光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

「雨宮敬二郎展」の運転会のはなし その2

2024-12-11 05:49:50 | 旅行・探訪・イベントなど
 前回に引き続き「雨宮敬次郎展」の運転会のはなし。


 今回は参加車両について。

 会場が中央本線の塩山駅に近い事、題材が郷土の鉄道王という事もあって集まったメンバーは中央線、中央本線の列車を主に持ち込みギャラリーの前で快走させました。

 わたしもこの間入線させたTOMIXの209系1000番台をデビューさせます。
 リアルではE233系の改装が終わり次第順次入れ替えられる予定なので、実車がみられるのもあと少しですね。

 どのイベントでも、どこで走らせても子供たちの人気は「お寿司の列車」です。
 グランシップの様な傾奇いた車両や編成は今回だれもが自粛していたのですが、お寿司だけは外すわけには行きません。

 さて、市民会館という会場の性質上「ホールで催し物がある間は一時客が途切れる」のですが、そのタイミングで多少メンバーの趣味を出した編成を快走させました。

 わたしが持ち込んだのは「SL銀河」ですが、前のグランシップの時にモジュールベースの歪みから線路に段差が生じ、スノープラウが引っかかるというトラブルでTOMIXのC58が使えなかった苦い経験から、今回は同じC58でもKATOのそれを代打に使いました。
 そういえばC58はまだKATOがリニューアルしていないのですが、そろそろ普通の仕様をファインスケールで出してほしいものです。

 OE88の先頭に立つのは、先日の帰省で入線した「宮沢模型のEF55」
 ややオーバースケールで大き目のサイズですが長編成の先頭では適度に目立ってよかったかもしれません。予想通り急カーブへの追従性も高かったですが、ベースのTOMIXEF58の宿命で「運転席にライトが来てしまい車内が光る」というサプライズが(爆)

 当初は走らせるかどうか微妙だったKATOの「やまびこ」
 実は会場に来ていた小学生からのリクエストでした。それも「485系が見たい」というリクエストで(驚)
 次回はLimaの3連でも持っていこうかな(笑)

 運転会の締めはE257とドラえもん海底列車のそろい踏み。およびメンバー持ち込みのコンテナとタンカーの専用列車がフィナーレを飾りました。

 実は閉会30分前にホールのイベントが終了し、帰りの客が展示に目を止めたので一日の中で一番ギャラリーが多かったのが「閉会最後の30分間」だったりします。一日の客密度の振れ幅が時間によって極端に変わるのは、この種のホール系の特徴ですね。

梅桜堂の二階建て住宅Aを作る・2

2024-12-10 05:47:19 | ストラクチャー

 先日紹介した梅桜堂の二階建て住宅Aの製作のはなし・その2です。
 ・・・とは言っても基本Bと変わるところがないので今回書き加える事は殆どないのですが(汗)

 形の出来たAを既製作のBと並べると、間口以外はほとんど同じに見えます(ひょっとしたらBには内風呂がないかもしれませんが)
 どちらも側面窓の配置がほぼ同じなので、基本的にこの2軒を向かい合わせに配置するのはNGかもしれません(方位の設定の関係上)

 さて、今回の住宅の行き場ですが、現在改修中のレイアウトのコーナー部のデッドスペースに丘陵地の住宅街を作る予定だったのでこれまた先行して作っていた他社の住宅と混ぜこぜにして使う予定です。
 (短期で一気に造成されたニュータウンならばともかく、スプロールで徐々に住宅が増えていったような場所なら建築時期に10~30年程度の幅があるのは当たり前だと思います。わたしの故郷の中学の周辺がそういうタイプの住宅街でした。

 現在は仮配置の段階ですが、みにちゅあーとやジオラマ工房の住宅との組み合わせでも細密感やかっちり感がほぼ同じなので街並みとしての統一感が感じられました。
 後は地形を整え、植生を追加しつつ追い込んでみようと思います。



「雨宮敬二郎展」の運転会のはなし

2024-12-08 05:31:48 | 旅行・探訪・イベントなど

 先日、設営するところまで紹介した「雨宮敬次郎展」に因んだクラブの運転会。
 先週から毎週日曜日に何人かのクラブメンバーが運営する形で公開運転を披露しています。

 わたしも先日の2回目から参加していますが、これまでの運転会との違いをいくつか実感しています。
 

 これまで、人の集まる場所での運転会は駅のコンコース、あるいはショッピングモールの一角などで行われる事が多く、一般のギャラリーも一種「通りすがりの人たちがたまたま鉄道模型を見かける」といった感じのノリが多かったのですが、今回は市民会館の企画展の展示の一部という事もあって展示物を見に来る層の比率がそれなりに高かったのが第一の特徴です。

 運転会でも雨宮敬次郎絡みでゆかりのある中央線や江ノ電の車両や編成を重点的に配置しましたが、今後は小田急、京急、しずてつ等にも展示対象を広げる事も検討しなければならないようです(実際、ロマンスカーのリクエストもあったのですが今回は誰も持ってきませんでした)

 その一方で、隣接するホールのイベント帰りのギャラリーが覗きに来る事も多く、こちらは年少者やその親御さんという組み合わせが多かったです。中にはまる一日レイアウトに張り付いている子もいたりして活況に一役買っていました(笑)

 先週はコロナ禍以来5年ぶりくらいにクラブ所有の「体験運転レイアウト」も開設。
 展示用のモジュールレイアウトと並行して開催しましたがこちらも好評だったようです。

 ただ、初回では「講演会」二度目は「太鼓の演奏会」という異なるイベントからのギャラリーだったのですが、今後はホールのイベントによっては今回とは違うノリのギャラリーが来る可能性も高そうなので、それらにどう対応したものかは考えどころです。


 今回は普段ならギャラリーから見えない位置で行う列車の入れ替えが設置の都合上行えず、入れ替えやメンテナンスの行程も常にギャラリーに見られながら行う形になったのですが、それらの行程そのものを却って面白がってくれた方々が意外に多かったというのは興味深い点でした。

 中には「こういうジオラマを眺めるのが楽しい」と言ってずっとモジュールを眺めていた老齢のご婦人方も何人か居られたのですが、こういうのも人込みの多いほかの運転会では見られない事だったと思います。

 と、最初の2,3回についてはこんな感じですが、今回の運転会は1月初めまでの長丁場で日曜日ごとに行われるものなので次回以降についても興味深い点があれば随時紹介するつもりです。

 ・・・後、わたしを含めた各メンバーの趣味に走りまくった車両、編成についても次回以降に(笑)

エンドウのDD51・おかわり(汗)

2024-12-07 05:27:46 | 車両・ディーゼル機関車
 これまた先日の帰省入線のひとつ。

 前にも1両目を入線させていたエンドウのDD51
 今回わざわざ入線させたのはお値段の安さもあるのですが、9600同様に手持ちのモデルよりもボディコンディションが良かったからだったりします。

 エンドウのDD51は登場当初からTOMIXと競作になってしまったのと、定価が高かった割に細密感に欠けたせいもあってか、終始目立たないモデルとしてエンドウのNゲージ撤退とともにひっそり消えたモデルでした。

 ただ、改めて手に取ってみると細密感こそ薄いもののプロポーションと印象把握には優れた造形で遠目で眺める分には他社モデルに引けは取りません。
 ボディの白帯がシール表現ですが、それを逆手に取って「2号機」風に帯を張り直す事も出来そうな気がします(笑)

 前に入線したモデルにはなかったので気が付かなかったのですが、このDD51には「後付けのナンバープレート」が付属していました。
 これがアップで見るとなかなか細密な造形で、他社モデルに転用しても様になりそうな感じがします(勿論当のエンドウ製品に付けてもそれなりに印象が改善するのではないでしょうか)

 走行性は「1980年代のNゲージの走り」という感じで繊細ではないものの力技で引っ張るようなパワフルさを感じさせるものです。
 おなじエンドウの24系25型ブルトレとの相性は最高に良いと思います。

博多駅の「牛ハラミ焼肉と牛カルビ焼肉重」

2024-12-05 05:25:31 | グルメ

 今回のはなしはやや出し遅れのネタですがご勘弁ください(汗)
 先日の二度目の帰省から帰ってみると、現住地のスーパーでも「駅弁大会」という奴ををやっていて「ああ、そうかもう10月なんだな」と思い当たります。

 14日が「鉄道の日」だからでしょうか、現住地の異なる三つのスーパーがそれぞれ別個に駅弁フェアをやっていたのには驚かされましたがw

 前にも書きましたが、駅弁フェアでは故郷やそこに隣接する地域の駅弁や銘菓が並ぶことが多いので逆に帰省した時の新鮮味に欠けることが往々にしてあるのですが、逆に普段行き付けない地域の駅弁を頂くならこれはこれで悪くありません。

 そういうわけで今回選んだのは博多駅の「牛ハラミ焼肉と牛カルビ焼肉重」という奴。
 (製造は鹿児島の松栄軒ですが)

 最近の駅弁でよくみる「2種類の焼肉(またはすき焼き)のあいがけ丼」のひとつです。

 右側のカルビから頂きましたが脂身の多い肉にタレが濃く絡んでご飯が進みますし、そこから左のハラミに移ると歯応えのある肉から肉汁が沁みてくる感じでこれまた味のバラエティが楽しめました。

 ただ、この美味しさは「レンジでチンして発揮される」性質の風味だったかもしれません。ラベルにも「レンチン推奨」のような事が書いてありましたし。

 そういえば盛岡の牛めしも生石灰加熱で同様の効果をあげていました。脂身の多い牛肉なんかだとある程度温かい方が美味しいのは確かですね。

中村精密のHOゲージ、10系客車キットのはなし

2024-12-04 05:21:44 | 車両・16番
 帰省の往路で拾った戦利品から。

 HO(16番スケール)のモデルですが、ほかのモデルと同様、購入時にこちらはまたこちらで笑い話もあったりします。

 故郷の中古ショップのひとつで見つけたのは「中村精密のHOゲージプラキットのナハ10とナハフ11」でした。
 同社が昭和50年代にHOゲージ(16番スケール)でリリースした客車キットですが、それまで客車というとブラスの完成品かペーパーキットしかなかった当時「プラモデル感覚で組み立てられるテツドウモケイ」というのは結構なインパクトがあったと思います(この点で、当初からプラ製が当たり前だったNゲージとはノリが異なりますが)

 10系以外でもスハ44系などがモデル化され、これのキットメイクはわたしも入線させていますし、同時期に出た103系は現在ではプラモデルとしてアリイからリリースされているらしいです。


 さて、今回店頭にあったのは、ナハ10とナハフ11が各1両ずつ。
 計二箱だったのですが、念のために検品してみたら「ナハ10の箱から床板と屋根板二つしか入っていなかった」のには心底驚きました。
 田舎のショップではよくあるのですが、店員さんの商品知識がしっかりしていない事が多いので「箱と中身が違う」なんてのは日常茶飯事ですが、こんなケースには初めてまみえました(笑)

 ですがこれでは全く役に立ちません。
 半ばがっかりしながらナハフの方を開いたら「側板・妻板だけが2両分出てきた」のですから腰砕けもいいところです。

 まあ、この段階でも貫通幌や台車、カプラーや床下機器がないのですが、2両分のボディキットで1000円以下というのは何としても魅力です。
 で、これも買ってしまったわけですが、これを「ただ素組みしても2両分のボディだけ」ですから台車とカプラー、幌と床下機器は別途用意しなければなりません。

 これらは次の上京の時にでも調達したいですね。
 と、言う訳でこの10系は現在はまだ積みプラ中です

 改めて気が付いたのですが今回の帰省では「16番とN、二つのスケールで10系客車を2両づつ入線させていた」事になります。
 (今回は他の目立つアイテムが多かったのですっかり見落としていました大汗)

梅桜堂の「二階建て住宅A」をつくる

2024-12-03 05:19:07 | ストラクチャー
 JAM土産のペーパーストラクチャーの積みキット消化のはなしから。
 今回は「梅桜堂」の二階建て住宅Aです。

 前回紹介のBよりも幅が広いのを除くと見た目はBとうりふたつ(笑)なのがこの家の特徴ですが、都会の下町の様な建蔽率が異様に高い住宅街では「同じ家主が似たような形状の家を何軒も建てこませる」事がままあるので、そう不自然なものでもありません。

 とはいえ、クローンみたいな家を2軒連続して作るのはそれなりに億劫なのも確かです。
 わたしが先にBの方を作ったのも実は「先にAを作ったら、それより小さいBを作る気が失せるのではないか」と思ったから、というのはここだけの秘密です(爆笑)

 そんなわけで工程については前作のBとはあまり変わるところもありません。
 精々、これを作りながら「間取りがBとどう違うか」を想像する事が多かった・・・というくらいでしょうか。

 この種の狭小な敷地を想定した住宅のキットは比較的最近になってジオコレやみにちゅあーと等からいくつか製品化されていますが、何軒かをある程度建て込ませる事で地方都市部、大都市の近郊の住宅街を表現するのが容易になってきています。

 実際、わたしがこれを買ったのもそうした意図があったからなのですが、そのことについては次の機会に。

「切符・この小さな紙片のうらおもて」

2024-12-01 05:54:42 | 書籍
 今回も帰省に伴う戦利品ネタです。

 盛岡というところは古風な古本屋が未だに残って居たり、あるいはその雰囲気を引き継いだ古本屋さんが新たに開店するなど、古本好きには琴線を刺激するところのある街ではないかと思います。
 (少なくともわたしの今の現住地やそこに近接した街に比べれば・・・)

 なので帰省の度に立ち寄っても空手で帰ると行く事が滅多にないという点である意味難儀な街ではあります(これもまたうれしい難儀ではありますが)

 今回その中の一軒で入手したのは昭和37年に創刊した「太陽」(平凡社)の創刊号。
 雑誌という媒体は単行本よりも時代の空気を色濃く反映するものですが、本書でもそれは例外ではありません。

 何しろ裏表紙が当時最新型だった「ブルーバード310」の広告ですし、ガレージの上に庭を作るというガーデニングの記事でガレージに収まっているのが「青い日野ルノー」というくらいですから(笑)

 でも、それだけだったら私がこの本を買って帰る事もなかったでしょうし、このブログで取り上げる事もなかったでしょう。

 実は本誌でわたしの気を惹いた記事が「切符・この小さな紙片のうらおもて」という記事でした。

 ここでわたし自身のはなしになるのですが、今回の帰省では往復の切符の購入で初めて「えきねっとチケットレス」という奴を使い、切符の予約はもとより座席指定や決済までもを「自宅から一歩も出ずに、しかも真夜中の11時過ぎに行った」という体験を実行したばかりです。
 今なら、スマホとクレカがあれば事程左様に「特急の指定席を押さえる」事が(席が空いている限りは)容易になっているのですが「太陽」創刊時の昭和37年は、同じ事をするにも「わざわざ最寄り駅に出向いて発売2,3日前から徹夜で行列に並び、しかもそこまでしてもお目当ての切符が取れるか非常に疑わしい」というのが普通でした。

 それゆえ、駅の周辺にはダフ屋と呼ばれる転売屋が跋扈し、また国鉄関係者の口利きによる切符の裏口買いが横行していたという現実もあったりしていたのが新幹線開業前夜の切符売り場の風景でもあった訳です。

 この記事では行列に並ぶ客たちの取材から彼らの不平や不満、諦観の声を拾い上げ、それに対する国鉄の煮え切らない対応を攻撃していますが、それと並行して空いた席を探すノウハウについてもページを割き、読者の共感を呼びつつそれなりに役立つ情報も提供する形式になっています。
 客たちの生の声のもたらす半ば殺気立った迫真感はまさに雑誌の真骨頂ですが、今の現状を思うと隔日の感は大きなものがあります。

 切符の購入に行列が必要な光景は年末年始を中心に平成になっても残ってはいましたが(当記事にでも提言のひとつとして軽く触れられている)国鉄の民営化に伴うサービスの向上と同時に、飛行機やマイカー、高速バスの普及に伴い鉄道に関しては切符の買いにくさの問題は一部のスペシャルトレインを除けば順次縮小傾向にある様です。

 皮肉な事に鉄道以外の移動手段が増え「鉄道がいくつもある移動手段のひとつに過ぎなくなった事」も切符の買いやすさにもつながって来ているのが現状かもしれません(現に現住地から故郷までのクルマでの所要時間は40年前の鉄道のそれに接近しつつあります)

 今回の記事は新幹線開業の前夜、まだまだ鉄道が旅行の主役だった時代を偲ばせる一つの裏面史でもあり、今どきの鉄オタの皆さんには思いもつかない過去の現実の証左でもあります(笑)