ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

山崎豊子『大阪づくし 私の産声』(新潮社)

2010年01月02日 20時57分22秒 | 
山崎豊子『大阪づくし 私の産声』(新潮社)を読んだ。これは、山崎豊子自作を語るの第2番め(第3番めは「小説ほど面白いものはない」ですでによんだ)。
自作を語ると大阪もの、そして小説信条の3部構成。大阪の船場の人間模様が興味深い。大阪は、日本の台所といわれるし、商都として大きな位置がある。それにしても、滋賀の近江商人、和歌山の紀伊国屋を中心とした紀州の商人も近隣の県には経済に関わる歴史もある。船場言葉は、どちらかというと京都の宮中との行き来の中で培われた言葉のようである。
商売を中心とした人間模様がおもしろい。
構成は次の通り。

はじめに
第1章 『花のれん』『白い巨塔』他-自作を語る
第2章 あの人やつしやなあ-大阪あれこれ
 この中に「小説のなかの大阪弁」がある
第3章 半年勉強、半年執筆-私の小説信条
こぼんちゃん-おわりに


興味深いこといろいろ
大阪言葉
へんにし(嫉妬)
「へんにし(嫉妬)というのは、もともと負け犬が、勝ち犬にからんで、あわよくば勝負をあべこべにしたろかという性格のものやから、下手な勝負はでけへん。カァッとなって竹槍戦法方式の嫉妬は、一番あほや、ちゃんと計算しつくしたうえで、負けて勝つのやないとあかん。それが勘定高い嫉妬というもんやわ」
送り出される夫のほにしてみれば、やきもちを焼いてはばまれるより、気持ちに負い目を感じる嫉妬のされ方のほうが不気味だろう。そこが徳川時代の武士の妻にみられるだだの忍耐や諦めと異なるところで、それは、一種の政治的考慮を持った嫉妬だといえる。つまり大阪の女らしいこまかい計算と才覚を持ったへんにし(嫉妬)ということになる。嫉妬もここまでくると、背筋が寒くなるような女の執念と狡猾さがあるようで、そら怖ろしい思いがする。(126-127頁)

小説のなかの大阪弁(149-153頁)

大阪の女は「甲斐性」ということを非常に重要に考え、甲斐性なしということを恥じる風潮がある。これは大阪という商人の街が、徳川幕府の時代から女将に頼らず、何時も独力自立で歩むことを余儀なくされた街の性格からくるmじょのであるが、男の場合も、女の場合も、自分に甲斐性、つまり、実力のないことを非常に恥じる気風があり、その代わり、相手が甲斐性のある実力者ということになると無条件に頭を下げる、ある意味では、危険な実力第一主義の傾向がある。(157頁)

東京人と大阪人
大阪人は食べもしない食べ物雑誌をよんでみたところで仕方がないという割り切った考え方で、東京人は食べなくても、活字を通して食べたような楽しい雰囲気を味わうという感覚である。

御寮人(ごりようん)さん
御寮人はんというのは、寮とは部屋の意で、いまだ部屋住の身分で、舅姑に仕える奥様という意味である。お家(え)はんというのは、御家さまの略訛で、家内を差配するという意味を持っているから、標準語でいえば、さしずめ、女のご隠居様という意味になる。御寮人はんにしても、お家はんにしても、部屋住み身分の人とか、家内を差配する人という意味を持ち、呼称そのものの中に、家というものの存在が強く結びつけられている。
船場の商家では、主人の家長権に対し、御寮人はんの主婦権が確立されている。中の間のくぐり暖簾を堺にして表と奥内がはっきり二分され、」店のことは家長権を握っている主人が差配し、家内のことは御寮人はんが差配する習慣になっていて、普通の家庭の主婦とは異なる責任の重さがある。それにもかかわらず、なお寮即ち部屋住み身分という家と結びついた呼び方をする御寮人はんという言葉ほど、船場風の呼び方はない。(180頁)

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