることは知りませんでした。昨日の写真の渓流の下流、その右側のスギ林の中にあったので昨日は気づかなかったのですが、、
それにしても残念でした。昨日の道からわずか20~30mばかり入ればこのような神社があるのですが、杉林の中だったので気づかなかったのです。
ハッキリ言ってしまえは、お世辞にも立派とは言えない素朴な神社でしたが、、、
その裏には祭神だと思われる大きな岩もありました。
人知れず管理されている人もいるようでした。このそばの道が都志見往来で、岡民山も絵を残しています。
昨日はこのそばの車道を隣の団地に向けて歩いたのですが、、、、、
先生の案内で歩いた都志見往来はこのような道、車の往来を心配しないで済む道でした。
「歩けば歴史が見えてくる」とはこの講座で教わった言葉ですが、歩かないと道も見えません。
その道を歩いて、昨日歩いた道を横断して都志見往来を歩くと、そこは幹線道路ではなくて、車も少なく、、
その道からは、、、、
わが裏山や、昨日歩いた団地が見えました。
そう、今日のコースはわが裏山をめぐるコース、と言っても間違いないのです。
しかし、そのコースの多くは市街地の道で、車も多いのですが、そこから一歩入った旧道は車も少なく、、、
道路の真ん中で説明を受けました。ここは寺田ですが、、
画像はネットより借用
都志見往来に描かれた民山の絵で、左が宮風呂、右が寺田です。
その時代と今は風景が全く違うのでよくわからないのですが、自分が育った村の風景がこのように描かれていることを知るのは悪い気はしません。
勉強不足のタカ長は都志見往来について気の利いたことは書けませんが、、
この歴史散歩に参加して思うのは、タカ長が育ったところはすごい所だったということです。
そのことに気づかせてくれるだけで参加した意味あり、ということですね。
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