![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/51/e59a932043f84435a6da62faacbf0c2b.jpg)
仲間がこのようなものを作ってくれました。
6月4日に歩いた比婆山古道から吾妻山への軌跡と、そこで撮った写真とのコラボ。「旅レコ」を使うとこのようなことが出来るのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/39/f2bab483a8f4406233baed1c01d96053.jpg)
そのようにして歩いた火曜日の山歩き。イザナギノミコトが「吾が妻よ」と言って亡きイザナミノミコトを偲んだと言われる吾妻山は花の多い山でもあります。
最近は、、、、と言ってもかなり前のことですが、ここに国民休暇村が出来て、このあたり一帯は公園化された雰囲気がありますが、タカ長の青春のころはそのようなものはなくて、放牧された牛の天下でした。その牛のそばを通り、牛の落し物に注意しながら麓の、森脇へむけて急いだものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d3/1d2acf58b92e36ae3efb7ceba026c7f6.jpg)
そのころのことはほとんど忘れていますが、この池のことと牛のことだけは良く覚えているのです。おそらくそのころはいま以上に花が咲いていたはずですが、このあたりを歩くときは、竜王山から縦走してきて疲れもたまってきている時であり、また森脇発三次行きのバスの時間が気になる時間でもあるので、花とか鳥とかに注意を向ける余裕はなかったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/05/8ad729b1dbb46a646a55ee8d276b1d82.jpg)
そのころの記憶はほとんどなくなりましたが、、、、
そしてそのころよりは俗化して、花の数も少なくなっているはずですが、、、、しかし、私の心にはいまでも花の多い山として記憶されています。
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