16年02月05日 北羽新報 渟城雑記
2月4日のコラム記事です。
地元紙の渟城雑記を読まして頂いているが、「渟城(ていじょう)」と言う言葉はどこから来たのか又どのようにしてついたのか前から疑問でした。調べてみてわかりました。
今年は暖冬で雪が少なくて過ごしやすく助かりますが、雪が少なければ少ないで水不足が心配され、いろいろなところにも影響があるようです。私の好きな山も雪が少なく、冬山でなければ登れない山も登られないのではないかと心配しております。
ところで「渟城」をネットで調べたらKinks of Pretty Intelligence - LOGO HPにありましたので下記に抜粋して掲載します。
(旧)能代市は、平成18年3月21日に隣町である山本郡二ツ井町と合併して(新)能代市となりました。
能代(のしろ)の地名が歴史に初めて登場するのは、日本書紀(658年)であり、そこには「渟代」と記されています。ご存じのとおり「日本書紀」は、日本最古の歴史書であり、能代(渟代)は最初から登場しているわけです。驚きですね。
「野代」時代が1000年近く続きますが、1704年の宝永地震の後、よく知られているように「野に代る」と読めることが縁起が悪いということで、『よく かわる』の 能代 と改称されました。
「渟城」という名詞が現在も残っていますが、これは「ていじょう」と読みます。
地名としての渟城は、もちろん「渟代」から派生した呼称なのでしょうが、いわゆる旧能代港町の中心部を指すのではないかと思われます。
しかし、現在では「渟城」を冠した渟城西、渟城南の2小学校、Former Emblem of Noshiro City八幡神社の宮司である渟城家(渟城幼稚園)、農業行政上の地域区分(農業協同班)にその名を残すのみとなっているようです。
(市立第四、第五小学校もありますが、こちらには「渟城」は付きません。なお、渟城第一~第三の3小学校は、平成19年4月、渟城西と渟城南の2校に再編成されています)
「渟城」という名称はすくなくとも安土桃山までの史料には登場せず、能代市 市史編さん室 でたずねてみたら、やはり江戸後期(末期?)の成立ではないかというお話でした。