地域めぐり(学食めぐり)の会に行ってきました。
3月例会は山科東部の寺社史跡めぐりと橘大学の学食でした。
コースは、勧修寺→佛光院→隋心院→一里塚→岩屋神社→橘大学。
勧修寺。
真言宗のお寺。真言宗は今年、弘法大師空海から開闢1,300年、その一大聖地高野山では今年いろいろなイベントが計画されています。私も4月、和歌山市四季の郷公園で開催されるクラフトフェア出店のついでに高野山詣でしてくるつもりです。
寺の由来などウンチクに興味ある方はネットで適宜お調べいただくとして、ここでは真言宗の宗教的矜持とも言うべきものを見かけたのでご紹介しておきます。
「原発と人権」という小冊子。真言宗御室派 明通寺住職 中嶌哲演 講演録。
2014年3月、発行は「真言宗各派総大本山会」。無料!
以下、冊子から要約する中嶌哲演師のプロフィール。
師は、思うところあって東京芸大を中退し、高野山大学で真言密教を学ぶことになるのですが、1963年、在学中に友人に誘われて広島の原水爆禁止世界大会に参加、被爆者から戦争と被爆体験の話を聞いて原子力問題に関心を持つようになります。
もともと“原発銀座”福井県出身だった師は、弘法大師の教え「自利と利他の円満、双修」の観点から原発の危険性と推進の愚かさに気付き、以来50年間にわたって反原発の活動を続けておられるということです。
「自利と利他の円満、双修」とは、平たく言えば、「自分(達)さえ良ければ」という考えではいけない、他の人にとっても良いことかを常に考え、行動しなさい、ということです。
原発の電気のおかげであなたは快適で豊かな暮らしを享受できるかもしれない。でも、ひとたび事故が起きれば大変な目にあわされるたくさんの人がいる、またあなた自身の子孫にも影響が及ぶだろう。そういうことをよく考えて原発に向き合おう。
原発を例にしましたが、この教えは原発や原爆だけではない、広く人権ひいては人としての生き方の基本的規範とも言うべきもの。
独りよがりでいたずらに難解な教義を振り回したり時の権力と結ぶようなエセ「宗教」ではなく、人としての生き方を分かりやすく自らの行動を通して説く、宗教者本来の宗教者たるべき矜持のようなものを見せていただいた気がしました。真言宗、真面目にちょっと勉強してみようと思いました。ま、入信することはありませんけどね。
翻ってこちらは真逆、皇室を戴きまさに政教一致、権力におもねる宗教の典型、国家神道のお手本のような岩屋神社。
ご朱印をもらいに行った社務所には、町の食堂よろしく厄除け、縁結び、安産、学業成就などなど、お値段の書かれたご利益メニュー札が並べられ、皇室アルバム的雑誌がたくさん置かれていました。
たかが300円のご朱印、8,000円-12,000円の厄除けご祈祷客にかなうわけもなく、高額客の受付が終わるまで待たされてしまいました。
ま、神職だって神様が飯を食わしてくれるわけもなく、下鴨神社の神さんだって自社の修復維持にマンション身売りせざるを得ないご時勢、「ご利益だって金次第」も“憲法に保障された信教の自由”だからよしとしましょう。
そんな神社にわざわざやって来たのも、奥の院にあるという“秘宝館”を見てみたいがため。
岩屋本社から橘大学沿いに坂道を登ること約300m、5分ほど、舗装路の行き止まりに奥の院への入山口があります。
伏見稲荷のような鳥居の並ぶつづら折れの坂道を登ること10分。
まず現れるのは陰厳(岩)。
全体像は下の写真のような感じですが、
ほんとうに陰厳(岩)らしいのは祠の少し右。これぞ言葉通りの“穴場”。後ろに回ってみるとまさにお尻のような...。
陰厳(岩)からさらに登ること20m、陽厳(岩)。斜面を少し上り右横から見るともっとそれらしく。
プリミティブな石座信仰というものは、まっこと邪心の無い純粋なものだったことが偲ばれますな。
あっ、忘れてた。橘大学の学食、ライスLはボリュウムがあった。シソチキンカツ+きんぴらごぼう+レンコン天ぷらで600円、おなか一杯になりました。味は普通。