先日、新橋の駅前で古本市が開かれてた。古書のなかで見つけたベルナール・フォコンの写真集『飛ぶ紙』。
ベルナール・フォコンは1970年代中頃から80年頃の間、マネキン人形を使い独特の写真世界を構築した写真家だ。少年のマネキンたちが夢幻を誘う。そんな写真集。『飛ぶ紙』は、バブル経済の華やかなりし頃の1986年PARCO出版による出版だ。前から欲しいと思っていた写真集だが、今度も高価すぎて手がでなかった。
マネキンの写真と言えば、学生時代の頃を思い出す。
キヤノンが「AE-1」を発売。それまで非常に高価な代物であった一眼レフカメラが、学生にも手の届くものになった。それまで一部の学校にしかなかった写真部が、多くの学校で開設された時代。
ばくは、ニコンの「FM」を、そして、友人は宮崎美子がCMに出演していたミノルタ「X-7」を手に入れていた。
大学の写真同好会の友人が、閉店したブティックの前のゴミ捨て場に捨てられていたマネキンを拾ってきて、ポートレイト写真のライティングの練習を始めたのは宮崎美子の笑顔に憧れてだった。
ゴミ捨て場に捨てられていたマネキンの回収。人の目もあるし、当然のことながら、深夜に。街灯に浮かび上がるバラバラになったマネキンのパーツ。なんだか動き出しそうでめちゃくちゃ恐い。それでも勇気をだして、捨てられていた3体の内、選んだマネキンは、金髪の白人女性。身長は170cmあろうか。ツルツルの下半身と上半身を組立て、それぞれを乗ってきた原チャリで運ぶことに。
必然的に、HONDAモンキーの友人は上半身を。バイト先のお姉さんに真っ赤なパッソルを借りたぼくは下半身を。
下半身はあれだ。パッソルのステップに立たせ、膝で挟み込めばなんとか運べる。問題は、上半身。
あれやこれやの試行錯誤の末、結局、友人は紐で背中にくくりつけ、マネキンの上半身をおんぶしてた。
バイク2台で深夜の世田谷通りを、マネキンの上下それぞれを抱えて走ってたときだった。
パトカー「はーい、そこのバイク左によせてー」
・・・最悪だ。。
こんな時、警察に対して少しでもキョドったら追いかけられる。っつうか、もう捕まっている。
そもそも、こんな真夜中にマネキンのパーツを抱えて走るべきではない。
2つに切断された体を運んでいるということで職質。マネキンの上半身をおんぶしてモンキーにまたがっていた友人は、当然、2ケツ(にけつ)で罰金っつうことになるだろうと思った。マネキンはノーヘルだったし。
しかし、幽霊よりも怖いと思っていたポリ公だが、マネキンの顔をチラ見するなりギョッとした顔をして。その後、マネキンの胸を凝視。友人の顔(チラ)マネキンの胸(ガン見)とおまわりの視線は忙しく行ったり来たり。最後には明らかにおぞましいものに会ったと言わんばかりに、「早く帰れ」と追い払らわれた。
・・・あのおまわりは、いったい何を見てあんなにおびえたんだろう。続きはあした。
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