ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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『閉鎖病棟』

2019年11月15日 09時10分41秒 | 映画
映画『閉鎖病棟』をみた。
原作は帚木蓬生の小説、これは単行本のときに購入して、研究室においたままだった。著者は、文学部をでたのち、医学部に学び、精神科医で、小説家。著者の、戦争と医療を描いた『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作(日本医療小説大賞)を読もうとして、その凄惨さに読めなくなったことがあり、『閉鎖病棟』の本もそのままになっていた。その他、臓器移植に関する『臓器農場』も生命倫理上の問題提起はするどかったが、なかなか受けとめられなかったもの。
映画『閉鎖病棟』は、それぞれの事情がある人たちが、精神科病棟での交流と癒やし、そして事件と新たな出発を予兆させる場面が描かれる。高齢者の介護、性的暴行、精神疾患、過程や地域への移行の困難などが織り交ぜられて考えさせられる。ちょっと、設定が無理なところもないではないが・・・。
撮影が行われた病院が、旧の国立療養所の建物のようにみえたので、最後のエンドロールで確認すると、長野県の国立病院機構の小諸高原病院であった。沿革は以下の通り。

1943年 - 陸軍結核治療研究機関として建物が落成。
1944年 - 陸軍軍医学校小諸診療所を開所、結核患者を収容した。
1945年 - 陸軍解体により厚生省へ移管され、12月1日に国立東京第一病院小諸分院となる。
1950年 - 4月1日、国立小諸療養所に改称した。同日、国立長野療養所菱野分院(北佐久郡大里村)を国立小諸療養所分院菱野療養所に組織再編した。
1956年 - 3月1日、分院菱野療養所を閉鎖し、小諸療養所へ統合。
1963年 - 4月1日、精神療養所に転換。
1977年 - 7月1日、重症児病棟を併設。
1995年 - 4月1日、老人性痴呆疾患治療病棟を開設。
2001年 - 厚生労働省へ移管。
2004年 - 独立行政法人国立病院機構に移行し、小諸高原病院と改称。
2007年 - 1月、医療観察法病棟が完成。

もともとは、結核病棟、1960年代の病棟転換で、精神の療養所になり、おくれて重症心身障害児病棟もできる。国立療養所で、精神科に転換したところについてもみてみる必要があるなあと思った。