「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」は、管理職の圧力で、1部・2部形式となった。
第1部は、体育館で行われ、保護者・教職員・子どもたち・同窓生・職員OBなど当事者が意見を出し合って、存続に向けて気持ちを一つにする場となったようだ。遠くは東京から駆けつけた方、貝塚養護学校となんらかの形でつながった人たちは、「部外者」ということで、寒い中、学校の校門前で貝塚の関係者を勇気づけていた。4時過ぎから、貝塚市役所近くの福祉センターにて、全員での会(第2部)がもたれた。
会では、保護者や保護者OBのみなさんから、「やっとたどりついた学校」「ひとつでも大切ないのち。また歩き出せる力を培ってくれた学校」との声。学校にたどり着くまで、そして学校で癒される姿を、当事者から聞かせていただき、胸がしめつるけられる思いがした。
寄宿舎の「寮母」の大先輩・大藤先生は、車いすで駆けつけてくださり、卒業生が寄宿舎に立ち寄る時のことを語ってくれた(写真)。「いろんな困難を抱えている卒業生が寄宿舎に来るんです…。なにもできません。ただ、聞いてあげるだけです…。『くそばばあ』といって、やんちゃしていた子どもだったんですが…。それで、まあ、がんばるかって帰って行くんです…」と。そんな故郷のようなところが貝塚養護学校の寄宿舎なのだと語ってくれた。もちろん、長岡先生が、「好きできた学校じゃない」と卒業生の言葉を紹介してくれたのだが、いろんな事情で来た学校ではあるけれど、そこが魂の故郷になっているのだ。
寄宿舎教育研究会の代表の大泉先生は、「希望」を「あきらめない志」といってこの取り組みが長期にわたることを示唆していたが、貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちや関係者に「希望」を培っていたのだとすれば、それは今後の「あきらめない志」ともなっていくと思う。
第1部は、体育館で行われ、保護者・教職員・子どもたち・同窓生・職員OBなど当事者が意見を出し合って、存続に向けて気持ちを一つにする場となったようだ。遠くは東京から駆けつけた方、貝塚養護学校となんらかの形でつながった人たちは、「部外者」ということで、寒い中、学校の校門前で貝塚の関係者を勇気づけていた。4時過ぎから、貝塚市役所近くの福祉センターにて、全員での会(第2部)がもたれた。
会では、保護者や保護者OBのみなさんから、「やっとたどりついた学校」「ひとつでも大切ないのち。また歩き出せる力を培ってくれた学校」との声。学校にたどり着くまで、そして学校で癒される姿を、当事者から聞かせていただき、胸がしめつるけられる思いがした。
寄宿舎の「寮母」の大先輩・大藤先生は、車いすで駆けつけてくださり、卒業生が寄宿舎に立ち寄る時のことを語ってくれた(写真)。「いろんな困難を抱えている卒業生が寄宿舎に来るんです…。なにもできません。ただ、聞いてあげるだけです…。『くそばばあ』といって、やんちゃしていた子どもだったんですが…。それで、まあ、がんばるかって帰って行くんです…」と。そんな故郷のようなところが貝塚養護学校の寄宿舎なのだと語ってくれた。もちろん、長岡先生が、「好きできた学校じゃない」と卒業生の言葉を紹介してくれたのだが、いろんな事情で来た学校ではあるけれど、そこが魂の故郷になっているのだ。
寄宿舎教育研究会の代表の大泉先生は、「希望」を「あきらめない志」といってこの取り組みが長期にわたることを示唆していたが、貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちや関係者に「希望」を培っていたのだとすれば、それは今後の「あきらめない志」ともなっていくと思う。