tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

SAKURA

2009-04-24 23:22:58 | プチ放浪 都会編

 

【撮影地】 静岡県賀茂郡松崎町 (2009.4月撮影)
Copyrights(c) 2005-2009 TETUJIN
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江戸時代の『山家鳥虫歌』という諸国の民謡を集めた本の中に、伊勢の民謡で
「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る」
というのがあるそうだ。これは男(駒)と女(桜)の卑俗な歌らしいのだが・・・。
江戸時代の終わりの頃には、この民謡は都々逸として親しまれていたようだ。
司馬遼太郎の「竜馬が行く」の中では
「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る 何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす」
と主人公の坂本竜馬が歌っている。


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SAKURA(5)

2009-04-23 22:38:40 | プチ放浪 都会編

 

【撮影地】 東京都墨田区向島一丁目(隅田公園) (2009.4月撮影)
Copyrights(c) 2005-2009 TETUJIN
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時は流れて、1987年5月7日。見事に花を咲かせたメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜の前に、一人の老女の姿があった。
彼女は高校生のときに終戦を迎え、地獄のベルリンを経験したのだった。忌まわしい事故にあった彼女は、多くの女性たちと同じように死を望んだ。それでも、なんとか生きながらえたのは、この老木の八重桜のおかげだった。

当時、彼女は60歳になった時に、首をつって死のうと考え続けていた。何の目標も持てなかった。ところが、終戦の翌年の春のことだった。その年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は見事に花を咲かせていた。あまりにも見事な桜の花だった。彼女は思わず木に抱きついてしまう。
数多くの人々の不幸を見つめながらも、何事もなかったかのように堂々とたたずんでいる八重桜の木を見ていると、氷のように冷たかった彼女の心はすこしづつ溶けていった。彼女は懸命に花を咲かせる八重桜に生命の貴さを感じた。

ドイツでは、桜を特別に愛でる風習はない。おそらく、欧米の年度の切り替わりが9月であり、多くの出会いや別れが9月に集中していることが関係しているように思われる。
それでも、彼女にとって、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は特別な存在だった。
満開の桜を見ると、まるで生命そのものを見るような思いがした。そして、生命は彼女にも息づいていた。彼女は彼女でよかったと思えるようになった。
バラと桜とチューリップくらいしか興味のない彼女だったが、季節に春夏秋冬があるように、生命の形態もただ変わっていくだけなのに気づき、花が咲いても、散っても、桜がいとおしく思えてくるのを感じていた。

彼女は人に対しても、他人に対して抱えていたしこりを無くし、そうすることにより生きるのがずっと楽になった。彼女の死への願望は消えてなくなったのだ。何の罪もない幼子を女手ひとつで育てていく。彼女は決心した。・・・なによりも子供は、そして自然は、生命の仮の姿だと彼女は思えるようになった。

「感動的な話だ」
「すばらしい人生、というやつだ」
「しかし、こんな話を捏造して、いったい何が言いたいのだ?」
「捏造ではない。実話だ」
「・・・本気で言っているのか?」
「俺は常に本気だ」
「常に本気で嘘をついている、ということか」
「違うくて・・・。常に桜には罪はない。人間が問題なんだっつうことを言いたいのだ」
「んで、「オチ」はなんだ?」
「だから、この話に『オチ』などない!」
「・・・・・・」
「言うのを忘れていたが、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は
毎年5月上旬にサクラしい」
「・・・・・・」
「もう一度言うぞ。毎年5月上旬にサクラがサ」
「俺、忙しいから帰る。じゃあまたな」

************************

2009年5月。一人の老人が、今年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜を訪れた。
お世辞にも裕福であるようには見えない彼は、慣れた風に杖を突きながら足を引きずって歩いて八重桜に近づいた。
やがて、彼は桜の前で膝をついた。
そして、桜の幹に両手をまわして、そっと桜を抱きしめる。
しばらくの間、彼はそうして桜の木の下に跪いていた。

が、やがて何かを思い出したかのように、彼は着ていたジャケットのポケットに手を入れた。
彼が取り出したのは、一枚の写真だった。
写真は、桜の木の下で微笑む昨年亡くなった彼の母親が写っていた。
写真を桜の木の根元に置いて、彼は一つだけ涙を落とした。


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SAKURA(4)

2009-04-22 22:48:52 | プチ放浪 都会編

 

【撮影地】 東京都墨田区向島一丁目(隅田公園) (2009.4月撮影)
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4月29日、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが西側連合国に対し降伏を申し出る。終末を覚悟したヒトラーは、エヴァ・ブラウンと結婚。遺書を口述し、政府を大統領のデーニッツと、首相のゲッベルスに委ねた。
翌30日の15時20分、ヒトラーとエヴァは、総統地下壕の居間で自殺する。遺骸は官邸の庭に運び出され、ガソリンを注がれ焼かれた後、砲弾穴へ葬られた。

ドイツ新政府の首相ゲッベルスは、ベルリン守備隊によるソ連軍のベルリン包囲網を突破する作戦を敢行する。最後の最後のあがきだった。しかし、既に包囲網突破は不可能な状態であり、5月1日から2日にかけ、ベルリンの守備隊は降伏。そして、ゲッベルスは妻と子供6人を道連れに自殺。

5月1日にヒトラーの後継者として大統領に指名されたカール・デーニッツは、5月6日に全権委任したアルフレート・ヨードルをランスの連合軍最高司令官アイゼンハワーの司令部に派遣。ソ連軍に包囲されたバルト海沿岸のドイツ東部から避難民を海路ドイツ西部に受け入れるまでの時間的猶予を交渉し、48時間の猶予が与えられ、5月9日零時の発効としてドイツ国防軍全軍の無条件降伏文書に5月7日に署名した。しかし、与えられた時間はあまりにも短く、多くの避難民はソ連軍の手に落ち悲劇的な運命をたどることになった。
ソ連軍の報復は苛烈を極めた。多くの市民が自決を余儀なくされ、多くの女性がソ連兵により陵辱された。
ベルリン在住の女性の6.7%に相当する10万人がソ連兵士による性的暴力の被害者となり、そのうち10%前後が性病に罹ったとされている。レイプされた女性たちは心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が自殺した。ベルリンばかりではなく、多くのドイツの町や村でも罪のない一般市民が犠牲になった。
さらに、ソ連はベルリンの博物館や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。ハインリヒ・シュリーマンの発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない。
・・・メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は、ドイツの悲惨な状況を哀れむかのように、しずかに花びらの涙を散らしていた。

「おお、ようやく終わりかな」
「まだ、話は終わっていない」
「んで、オチは?」
「この話に『オチ』などない!」

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SAKURA(3)

2009-04-21 21:24:43 | プチ放浪 都会編

 

【撮影地】 東京都台東区上野公園 (2009.4月撮影)
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ソ連軍がいつ攻め込んでくるか解らぬ状況で、ベルリン市内は恐怖と絶望に包まれていた。ナチ党員は、降伏すれば処刑されるのは確実であり、1人でも多くのソ連兵を道連れにして死ぬ覚悟だった。ヒトラーはこの時、ドイツの人種、文化、建造物の全てを灰燼に帰するつもりでいた。
その昔、ハイネは滅びゆく古典的イタリア人をみて「悲観的に夢見ながら廃虚の上に坐っている」と言った。純粋であるがゆえに滅びゆく文化を感じての言葉だという。ベルリンもまた、こうした絶望的な状況では、悲観的に夢見る以外になにができたのであろう。

いよいよ、ソ連軍の砲撃が市内に迫ると、市民の多くはベルリン市内のティーアガルテン、フンボルトハイン公園、フリードリヒスハイン公園の3箇所に建てられた高射砲塔や、コンクリート製の大型防空壕、地下鉄の駅構内、下水道など、身を潜められる所にはどこにでも逃げた。だが、ライフラインはすでに断たれていて、死は常に身近な存在だった。
それでも、多くの市民は生き残ることだけを考えていた。白旗を掲げればSSに狙撃され、何もしなければソ連兵に殺されるので、助かる道は米軍に降伏するより外になかった。

地下壕や病院は負傷兵で一杯だった。医薬品も麻酔薬も不足していた為、負傷兵は傷を負ったまま放置された。そこら中に四肢が欠けて骨がむき出しになった兵士や、血まみれで包帯が巻かれた負傷兵や死体が横たわっていた。まさに、ベルリンは地獄と化していたのである。そんな地獄の中を、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は、けなげにも花を満開にしようとしていた。

「ああ、そうか。日本では戦時中に桜は切り倒されて燃料になったのだが、ドイツはそれをしなかったのだな」
「よく知っているな。そのとおりだ」
「桜が好きでね」
「嘘をつくな。お前は花見なぞしないだろ」
「失礼な。たまには見るぞ。花柄のパ・・」
「黙ってろ。続けるぞ」


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SAKURA(2)

2009-04-20 21:32:49 | プチ放浪 都会編

 

【撮影地】 東京都台東区上野公園 (2009.4月撮影)
Copyrights(c) 2005-2009 TETUJIN
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1945年4月16日、ソ連軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。オーデル河を渡河したソ連軍は、ゼーロウ高地でドイツ第の頑強な抵抗にあうも、133ヶ所の渡河点を確保してベルリンに侵攻する準備を開始した。
4月17日、ソ連軍はゼーロウ高地のドイツ軍防衛陣地を破り、18日早朝までに高地を占領し、ミュンヘベルク (Müncheberg) へ向け軍を進めた。19日にはドイツ第9軍の戦線は突破され、ドイツ軍はベルリンなど南へ後退。
翌4月20日。総統誕生日を祝うために、軍とナチス高官が総統官邸に集まった。この日開催された軍事会議で、各種政府機関は即時ベルリンから退去することが決まった。
ベルリン防衛司令部では、ナチス党の役員がさまざまな口実をでっちあげ首都からの退却を願い出ていた。ベルリン防衛司令部は、武器を持てる者は一人もベルリンを離れてはならないと布告していたのだが、実際には2000枚以上の許可証を発行せざるをえなかった。ドイツ軍は圧倒的なソ連軍の火器の前に風前の灯火であった。
ソ連軍の迫るベルリン中央駅にあるメンデルスゾーン・バルトルディ公園では、64年前のこの日、咲きかけた老木の八重桜が戦火の風に震えていた。

「なるほど。桜の話になってきたな」
「当然であろうが」
「しかし、なんでsakuraにまつわる話が大戦中のベルリンなんだ」
「だから、それは最後まで聞けと言っている」
「わかった、わかった。続けてくれ」

4月21日には、連合軍の第1機械化軍団がベルリン郊外のヴァイセンゼーに突入し、ベルリン中心部へ向け重砲による砲撃を始めた。翌22日、第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍(4th Tank Army (Soviet Union))がテルトウ運河に到達し、23日には、ベルリン郊外市街地への突入を始める。
この日、ドイツ軍の第LVI装甲軍団の司令官ヘルムート・ヴァイトリング大将が急遽ベルリン防衛軍司令官に任ぜられ、率いる残余部隊をベルリン市街の各所に配置する。しかし、どの師団も定数を下回る寄せ集めであり、50万人近いソ連軍の前に包囲網は狭まっていった。
そして、4月25日、連合軍の第4親衛戦車軍はポツダム郊外へ達し、ついにベルリンは包囲された。

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