ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎-の存続を求める緊急アピール

2006年12月03日 23時14分57秒 | 生活教育
命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎-の存続を求める緊急アピール

 大阪市教育委員会は、11月7日に大阪市立貝塚養護学校の就学に係る学校指定について、2007年4月1日から停止(転入学できなくなる)することを発表しました。突然の発表に、子ども・保護者・教職員・関係者は、驚愕と怒りと不安の中に放り込まれています。
 私たちの貝塚養護学校・寄宿舎は、多くの子どもたちの健康、こころと命を救ってきた学校です。学校に行きたくても行けないこどもたち、つらい、死にたいと悩んでいる子どもたちがどれほどいるでしょうか。命は大切、自殺なんてやめて!そう思う親たちがどれほどいるでしょうか。貝塚養護学校なら助かる、助けてあげられる…。今、一番必要な学校をどうしてなくすのですか!
 最初は、養護学校と言う名前に後ずさりしてました。寄宿舎に入ることも、驚きでした。しかし、子どもたちは、貝塚にやってきて、心を開いていきました。ともに人生を語り合える友達に出逢うことができました。信じることができる先生と出会いました。貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちの笑顔を再び呼び戻せる場所です。病気の子ども、こころを病んだ子ども、いじめられた子どもの、こころも体も癒し再生させてくれる学校です。
 悩んでいる子どもたち、親たちはたくさんいます。その人たちのほとんどが貝塚養護学校を知らないのです。貝塚養護学校は、必要がないのではなく、残念ながら存在を知られていないのです。大阪市は、学校指定の停止ではなく、子どもたちのためにその存在を広くアピールすることをこそ行うべきです。
 子どもたちは、卒業後も貝塚養護学校に行きます。生きるために、ちからをもらうために。貝塚養護学校・寄宿舎は、大切な場所です。子どもたちの、こころの居場所をなくすのはやめてください。大阪市教育委員会の皆さん、私たちの、子どもたちの、心の、命の声が聞こえますか?どうか、もういちど考えてください。何が一番大切かを。
 今日、私たち、卒業生・保護者・保護者OB・教職員・教職員OBは、海図か養護学校とのつながりをお持ちの方、教育研究者、医師、弁護士などの皆さんのご支援を得て、「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」を結成し、こころと命の学校、貝塚養護学校・寄宿舎の存続発展のために、一人ひとりの力を結集し総力をあげて活動を進めていくことを表明するものです。
                      2006年12月3日
             「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」結成総会

命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎

2006年12月03日 22時55分05秒 | 生活教育
 「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」は、管理職の圧力で、1部・2部形式となった。
 第1部は、体育館で行われ、保護者・教職員・子どもたち・同窓生・職員OBなど当事者が意見を出し合って、存続に向けて気持ちを一つにする場となったようだ。遠くは東京から駆けつけた方、貝塚養護学校となんらかの形でつながった人たちは、「部外者」ということで、寒い中、学校の校門前で貝塚の関係者を勇気づけていた。4時過ぎから、貝塚市役所近くの福祉センターにて、全員での会(第2部)がもたれた。
 会では、保護者や保護者OBのみなさんから、「やっとたどりついた学校」「ひとつでも大切ないのち。また歩き出せる力を培ってくれた学校」との声。学校にたどり着くまで、そして学校で癒される姿を、当事者から聞かせていただき、胸がしめつるけられる思いがした。
 寄宿舎の「寮母」の大先輩・大藤先生は、車いすで駆けつけてくださり、卒業生が寄宿舎に立ち寄る時のことを語ってくれた(写真)。「いろんな困難を抱えている卒業生が寄宿舎に来るんです…。なにもできません。ただ、聞いてあげるだけです…。『くそばばあ』といって、やんちゃしていた子どもだったんですが…。それで、まあ、がんばるかって帰って行くんです…」と。そんな故郷のようなところが貝塚養護学校の寄宿舎なのだと語ってくれた。もちろん、長岡先生が、「好きできた学校じゃない」と卒業生の言葉を紹介してくれたのだが、いろんな事情で来た学校ではあるけれど、そこが魂の故郷になっているのだ。
 寄宿舎教育研究会の代表の大泉先生は、「希望」を「あきらめない志」といってこの取り組みが長期にわたることを示唆していたが、貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちや関係者に「希望」を培っていたのだとすれば、それは今後の「あきらめない志」ともなっていくと思う。

教育行政の仕事とは?(教育基本法と貝塚養護学校)

2006年12月03日 22時18分25秒 | 生活教育
 現行教育基本法第10条には、「(教育が)国民全体に対し直接に責任を負って」おり、「教育行政は、この自覚のもとに…教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」と規定されている。この規定を、今回の「改正」によって、教育行政は、「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適切に行わなければならない」と規定し直している。
 読み方によれば、常々行われる「国」と「地方自治体」の責任の押し付け合いを合理化し、法律に書き込んだということではないか? 国は、「地方が自立的にやることだ」といい、地方自治体は「国からの指示がないのでやれない」という、このようなことを役人言葉で「適切な役割分担及び相互の協力」というらしい。その一方で、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」はないがしろにしている。
 いじめ自殺、不登校、ストレスなどなど、心がとても傷ついている子どもたちがいる。そんな子どもたちための居場所となっていた学校を、大阪市の教育行政は、教育委員会での審議もなく閉じようとしている。文部科学大臣は子どもに直接死ぬなと訴えているが、その一方で、国と自治体の教育行政は子どもの生きる場を奪おうとしている。そのことを、当事者は「静かなる殺人」と呼んだ。
 ともに困難をかかえた子どもたちを守ろうと、今日、「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」が結成された。