【撮影地】 東京都墨田区向島一丁目(隅田公園) (2009.4月撮影)
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4月29日、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが西側連合国に対し降伏を申し出る。終末を覚悟したヒトラーは、エヴァ・ブラウンと結婚。遺書を口述し、政府を大統領のデーニッツと、首相のゲッベルスに委ねた。
翌30日の15時20分、ヒトラーとエヴァは、総統地下壕の居間で自殺する。遺骸は官邸の庭に運び出され、ガソリンを注がれ焼かれた後、砲弾穴へ葬られた。
ドイツ新政府の首相ゲッベルスは、ベルリン守備隊によるソ連軍のベルリン包囲網を突破する作戦を敢行する。最後の最後のあがきだった。しかし、既に包囲網突破は不可能な状態であり、5月1日から2日にかけ、ベルリンの守備隊は降伏。そして、ゲッベルスは妻と子供6人を道連れに自殺。
5月1日にヒトラーの後継者として大統領に指名されたカール・デーニッツは、5月6日に全権委任したアルフレート・ヨードルをランスの連合軍最高司令官アイゼンハワーの司令部に派遣。ソ連軍に包囲されたバルト海沿岸のドイツ東部から避難民を海路ドイツ西部に受け入れるまでの時間的猶予を交渉し、48時間の猶予が与えられ、5月9日零時の発効としてドイツ国防軍全軍の無条件降伏文書に5月7日に署名した。しかし、与えられた時間はあまりにも短く、多くの避難民はソ連軍の手に落ち悲劇的な運命をたどることになった。
ソ連軍の報復は苛烈を極めた。多くの市民が自決を余儀なくされ、多くの女性がソ連兵により陵辱された。
ベルリン在住の女性の6.7%に相当する10万人がソ連兵士による性的暴力の被害者となり、そのうち10%前後が性病に罹ったとされている。レイプされた女性たちは心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が自殺した。ベルリンばかりではなく、多くのドイツの町や村でも罪のない一般市民が犠牲になった。
さらに、ソ連はベルリンの博物館や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。ハインリヒ・シュリーマンの発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない。
・・・メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は、ドイツの悲惨な状況を哀れむかのように、しずかに花びらの涙を散らしていた。
「おお、ようやく終わりかな」
「まだ、話は終わっていない」
「んで、オチは?」
「この話に『オチ』などない!」
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