非常にチープな曲という第一印象だった。
夏のシングルは、元気な曲にして、水着で踊らせておけばいいと言わんばかりのワンパターン。投票券も付いているし、どうせミリオンセラー間違いなし。オマケ目当てで買われる菓子が特に美味しくもないように、大して力が入っていない曲のように思えたのだ。
しかし、何回も聴いているうちに、少しずつこの曲の良さがようやく分かってきたような気がする。
歌詞の世界は、おなじみの舞台装置に、おなじみのワードが散りばめられたもの。新鮮味はないが、安定感はある。珍しく女性視点から歌われているのが特徴か。
クロールで沖まで一人泳いでいく彼を、砂浜でタオルにくるまって見ているだけの寂しさを歌っている、その構図は『ご機嫌ななめのマーメイド』や『波乗りかき氷』(Not yet)を踏襲している。
「遊泳禁止(のロープ)」は、『夏が行っちゃった』にも出て来た。
「水着の跡(が消える)」は、『涙の湘南』、『そばかすのキス』。
「(夏の)いじわる」は、『夕陽のいじわる』(渡辺麻友)、『青春のいじわる』(菊池桃子),『いじわるねダーリン』(おニャン子クラブ)。
「誰と競って」は、『僕の桜』、『青春のフラッグ』(渡り廊下走り隊)。
この曲の歌詞の新機軸は「酸素が足りない」だ。
「恋するハートに酸素が足りない 恋の息つぎ わかってくれない 気付いてくれない」という一連の歌詞は、タイトルの「クロール」を踏まえつつ、恋に夢中になり過ぎて苦しくなる気持ちを上手く表わしている。このような使い方は、他に見た記憶がない。
そのタイトルの「クロール」という言葉だが、よく使われてそうであまり使われていない言葉だ。
まず思い出すのが『君について』だ。「君」は「クロールじゃ泳げない」と歌われているから、『さよならクロール』の設定とも符合している。
それから、おニャン子クラブの『乙女心の自由形』。恋をするのにルールなんてないと謳歌していた。
そして、ゆうゆの『秘密のクロール』。これは超名曲。二人の世界を自由に泳いで行こうという内容。『さよならクロール』の「切ないクロール 秘密の憧れ」という歌詞の「秘密」も、この曲を踏まえていると思った。ところが、念のために確認したら、この曲の作詞は秋元康ではなく及川眠子だった。意外。まあそれでも踏まえてはいるのだろう。
一方で「さよなら」がどういう意味なのか、少し考えさせる。
彼との微妙な気持ちのずれを感じてはいるが、それで別れを決意したという訳ではなかろう。彼の方からさよならを言われた訳でもない。クロールはやらないと、クロールに別れを告げているのでもないだろう。
私の解釈は、今年の夏への「さよなら」だ。「さよならクロール 過ぎる夏」という歌詞もある。恋しすぎて苦しかった今年の夏もじきに終わってしまう。来年の夏、同じように二人で海に来られるかもわからない。短い夏に、あるいは青春に、さよならを言っているのではないか。
編曲についても2点。
イントロの「ピョロピョロ」という響きは、海面で反射する太陽光の眩しさを描写しているようだ。こうした「音で情景を描写する」アレンジは、職人芸と思う。エンディングの前、一瞬静かになって、「ピョロピョロ」だけの伴奏で「さよならクロール 過ぎる夏」と歌われる。ここがこの曲のハイライトだ。
一方で、何回も挿入されているメンバーの「フゥー」という能天気な叫び声は、曲のイメージにどうにもそぐわない。感傷的な歌詞を明るい曲調で歌うのは、寂しさが際立って好ましいのだが、「フゥー」はぶち壊しだ。
ライブでファンが叫ぶことを想定して入れているのだろうが、盛り上がれば何でもいいのかと言いたい。
実は、歌詞にもう1つの解釈があり得ると考えている。
「切ないクロール 秘密の憧れ 水泳部の練習 金網で見てた」の部分がどうしても引っかかる。ここを素直に解釈すれば、水泳部の彼に密かに憧れている、これはいつもの片想いの「妄想恋愛もの」ではないか。
『ポニーテールとシュシュ』がそうだったように、実際には二人で海に行っているのではなく、それは彼女の脳内の妄想なのかもしれない。
どちらの解釈で聴くか。それも「自由形」。
夏のシングルは、元気な曲にして、水着で踊らせておけばいいと言わんばかりのワンパターン。投票券も付いているし、どうせミリオンセラー間違いなし。オマケ目当てで買われる菓子が特に美味しくもないように、大して力が入っていない曲のように思えたのだ。
しかし、何回も聴いているうちに、少しずつこの曲の良さがようやく分かってきたような気がする。
歌詞の世界は、おなじみの舞台装置に、おなじみのワードが散りばめられたもの。新鮮味はないが、安定感はある。珍しく女性視点から歌われているのが特徴か。
クロールで沖まで一人泳いでいく彼を、砂浜でタオルにくるまって見ているだけの寂しさを歌っている、その構図は『ご機嫌ななめのマーメイド』や『波乗りかき氷』(Not yet)を踏襲している。
「遊泳禁止(のロープ)」は、『夏が行っちゃった』にも出て来た。
「水着の跡(が消える)」は、『涙の湘南』、『そばかすのキス』。
「(夏の)いじわる」は、『夕陽のいじわる』(渡辺麻友)、『青春のいじわる』(菊池桃子),『いじわるねダーリン』(おニャン子クラブ)。
「誰と競って」は、『僕の桜』、『青春のフラッグ』(渡り廊下走り隊)。
この曲の歌詞の新機軸は「酸素が足りない」だ。
「恋するハートに酸素が足りない 恋の息つぎ わかってくれない 気付いてくれない」という一連の歌詞は、タイトルの「クロール」を踏まえつつ、恋に夢中になり過ぎて苦しくなる気持ちを上手く表わしている。このような使い方は、他に見た記憶がない。
そのタイトルの「クロール」という言葉だが、よく使われてそうであまり使われていない言葉だ。
まず思い出すのが『君について』だ。「君」は「クロールじゃ泳げない」と歌われているから、『さよならクロール』の設定とも符合している。
それから、おニャン子クラブの『乙女心の自由形』。恋をするのにルールなんてないと謳歌していた。
そして、ゆうゆの『秘密のクロール』。これは超名曲。二人の世界を自由に泳いで行こうという内容。『さよならクロール』の「切ないクロール 秘密の憧れ」という歌詞の「秘密」も、この曲を踏まえていると思った。ところが、念のために確認したら、この曲の作詞は秋元康ではなく及川眠子だった。意外。まあそれでも踏まえてはいるのだろう。
一方で「さよなら」がどういう意味なのか、少し考えさせる。
彼との微妙な気持ちのずれを感じてはいるが、それで別れを決意したという訳ではなかろう。彼の方からさよならを言われた訳でもない。クロールはやらないと、クロールに別れを告げているのでもないだろう。
私の解釈は、今年の夏への「さよなら」だ。「さよならクロール 過ぎる夏」という歌詞もある。恋しすぎて苦しかった今年の夏もじきに終わってしまう。来年の夏、同じように二人で海に来られるかもわからない。短い夏に、あるいは青春に、さよならを言っているのではないか。
編曲についても2点。
イントロの「ピョロピョロ」という響きは、海面で反射する太陽光の眩しさを描写しているようだ。こうした「音で情景を描写する」アレンジは、職人芸と思う。エンディングの前、一瞬静かになって、「ピョロピョロ」だけの伴奏で「さよならクロール 過ぎる夏」と歌われる。ここがこの曲のハイライトだ。
一方で、何回も挿入されているメンバーの「フゥー」という能天気な叫び声は、曲のイメージにどうにもそぐわない。感傷的な歌詞を明るい曲調で歌うのは、寂しさが際立って好ましいのだが、「フゥー」はぶち壊しだ。
ライブでファンが叫ぶことを想定して入れているのだろうが、盛り上がれば何でもいいのかと言いたい。
実は、歌詞にもう1つの解釈があり得ると考えている。
「切ないクロール 秘密の憧れ 水泳部の練習 金網で見てた」の部分がどうしても引っかかる。ここを素直に解釈すれば、水泳部の彼に密かに憧れている、これはいつもの片想いの「妄想恋愛もの」ではないか。
『ポニーテールとシュシュ』がそうだったように、実際には二人で海に行っているのではなく、それは彼女の脳内の妄想なのかもしれない。
どちらの解釈で聴くか。それも「自由形」。