おニャン子解散後にデビューしたアイドルは、めっきり小粒になる。
藤谷美紀(1988デビュー)は『転校生』(1988)、西田ひかる(1988デビュー)は『Nice Catch』(1988)、中山忍(1988デビュー)は『小さな決心』(1988)、田村英里子(1989デビュー)は『ロコモーション・ドリーム』(1989)など、小ヒットはあり、タレントとして長く活躍したが、大きなブームには至らなかった。
WINK(1988デビュー)が、無機質な振り付けの『愛を止めないで』(1988)でブレイク、『淋しい熱帯魚』(1989)で89年度レコード対象を受賞したのが、アイドル全盛期への挽歌となった。
その後、長いアイドル氷河期が続くこととなる。
90年代で正統派アイドルとして、そこそこ認知されたのは、高橋由美子(1990デビュー)(『step by step』(1990))、酒井美紀(1993デビュー)(『永遠に好きと言えない』(1993))くらいである。
一方で、グラビアアイドル、CMアイドル、アイドル女子アナなど、歌を歌わないアイドルが広く活躍するようになった。音楽史としてのアイドル史では、歌を歌うアイドルしか扱わない。
歌手が本業で、3ヶ月に1枚のペースで新曲を発表するような、古典的アイドルは見当たらなくなった。しかし、魅力的なアイドルは、いろいろな所から現れた。現代音楽のバルトークやシェーンベルクやサティのように。
90年代を通じて活躍した森高千里(1987デビュー)は、実は80年代デビュー。中学生の作文のような歌詞を、硬質な声で歌い、アイドル的な共感を得た。名曲が多いが、『私がオバさんになっても』(1992)が彼女の世界観を最もよく示している。
SPEED(1996デビュー)もアーティストとして扱われているが、浜崎あゆみや安室奈美恵とは異なるアイドル性を持っていた。『ホワイトラブ』(1997)のハイトーンが印象的。
役者では、全盛時にヘアヌード写真集を発表したカリスマアイドル宮沢りえ(1989デビュー)の『ドリームラッシュ』(1989)は、当時全盛だった小室哲哉作品。スピード感あふれる、同時代の少女たちへのメッセージソング。
広末涼子(1997デビュー)の『MajiにKoiする5秒前』(1997)は、かつての薬師丸ひろ子の歌手デビューに匹敵するインパクト。清純かつキュートで洗練されている。多くのアイドルに曲を提供してきた竹内まりやの集大成的名曲。
モーニング娘。(1997デビュー)は、つんく♂がプロデュースした、本格的なアイドルユニット。『LOVEマシーン』(1999)は、大ヒットして日本を元気にした歌。紅白歌合戦で都合3回も歌われている。モーニング娘。は、ハロープロジェクトという広がりに発展し、現在も様々なユニットやソロ歌手を展開している。その中でも、松浦亜弥(2001デビュー)の『Yeah! めっちゃホリデー』(2002)は、アイドル歌手として完璧なパフォーマンス。アンドロイド説が囁かれたのも肯ける。
21世紀、アイドルはコアなファンが楽しむ特殊な趣味になりつつあった。
Perfume(2005メジャーデビュー)は突然変異のアイドル。『ポリリズム』(2007)は、電気的に変換した音声で無機質な曲を歌う。
秋元康が、おニャン子クラブから20年の時を経てプロデュースしたAKB48(2008メジャーデビュー)は、秋葉原で公演を開始して5年後に人気爆発、国民の誰もが知るアイドルグループになった。しかし、現時点での代表曲は、メジャーデビュー曲である『会いたかった』(2008)であろう。「好きならば好きだと言おう」という秋元が一貫して発しているメッセージがストレートに歌われている点、何かが始まる時のはちきれそうな躍動感は、その後のセールスで上回る楽曲も越えられていない。
ハロープロジェクトやAKB48の成果が、アイドルというジャンルの伝統を後世に引き継ぐことに成功するか、一過性のブームに終わり、アイドルというジャンルは消滅するのか。今、その分岐点にある。(了)
参考文献
・『歌謡曲名曲名盤ガイド1970s』(Hotwax)
・『歌謡曲名曲名盤ガイド1980s』(Hotwax)
・その他、LP・CDの歌詞カード、各アイドルのホームページ等
追記:100曲という制約は中途半端になってしまった。次回は300曲くらいでやってみたい。
藤谷美紀(1988デビュー)は『転校生』(1988)、西田ひかる(1988デビュー)は『Nice Catch』(1988)、中山忍(1988デビュー)は『小さな決心』(1988)、田村英里子(1989デビュー)は『ロコモーション・ドリーム』(1989)など、小ヒットはあり、タレントとして長く活躍したが、大きなブームには至らなかった。
WINK(1988デビュー)が、無機質な振り付けの『愛を止めないで』(1988)でブレイク、『淋しい熱帯魚』(1989)で89年度レコード対象を受賞したのが、アイドル全盛期への挽歌となった。
その後、長いアイドル氷河期が続くこととなる。
90年代で正統派アイドルとして、そこそこ認知されたのは、高橋由美子(1990デビュー)(『step by step』(1990))、酒井美紀(1993デビュー)(『永遠に好きと言えない』(1993))くらいである。
一方で、グラビアアイドル、CMアイドル、アイドル女子アナなど、歌を歌わないアイドルが広く活躍するようになった。音楽史としてのアイドル史では、歌を歌うアイドルしか扱わない。
歌手が本業で、3ヶ月に1枚のペースで新曲を発表するような、古典的アイドルは見当たらなくなった。しかし、魅力的なアイドルは、いろいろな所から現れた。現代音楽のバルトークやシェーンベルクやサティのように。
90年代を通じて活躍した森高千里(1987デビュー)は、実は80年代デビュー。中学生の作文のような歌詞を、硬質な声で歌い、アイドル的な共感を得た。名曲が多いが、『私がオバさんになっても』(1992)が彼女の世界観を最もよく示している。
SPEED(1996デビュー)もアーティストとして扱われているが、浜崎あゆみや安室奈美恵とは異なるアイドル性を持っていた。『ホワイトラブ』(1997)のハイトーンが印象的。
役者では、全盛時にヘアヌード写真集を発表したカリスマアイドル宮沢りえ(1989デビュー)の『ドリームラッシュ』(1989)は、当時全盛だった小室哲哉作品。スピード感あふれる、同時代の少女たちへのメッセージソング。
広末涼子(1997デビュー)の『MajiにKoiする5秒前』(1997)は、かつての薬師丸ひろ子の歌手デビューに匹敵するインパクト。清純かつキュートで洗練されている。多くのアイドルに曲を提供してきた竹内まりやの集大成的名曲。
モーニング娘。(1997デビュー)は、つんく♂がプロデュースした、本格的なアイドルユニット。『LOVEマシーン』(1999)は、大ヒットして日本を元気にした歌。紅白歌合戦で都合3回も歌われている。モーニング娘。は、ハロープロジェクトという広がりに発展し、現在も様々なユニットやソロ歌手を展開している。その中でも、松浦亜弥(2001デビュー)の『Yeah! めっちゃホリデー』(2002)は、アイドル歌手として完璧なパフォーマンス。アンドロイド説が囁かれたのも肯ける。
21世紀、アイドルはコアなファンが楽しむ特殊な趣味になりつつあった。
Perfume(2005メジャーデビュー)は突然変異のアイドル。『ポリリズム』(2007)は、電気的に変換した音声で無機質な曲を歌う。
秋元康が、おニャン子クラブから20年の時を経てプロデュースしたAKB48(2008メジャーデビュー)は、秋葉原で公演を開始して5年後に人気爆発、国民の誰もが知るアイドルグループになった。しかし、現時点での代表曲は、メジャーデビュー曲である『会いたかった』(2008)であろう。「好きならば好きだと言おう」という秋元が一貫して発しているメッセージがストレートに歌われている点、何かが始まる時のはちきれそうな躍動感は、その後のセールスで上回る楽曲も越えられていない。
ハロープロジェクトやAKB48の成果が、アイドルというジャンルの伝統を後世に引き継ぐことに成功するか、一過性のブームに終わり、アイドルというジャンルは消滅するのか。今、その分岐点にある。(了)
参考文献
・『歌謡曲名曲名盤ガイド1970s』(Hotwax)
・『歌謡曲名曲名盤ガイド1980s』(Hotwax)
・その他、LP・CDの歌詞カード、各アイドルのホームページ等
追記:100曲という制約は中途半端になってしまった。次回は300曲くらいでやってみたい。