ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

寄宿舎研究会の今後

2006年12月23日 23時56分19秒 | 生活教育
午後から、近江八幡で寄宿舎教育研究会常任委員会。

京都駅からのJRは、大津で人身事故のため遅れていた。早めに出ていたので、影響はなかった。近江八幡で昼食をかきこんで、婦人会館へ(ちょっと分かりにくい所でした)。

和室に、机と椅子のちぐはぐなセッティングで、1時半過ぎから会議が始まる。
1.沖縄集会(生活教育研究集会)の総括-プレ集会との比較で、若手の人たちの成長が報告され、プレ集会の存在の重要性が浮かび上がった。沖縄の、若手の指導員の層が新鮮。しかし、受け継ぐべきものは多くあるものの、それを誰に、どのように伝えるのかは不明なことが寂しい。
2.この間の寄宿舎を取り巻く状況(滋賀の心中事件、貝塚養護学校の学校指定の取り消し問題など)。和歌山の養護学校の統合による寄宿舎の廃舎問題については報告がなかったです。議論で気になったのは、「責任」とか「姿勢」という言い方。機能主義や分担主義への戒めではあるが、しかし無限に努力を強いるような内にこもるような語感がする。
3.春合宿の持ち方-テーマをめぐって、「特別支援教育と寄宿舎」の関係のとらえ方。特別支援学校の中での寄宿舎の位置づけの問題。

 特別支援教育は、障害児の生活現実を視野に入れていないし、寄宿舎の役割を位置づけていないのは、当たり前のことである…官僚の作文なのだから…と思う。そういった作文をしながら、既存の枠組みを変えて、どのように予算をとってくるかが官僚の考えるところである。構造改革はその既存の枠組みを「ぶっこわす」として国民の歓声をあびたのである。新自由主義の席巻の中で、もともと弱かった「福祉国家」論は後退し、教育、医療、社会福祉・社会保障の土台が沈んでいく。そこをみないと、個々の事象の羅列になる。


岩波新書に『ものいわぬ農民』というものがあったことを思い出した。大多数の「ものいわぬ者」の「沈黙」の意味を考えたい。「物言う納税者」というが、しかし、その代表が村上ファンドの代表者のようなものだったりする。しょうもないことを「物言う」人もいる-それで本質が曖昧になったりする。