ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

ドクさんの結婚

2006年12月17日 21時25分31秒 | その他
朝早く電話で起こされて、その後、寝てしまい、午後も、髪を切りに行って、その後、寝てしまう。一日、寝ている。

昨日から、ベトナムの結合双生児の一人、ベトさんの結婚の報道があった。もう、25歳になったという、分離手術からもう18年がたった。思い起こせば、ベトちゃんドクちゃんのことは、当時滋賀大学の藤本文朗先生が、在外研究先にベトナムを選び、そこで2人にあったことがきっかけとなって、日本との交流が行われたのだった。藤本先生は、2人の主治医だったファン博士から、2人にあった車いすをと要請され、日本に帰国。その足で、福井の脊椎損傷で寝たきりになっていたエンジニアに設計を依頼。車いすを送る運動を、「ベトちゃんドクちゃんの発達を願い会」を組織して、開始した。事務局長の役割を、福井の車いす司書をやっていた河原さんが担った。その後、藤本先生たちは何度もベトナムに行ったし、ベトちゃんが急性脳症を患ったときの日本への移送と治療の下支えをした。藤本先生は、滋賀大学を退官したが、いまでもベトナムとの交流をしているようだし、また、その後をついでいる先生方もおられる。

藤本先生になぜ「ベトナム」と問うたことがあった。やはり、ベトナム戦争のことが引っかかってのことで、郷愁にも似た気持ちもあるといわれたことを思い出す。ベトナムが解放されたのが、僕が大学の2回生の時、1975年-この年、国連では「障害者の権利宣言」が出された画期的な年だ。今年の8月、国連の第8回障害者権利条約特別委員会の傍聴に行ったとき、ニーヨーク国連本部の手前の広場で、ベトナムへ従軍した韓国兵士で枯れ葉剤の被害を被った人たちがアメリカへの抗議行動の集会をしていた。

戦争と障害の発生をベトナムは訴えている。ドクさんもインタビューの中で平和を強調していた。枯れ葉剤など化学兵器の問題など、今後も考えていきたい。

※枯れ葉剤
ベトナム戦争中の1961年から71年、米軍が解放勢力が隠れる森林をなくすとして、猛毒ダイオキシンが含まれた「枯れ葉剤」7600万リットルをベトナムに散布。ダイオキシンは、発ガン、先天性障害、身体機能障害の原因物質とされ、散布地域では障害を持った子どもが多数生まれている。ベトナム人300万人以上が影響を受け、土中や水中に残留したダイオキシンにより、今も影響が続いている。