tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

意気な深川女

2012-08-26 22:54:57 | old good things

 
 

ステキな女性だった。すでに永代通り沿いの富岡八幡宮の正面鳥居は、神輿を待つ人々で埋め尽くされていた。ワンブロックほど西に上って、コンビニの前に見つけた人波の切れ目。
8月の強烈な日差しが容赦なく、歩行者天国となったコンクリートの路上に照り付けている。
目に痛いほどの暴力的な太陽光線だ。

「逆光にならないんです?」
その女性は、ぼくの撮影の立ち位置を心配してくれるばかりか、後から来た人々に、次々に場所を譲ったり、深川祭りの説明や、その見どころなどを教えていた。その姿はまさに、昭和の時代に、まわりにたくさんいた女性たちのようだった。きりりとして意気で、笑顔がよく、身のこなしが美しい。今でも着物の女性は、帯を締め終わるとポンと叩いて「よし」とする。これは心意気の表れだ。

「粋」ではなく「意気」。この「意気」の意味を説明するのは難しい。弱きを助け、強きをくじく人、自分に自信を持っている人、気配りのきく人、相手を立てて謙虚にふるまう人と書けば「意気」が見えてくるのかもしれない。なお、英語には同じ意味の言葉は見当たらない。
「意気」は、江戸時代に醸成された特有の美意識だ。意気はまた、「意気地」という道徳的な価値観に裏付けられている。すなわち、熊井啓監督の「海は見ていた」(黒澤明 脚本)で描かれた金権社会に対する反骨精神。映画では、不幸な境遇にあっても娼婦たちにしみったれたところは微塵もなく、頼りない侍をかくまったり、だらしない男の愚痴を親身になって聞き、当面の生活費を工面してやったりする。
お金や身分や権力よりも大切なものが実はあり、それは人を人として信じる心、愛する心、助ける心、慈しむ心であって、それらを守るためにはこの身一つになって構わない、と突き抜けている。
何もかも水に流して、独りになって、凛として星空を仰ぐラストはステキだった。

江戸の華と言えば火事と喧嘩だが、喧嘩はほとんど口だけで決着したようだ。立て板に水を流したようなタンカを切ることが江戸ッ子流。このタンカを聞いて周囲の人たちがどっと笑った。見物人の笑いの声が勝敗を決したのだ。腕力を振りまわすようなことがあると、ヤジ馬の中から仲裁人が出て、そんな野暮なことをするなとたしなめられたのだ。

さて、祭りが終わると手拍子を打って手締めをする。全部無事に丸く収まったときには、
「お手を拝借。 ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん」
で三、三、九度、最後の「ちゃん」で「九」の字に点を打ち、「丸」となる。


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