チベット問題では、「中国は、独立・自由化を求めるチベット人はもとより、自国内でも国民を抑圧している共産党独裁国家」という従前からの認識を再確認した(と信じて疑わない)人が大多数だろう。
最近、あるローカル新聞で中国研究家の学者がこんな見解を提示していた。
「中国政府は情報制御、公安強化によって、むしろ自国民の中にあるチベット人排外、(外国の中国批判に)先鋭化する愛国ナショナリスト達の妄動を抑えているのだ。そうしたナショナリズムを抑え切れなかったのが戦前の日本であり、無謀な侵略戦争へと突き進んでいった。」
今の日本では、この見解を受け入れがたい人がほとんどだろう。私も正直、素直には受け入れがたかった。しかし、受け入れがたい抵抗感はあるにしてもそれを否定する根拠も持ち合わせていないのも事実だ。実際、日本が太平洋戦争にのめりこんでいった経緯としてはうなづけるものがある。逆に、こうした見解を反射的に撥ねつけてしまうほどに、私達は日ごろからメディアなどを通して洗脳されているとも考えられる。
いろいろな会話の場で中国やロシアのことが話題になると、「共産圏=共産党独裁=恐怖政治の抑圧国家」と刷り込まれているとしか思えない、紋切り型の反応しかしない人が多い。
確かに過去の自称共産主義国はそんな国がほとんどだった。しかし、それが共産主義の本質かどうかを疑うくらいの柔軟さは持ち合わせていてもよい。そうでないと、気づかないうちに巧妙な政治、思想支配に従わされてしまうことになる。これは、もちろん逆もまた真なりだが。
少なくとも「共に生産し成果を分かち合う」という共産主義の基本理念事態は正しいと思う。「自由・民主」と称するから「自由」と「民主主義」の党、国かというとそうでもないのと同様に、「共産主義」と称するから悪とも限らない。「自称」ほど当てにならないものはない。
個人的には、今のロシアは、旧官僚特権階級主導の社会主義の負の遺産と資本主義とが合体した、何をするか分からない怪物ミュータント国家、中国は中国共産党独裁のバリバリの資本主義国家だと思っている。ついでに言えば、今のアメリカは、荒廃・疲弊し過ぎてもはや他国を収奪せずには成立し得ない、醜悪な老資本主義国、日本は悲しいかな、その腰ぎんちゃく・金魚のフンだ。と、今は思っているが、人間は自分の判断が正しいと思いたい生き物であり、自分で自分を自己洗脳している場合もあるので、そうでない可能性を示す兆候が現れないかには注意ははらっている。
いずれにしても、「中国共産党政府の「恐怖政治」のおかげで、超大国中国の“軍事侵略国家化”が防げている」とする見方もありうるということを認められる、柔軟な思考回路だけは失わないようにしたい。
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