「ボケ」の話題でかいているが、少しちがった「ボケの予感」の話。
今日、誕生日を迎えた。愛読書のデズモンド・モリスの『年齢の本』で確認してみる。
(この年齢は)「老齢」が遠くのほうに見えてくる歳である。以前には考えもしなかった老いが、地平線上の小さな点として、はっきり見えるようになる。若い人は、自分たちには永遠に健康で活動的な歳月が続くものと感じているが、50代半ばになると、突然、健康で活動的な歳月は限られた年数しか残されていないことを実感する。人によっては憂鬱となり、また人によっては自分の時間を貪欲に使い、「そのうちに」「来年には」といいながらこれまで先に延ばしてきた事柄をどんどんと片づけていくことで、老いの予感に対処するようになる。
とはいえ、自分自身の予感は…「貪欲にはならんやろ、というより、ボケていくんやろう」というもの。
今日、誕生日を迎えた。愛読書のデズモンド・モリスの『年齢の本』で確認してみる。
(この年齢は)「老齢」が遠くのほうに見えてくる歳である。以前には考えもしなかった老いが、地平線上の小さな点として、はっきり見えるようになる。若い人は、自分たちには永遠に健康で活動的な歳月が続くものと感じているが、50代半ばになると、突然、健康で活動的な歳月は限られた年数しか残されていないことを実感する。人によっては憂鬱となり、また人によっては自分の時間を貪欲に使い、「そのうちに」「来年には」といいながらこれまで先に延ばしてきた事柄をどんどんと片づけていくことで、老いの予感に対処するようになる。
とはいえ、自分自身の予感は…「貪欲にはならんやろ、というより、ボケていくんやろう」というもの。