街はまだ眠っている。コオロギなどの虫の声に混じってホテルのクーリングタワーの機械音が聞こえる。ナイトバザールと並行して走るヂャルーンプラテート通り。この時間帯に道を行くのは夜通し飲んだくれて、こそこそ帰る朝帰りのカップルが乗る2人乗りバイクか、ホテルの朝番レストランスタッフなど。ほとんど人通りはない。チェンマイは比較的治安のよい街だ。シンガポールに次いで東南アジアNo.2とも。
暗がりを歩いていたら、棍棒を持った男が大声をあげてこちらに向かってくる。黒いパンツに白いシャツ、格好はいたって普通。その横でバーテンダーの格好をした男がなにやら騒いでいる。
すれ違ったアングロサクソン系の大男だ。そいつを店から追い出すため、棍棒を振り回している。振り返ると通り過ぎたアングロサクソン系がなにか口答えをしている。つまり、追い払われてるアングロサクソンと、追っ払っているローカルの2人の男たちのちょうどど真ん中に入ってしまったわけだ。
かなり危ない場面のはずだが、なんだか実感がない。まるでアメリカのコミック誌のひとコマをのぞいているよう。笑い出したりはしないけど、立ち止まってじっくりと観察したい気分だ。
前の晩にここを通りかかった時に、店の前のテラス席に10人ほどの露出の多い若い女性たちが座っているのが見えた。その手の店ができたんだとその時は思っていた。夜が更けて、残ったのは2人の女性。夜食だか、朝ごはんか、卓上コンロでBBQ中だ。
アングロサクソン系が追い出されたのは、きっと下手なちょっかいを出したからなんだろう。そうしたシーンに出くわして笑ってしまいそうになるのは、武器に対する知識が希薄なこともある。しかし、緊迫感がないのは、タイの男たちの顔の迫力のなさからだろう。凄味が感じられないせいだ。
タイにはキックボクシングの伝統武術がある。凄味が感じられない用心棒でも、そうした心得があるのかもしれない。格闘技は得てして鍛錬に基づいた冷静さがモノを言う。迫力のなさ、殺気のなさは、思いのほか武術の達人であるからかもしれない。一度、ランキング上位のキックボクサーのポートレイトを撮ってみたいと思った。はたして、ファインダーに殺気を感じることができるんだろうか。
ニューカレドニアのアンスバタ・ビーチもシトロン・ビーチも、ヨーロッパ系はもちろんのこと、体を動かすのが苦手なメラネシア系もまた日光浴を楽しんでいる。強烈な紫外線なのだが、お洒落なパリやコートダジュールのような海辺の街並みに、メラネシアンの家族たちの優しい笑顔。
芝生の広がる木陰ゾーンには椅子やテーブルがあり、昼夜を問わずにピクニック気分でのんびりと食事を楽しんでいる。
ただし気になるのは、年頃のメラネシアン男女の割合が少ないこと。ニューカレドニアの人口ピラミッドをみれば各年代が均等に分布しており違和感はないのだが、首都ヌメアではあまり若者を見かけない。
https://www.populationpyramid.net/ja/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A2/2017/
ニューカレドニアを旅していると、乞食や路上生活者が目につかない。1853 年にフランス領となってから間もなく、石炭、金、銅、コバルト、クロム、アンチモン等の様々な鉱物資源が発見されたため、鉱業面において南太平洋の近隣国に対し大きな優位性を得ただけではなく、国際的にも、政治面や経済面での重要性を認められるようになっている。ニューカレドニアの経済的繁栄は1人あたりの国内総生産に照らし合わすと、南太平洋諸国間、フランスの海外県、また世界的に見ても上位を占める。しかし、ニューカレドニアは大失業の危機にあり公衆保健衛生が機能しなくなるような経済及び社会情勢に直面している
聞くと、若者たちはグアム、ハワイ、あるいは米本土への出稼ぎにいってるようだ。「楽園」のイメージと厳しい現実がそこにある。
日本語のガイドは20代前半の福島生まれの女性だった。ふだんはブーライユにあるリゾート・ホテルに勤務しているのだが、離島ツアーで日本語ガイドの要請があると彼女の出番らしい。
年恰好からしてニューカレドニアの滞在経歴は浅いはずなのに、フランス語がペラペラ。
フランス人の英語ドライバーガイド氏と対等にフランス語で冗談を言い合ってる。。。
自分がフランス語は全くダメなこともあって、フランス語で自分の考えを言える人はすごいと思ってしまう。
ぼくの場合、外人との会話は英語に頼るしかないのだが、会話できたとしても旅の初歩英会話程度。
2~3回、言葉のキャッチボールをすると、それ以上、会話は進まない。
もっとも、今の言葉でいう「発達障害」?
・・・小さい頃からコミュニケーション障害に苦しんできたから、日本語でさえも会話ができないのだが。
コミュニケーション障害の現認は思い当たる。自分をよく見せようとして、必要以上に相手を恐れてしまい言葉が続かなくなる。なぜそうなったかも、最近、ようやく自分がわかってきたような気がする。
外人から日本語で話しかけられても英語で返事してしまうのは、自分の過剰な自己防衛のためだときがついたりした。
こんなコミュニケーション障害のぼくでも、不思議に会話がはずむ相手もいる。多くの場合は劇的な状況を共有した相手とか、食事に付き合ってくれる相手とか。生命の危機に関するものであれば、本能的に過剰な反応を抑制することができるのだろう。
福島の彼女もそんな相手だった。というか、福島なまりの日本語と、その延長で福島弁のようなフランス語を聞いてると聞き流すわけにはいかない。フランス語は全くできないけど、この島にしばらく住んでみたいと彼女を見てて思ってしまった。天国に近い島ニューカレドニアならなんとかなるのかも。
彼はフランス国籍の30代後半。ニューカレドニア離島の英語ガイドだ。
ふだんはお酒も飲まず、仕事が終わればジムに行き、水泳とトレッドミル、フィットネスバイクでそれぞれ数キロ、毎日体を動かしているらしい。
ニューカレドニアでは、トライアスロンの種々の規模のレースが毎月のように開催されるが、トライアスロンには興味がないという。それぞれの種目で体を動かすのが好きなんだと。
ジムにしろ、ビーチ沿いのジョギングにしろ、体を動かしているのはおもにヨーロッパ系。メラネシア系は、体を動かすのが好きじゃなさそう。
ヌーメア(島の南)から、空港のある中央部を通過して島の北側へ。約3時間の山道ドライブ。
いくつもの連なる赤茶けた山を越すとエメラルドグリーンのラグーンの広がりが見えてくる。
・・・毎日この景色を見てるんだぜ。道路の向こうに見えた海の色に歓声をあげると彼が言う。
たしかに美しすぎるビーチだ。世界遺産じゃなかったら、白いビーチにテントを張ってぜひともキャンプしてみたいと思う。
ゴムボートで離島に渡り、さんざん海で遊んでの帰り道。島の北と南を結ぶ一本道。長く続く赤茶けた山道の道沿いに大小さまざまな集落がある。
ちょうど平日の登下校の時間。道路わきを制服を着た女子中学生たちが歩いていく。クリスが車の中から声をかけるのと、ぼくが手を振るのが同時だった。
中学生たちがはにかみながら挨拶をする。
・・・かわいいよな。。アラフォーのクリスが言うと、日本だったらやばい気がするが、こちらではそれが習慣らしい。ヌーメアで道に迷って、丘の中腹の高校のグランドを通り過ぎた時も、下校する高校生たちに挨拶されたっけ。
観光客が多いビーチは都会といった雰囲気だが、一歩、中に入れば、そして車で3時間も繁華街から離れれば、そこは自然たっぷりの田舎。・・・まさにイメージ通りの天国がそこにある。
灼熱の太陽が海に沈み、空や海を真っ赤に焦がす。
丘の上の教会にその少年はいた。美しく端正な顔立ちが、すぐさまぼくの視線を捕らえた。その視線が交差する一瞬に、ぼくの目は幸せでいっぱいになった。
ニューカレドニアとその光。そして子供たち。
シトロンビーチの子供たちがなぜ大笑いしていたのか、ぼくは永遠に知ることはない。