今日も寒い。
戦争と障害者についての紹介を書いて、その後、基礎ゼミ。今日で発表は終わり。次回から、「障害児と教育」(岩波新書)をみんなで読む計画。キノコ好きの学生さんにブログを見せたら、嬉しがっていた。B型の専攻科の学生さんにも、B型のキノコ学生さんを紹介する。ついでに、先週全盲の子どもの実践を報告してくれた現職の先生もB型だった。B型だからということではないが、どうもB型の人たちに振り回される人生となっているような気がする。
夜、地域の障害者協議会の役員会。3月初めに、国連・障害者権利条約の関係で学習会をするはめになった。ちなみに、ニューヨークの国連本部で、第8回権利条約特別委員会が、今日開催される(時差が12時間くらいあるので、今、はじまったところじゃなかろうか)。その会議で、障害者権利条約案が正式な案として総会へ提出されるものとなる。
会議で、「筆子その愛」の上映運動も紹介される。石井筆子は、石井亮一の妻で滝乃川学園を支えた人としては知っていたが、その人生は波乱にとんでいるようだ。「筆子その愛」の物語は次のようなもの(公式サイトより引用)。「鹿鳴館の華から、障害児教育・福祉の先駆者へ」の歩みを描いている。「障害のある人が戦場に行った時代」を考え、それ以前の障害児教育の草創期の時代に思いをはせた日となった。
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(1861年筆子は長崎県の藩士の娘として生まれる)
長崎・大村の隠れキリシタン弾圧のさなか、海岸で遊んでいた幼き筆子は、血を流しながら連行されてゆくキリシタン達を目の当たりにし、幼い心を痛める。
成人後、海外留学を経験し三カ国語を自由に話せるようになった筆子は、「鹿鳴館の華」と呼ばれた才媛であった。 華族女学校で教鞭をとり、後の貞明皇后もその教え子となっていた。 また、筆子は父と叔父の勧めで、大村藩家老の子息・小鹿島果と結婚。親友の津田梅子らと共に女性の自立教育にも動き出し、当時の女性達の中でも、ひときわ輝いている存在であった。
しかし、そんな筆子に試練が襲いかかる。授かった長女が知的障害を持ち、次女は生後十ヶ月で亡くなり、三女は結核性脳膜炎、続いて夫・果も結核で亡くなるなど相次ぐ苦難が襲ったのだ。どん底に突き落とされる筆子……。
そこに一脈の光がさしたのは、孤女学院を運営していた石井亮一との出会いであった。筆子は亮一との出会いを通して、自分が本当に進むべき道を見出す。それは険しい茨の道であった。しかし筆子は天から指し示された道と信じ、様々な困難と闘いつつも、亮一と共に日本初の知的障害者の施設・滝乃川学園の運営に乗り出していく……。
戦争と障害者についての紹介を書いて、その後、基礎ゼミ。今日で発表は終わり。次回から、「障害児と教育」(岩波新書)をみんなで読む計画。キノコ好きの学生さんにブログを見せたら、嬉しがっていた。B型の専攻科の学生さんにも、B型のキノコ学生さんを紹介する。ついでに、先週全盲の子どもの実践を報告してくれた現職の先生もB型だった。B型だからということではないが、どうもB型の人たちに振り回される人生となっているような気がする。
夜、地域の障害者協議会の役員会。3月初めに、国連・障害者権利条約の関係で学習会をするはめになった。ちなみに、ニューヨークの国連本部で、第8回権利条約特別委員会が、今日開催される(時差が12時間くらいあるので、今、はじまったところじゃなかろうか)。その会議で、障害者権利条約案が正式な案として総会へ提出されるものとなる。
会議で、「筆子その愛」の上映運動も紹介される。石井筆子は、石井亮一の妻で滝乃川学園を支えた人としては知っていたが、その人生は波乱にとんでいるようだ。「筆子その愛」の物語は次のようなもの(公式サイトより引用)。「鹿鳴館の華から、障害児教育・福祉の先駆者へ」の歩みを描いている。「障害のある人が戦場に行った時代」を考え、それ以前の障害児教育の草創期の時代に思いをはせた日となった。
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(1861年筆子は長崎県の藩士の娘として生まれる)
長崎・大村の隠れキリシタン弾圧のさなか、海岸で遊んでいた幼き筆子は、血を流しながら連行されてゆくキリシタン達を目の当たりにし、幼い心を痛める。
成人後、海外留学を経験し三カ国語を自由に話せるようになった筆子は、「鹿鳴館の華」と呼ばれた才媛であった。 華族女学校で教鞭をとり、後の貞明皇后もその教え子となっていた。 また、筆子は父と叔父の勧めで、大村藩家老の子息・小鹿島果と結婚。親友の津田梅子らと共に女性の自立教育にも動き出し、当時の女性達の中でも、ひときわ輝いている存在であった。
しかし、そんな筆子に試練が襲いかかる。授かった長女が知的障害を持ち、次女は生後十ヶ月で亡くなり、三女は結核性脳膜炎、続いて夫・果も結核で亡くなるなど相次ぐ苦難が襲ったのだ。どん底に突き落とされる筆子……。
そこに一脈の光がさしたのは、孤女学院を運営していた石井亮一との出会いであった。筆子は亮一との出会いを通して、自分が本当に進むべき道を見出す。それは険しい茨の道であった。しかし筆子は天から指し示された道と信じ、様々な困難と闘いつつも、亮一と共に日本初の知的障害者の施設・滝乃川学園の運営に乗り出していく……。