『みんなのねがい』誌に連載していたものをまとめた『子どもに文化を 教師にあこがれと自由を』をいただいた。
はじめから、「子どもの味方になる」と直球が。続いて、「子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ」と、ド・ストライクが投げられる。カーブとか、チェンジアップとかはないのかと、ぼうぜんと、見逃してしまうのであった。
讃岐うどんのようなもちもちとした文体。教育実践のうまみをすくい取るような表現でもある。ある意味、そつがないのは、茂木先生にも似ているのかな・・などと思ったりもした。もくじは以下の通り。
序 「子どもの味方になる」ために
1.子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ
2.悲しみを乗り越える糧となる文化を手渡す
3.障害をもって生きる社会の主人公を育てる
4.教師にあこがれと自分の頭で考える自由を
5.なかまと出会う、なかまの中で生きる―教育における集団の意味と集団指導の課題
ぼくも、文化を中心に教育を考えるのだが、僕のイメージする文化はちょっと下品なので、著者のいう「文化」とちょっとちがうかもしれない。「こういう表現はできないなぁ」とつくづく思う!
はじめから、「子どもの味方になる」と直球が。続いて、「子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ」と、ド・ストライクが投げられる。カーブとか、チェンジアップとかはないのかと、ぼうぜんと、見逃してしまうのであった。
讃岐うどんのようなもちもちとした文体。教育実践のうまみをすくい取るような表現でもある。ある意味、そつがないのは、茂木先生にも似ているのかな・・などと思ったりもした。もくじは以下の通り。
序 「子どもの味方になる」ために
1.子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ
2.悲しみを乗り越える糧となる文化を手渡す
3.障害をもって生きる社会の主人公を育てる
4.教師にあこがれと自分の頭で考える自由を
5.なかまと出会う、なかまの中で生きる―教育における集団の意味と集団指導の課題
ぼくも、文化を中心に教育を考えるのだが、僕のイメージする文化はちょっと下品なので、著者のいう「文化」とちょっとちがうかもしれない。「こういう表現はできないなぁ」とつくづく思う!