今年も、ブログエアコンを稼動中。長文なので、おきて破りの分割連日投下しまつ。
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「蕣のはしめ終や筬朝寝 京 布雪」 『厳島奉納集 第二篇』
(牛と織女の年に一度の逢瀬の翌朝、いつもなら早くから機織の音がするのに、今朝はまだ 音がしない。仕事に取りかかっていないようだ。庭にはもう朝顔の花が開ききっているのに)という意味の歌だ。
「蕣」は「朝顔」のこと。「蕣のはしめ終や」で「咲いてしまう」という意味なのだろう。
朝顔の日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったことによるらしい。当時、唐では、朝顔は「牽牛花」と呼ばれていた。
その由来は、金牛山の麓に薪を拾って暮らす姉と妹による。
ある日、姉妹は山の洞窟で老人から銀のラッパをプレゼントされる。老人が言うにはそのラッパは魔法のラッパで、「真夜中に洞窟に向かってラッパを吹くと洞窟の岩が開いて百頭の金でできた牛の像が現れる。ラッパをもう一度吹くと金の牛は生きた牛になるが、夜が明ける前に洞窟から出ないと洞窟の岩は閉まって出られなくなる」とのこと。
百頭の牛を貧しい村の人に分けて上げようと、真夜中になって妹はラッパを吹く。すると洞窟の岩が開いて百頭の金の牛の像が並んでいるのが見える。もう一度ラッパを吹くと金の牛は生きた牛に変わって、ゆっくり歩き始める。けれども洞窟の開いた岩は狭くやっと一頭の牛が出られる広さしかない。
姉妹は急いで洞窟の中へ入り一頭一頭牛を押し出し、ようやく最後の牛を洞窟の外に押し出す。
その時、夜が明けて洞窟の岩は音をたてて閉まり、姉妹は洞窟の中に閉じ込められてしまう。
やがて太陽が昇ると洞窟の中の銀のラッパはラッパの形をした鮮やかな花に変わった。それからこのラッパの形をした花は毎日、朝の太陽の光をうけて開くようになった。それ以来、村人たちは姉妹を偲んでこの花を“牛を牽く花”と呼ぶようになったという。続きは明日。
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