友だちからの提案で、今度は小学校のクラス会を開くよう準備しています。
と言っても、日時と場所を決めて、出席できる人は来てください、という案内をするだけ、、、
幹事としては超横着な幹事、ということになるクラス会です。
そのような方針で準備を始めたら、提案者のご主人が病気になって今月末の会合は無理になりました。
このようなことが普通に起こるのが高齢者なのです。
今日の裏山。71番鉄塔からの展望ですが、このように晴れても何となくもやっています。
ということが今日の話題ではなくて、年寄りの愚痴話みたいなことを書きます。
いま、斎藤茂太さんの「老いは楽しい」という文庫本を読んでいますが、これを読むと著者も色々なドジをされていることが分かります。
少し前のことになりますが、中国の成都を旅されたとき、目にする女性が皆さんモデルのように容姿端麗、美人の町だなぁと勇んで写真を撮って宿に帰り、カメラを見たらフィルムが入っていなかったとか、、、
そのほかのドジを紹介されています。
あるとき自宅に電話しようとしたら電話番号が分からない、手帳を取り出して見ても自宅の電話番号は書いてない、、、、、
みずからの落度などとはおもうなよ わが細胞は刻々死するを
というのは著者の父、斎藤茂吉晩年の歌だそうです。
かの有名な歌人、斎藤茂吉がこのような歌を詠むわけですから、タカ長のような凡人がドジをするのは当たり前のことで、、、
タカ長たちのグループでは、ドジをしても笑って許してね、、、、とお願いしています。
この場合のドジはタカ長のドジですが、そのようなことをする可能性があるのはタカ長だけではないので、いまではこれが私たちの活動の基本方針のようになっています。
誰かがドジをしても犯人捜しはしない、要するの笑って許すこと。
お互いが似たりよったりの状態ですから、犯人探しをしても得るものは何もない、ということです。
日に幾度にても眼鏡をおきわすれ それを軽蔑することもなし
これもまた斎藤茂吉の歌です。
眼鏡を置いた場所を忘れても、二階に上がって、何をしに来たのか分からなくなっても、それを軽蔑することはないのです。
歳をとればそれは普通のことであり、おなじように今日元気でも明日は風邪で臥すことがあっても、そのこと自体を問題にする必要はありません。
歳をとるということは、そのようなことが起こるということですから、、、、、。
今日も相棒と裏山を歩きましたが、、、、
帰宅して昼食を済ませてからしばらく休むようになりました。昼食後即行動、ということにはならなくなりました。
これもまた歳をとるということ、だからと言ってダメになったと卑下する必要もありません。
歳をとるということはこのようなことなのですから、、、、、、。
山からのお土産です。
ヒラタケですが、このようなキノコにはライバルがいなくて、一度見つけてしまえばほとんどすべてが私たちのものになります。
それは嬉しいのですが、、、
これまでたくさん採れた木が朽ちてきて、ヒラタケの採れる木が少なくなっているのが気になっています。
と言っても、日時と場所を決めて、出席できる人は来てください、という案内をするだけ、、、
幹事としては超横着な幹事、ということになるクラス会です。
そのような方針で準備を始めたら、提案者のご主人が病気になって今月末の会合は無理になりました。
このようなことが普通に起こるのが高齢者なのです。
今日の裏山。71番鉄塔からの展望ですが、このように晴れても何となくもやっています。
ということが今日の話題ではなくて、年寄りの愚痴話みたいなことを書きます。
いま、斎藤茂太さんの「老いは楽しい」という文庫本を読んでいますが、これを読むと著者も色々なドジをされていることが分かります。
少し前のことになりますが、中国の成都を旅されたとき、目にする女性が皆さんモデルのように容姿端麗、美人の町だなぁと勇んで写真を撮って宿に帰り、カメラを見たらフィルムが入っていなかったとか、、、
そのほかのドジを紹介されています。
あるとき自宅に電話しようとしたら電話番号が分からない、手帳を取り出して見ても自宅の電話番号は書いてない、、、、、
みずからの落度などとはおもうなよ わが細胞は刻々死するを
というのは著者の父、斎藤茂吉晩年の歌だそうです。
かの有名な歌人、斎藤茂吉がこのような歌を詠むわけですから、タカ長のような凡人がドジをするのは当たり前のことで、、、
タカ長たちのグループでは、ドジをしても笑って許してね、、、、とお願いしています。
この場合のドジはタカ長のドジですが、そのようなことをする可能性があるのはタカ長だけではないので、いまではこれが私たちの活動の基本方針のようになっています。
誰かがドジをしても犯人捜しはしない、要するの笑って許すこと。
お互いが似たりよったりの状態ですから、犯人探しをしても得るものは何もない、ということです。
日に幾度にても眼鏡をおきわすれ それを軽蔑することもなし
これもまた斎藤茂吉の歌です。
眼鏡を置いた場所を忘れても、二階に上がって、何をしに来たのか分からなくなっても、それを軽蔑することはないのです。
歳をとればそれは普通のことであり、おなじように今日元気でも明日は風邪で臥すことがあっても、そのこと自体を問題にする必要はありません。
歳をとるということは、そのようなことが起こるということですから、、、、、。
今日も相棒と裏山を歩きましたが、、、、
帰宅して昼食を済ませてからしばらく休むようになりました。昼食後即行動、ということにはならなくなりました。
これもまた歳をとるということ、だからと言ってダメになったと卑下する必要もありません。
歳をとるということはこのようなことなのですから、、、、、、。
山からのお土産です。
ヒラタケですが、このようなキノコにはライバルがいなくて、一度見つけてしまえばほとんどすべてが私たちのものになります。
それは嬉しいのですが、、、
これまでたくさん採れた木が朽ちてきて、ヒラタケの採れる木が少なくなっているのが気になっています。
歳かなと思いながら昼寝です(笑)
死亡事故だけに悲惨さがありますね。
それなりに認識すべき年齢なのですが、若いつもりでそれができないヒューマンです
これも加齢現象、これが正常な流れですから気にしないようにしましょう。
どんなにひいき目に見ても若者ではないのですから、、、、、。
客観的に見るように努めてきました。
あのような事故を起こす人はそれまでにひやっとしたことがあるはずです。それを見落としているとか、軽く見ているのだと考えています。
その結果あのような事故を起こしているのでは??
このような事故があると、高齢者という年齢だけで縛られて、同じような目で見られることに違和感を感じています。
若い時から車の運転に真剣に向き合っている人もいることを忘れてほしくないですね。