【撮影地】 東京都墨田区向島一丁目(隅田公園) (2009.4月撮影)
Copyrights(c) 2005-2009 TETUJIN
all rights reserved.
時は流れて、1987年5月7日。見事に花を咲かせたメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜の前に、一人の老女の姿があった。
彼女は高校生のときに終戦を迎え、地獄のベルリンを経験したのだった。忌まわしい事故にあった彼女は、多くの女性たちと同じように死を望んだ。それでも、なんとか生きながらえたのは、この老木の八重桜のおかげだった。
当時、彼女は60歳になった時に、首をつって死のうと考え続けていた。何の目標も持てなかった。ところが、終戦の翌年の春のことだった。その年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は見事に花を咲かせていた。あまりにも見事な桜の花だった。彼女は思わず木に抱きついてしまう。
数多くの人々の不幸を見つめながらも、何事もなかったかのように堂々とたたずんでいる八重桜の木を見ていると、氷のように冷たかった彼女の心はすこしづつ溶けていった。彼女は懸命に花を咲かせる八重桜に生命の貴さを感じた。
ドイツでは、桜を特別に愛でる風習はない。おそらく、欧米の年度の切り替わりが9月であり、多くの出会いや別れが9月に集中していることが関係しているように思われる。
それでも、彼女にとって、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は特別な存在だった。
満開の桜を見ると、まるで生命そのものを見るような思いがした。そして、生命は彼女にも息づいていた。彼女は彼女でよかったと思えるようになった。
バラと桜とチューリップくらいしか興味のない彼女だったが、季節に春夏秋冬があるように、生命の形態もただ変わっていくだけなのに気づき、花が咲いても、散っても、桜がいとおしく思えてくるのを感じていた。
彼女は人に対しても、他人に対して抱えていたしこりを無くし、そうすることにより生きるのがずっと楽になった。彼女の死への願望は消えてなくなったのだ。何の罪もない幼子を女手ひとつで育てていく。彼女は決心した。・・・なによりも子供は、そして自然は、生命の仮の姿だと彼女は思えるようになった。
「感動的な話だ」
「すばらしい人生、というやつだ」
「しかし、こんな話を捏造して、いったい何が言いたいのだ?」
「捏造ではない。実話だ」
「・・・本気で言っているのか?」
「俺は常に本気だ」
「常に本気で嘘をついている、ということか」
「違うくて・・・。常に桜には罪はない。人間が問題なんだっつうことを言いたいのだ」
「んで、「オチ」はなんだ?」
「だから、この話に『オチ』などない!」
「・・・・・・」
「言うのを忘れていたが、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は
毎年5月上旬にサクラしい」
「・・・・・・」
「もう一度言うぞ。毎年5月上旬にサクラがサ」
「俺、忙しいから帰る。じゃあまたな」
************************
2009年5月。一人の老人が、今年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜を訪れた。
お世辞にも裕福であるようには見えない彼は、慣れた風に杖を突きながら足を引きずって歩いて八重桜に近づいた。
やがて、彼は桜の前で膝をついた。
そして、桜の幹に両手をまわして、そっと桜を抱きしめる。
しばらくの間、彼はそうして桜の木の下に跪いていた。
が、やがて何かを思い出したかのように、彼は着ていたジャケットのポケットに手を入れた。
彼が取り出したのは、一枚の写真だった。
写真は、桜の木の下で微笑む昨年亡くなった彼の母親が写っていた。
写真を桜の木の根元に置いて、彼は一つだけ涙を落とした。
了
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。
にほんブログ村