昨日は成績不振者の追試&合否判定会議があった。試験に全員無事に合格してくれたので、3年生全員卒業が決まった。次の登校日おめでとうが言えると思ったら、何かハッピーだった。まあ、きっと髪は茶色で、身だしなみ指導で大変だろうけどね。
今朝は2h休みをもらった。
昨日は成績不振者の追試&合否判定会議があった。試験に全員無事に合格してくれたので、3年生全員卒業が決まった。次の登校日おめでとうが言えると思ったら、何かハッピーだった。まあ、きっと髪は茶色で、身だしなみ指導で大変だろうけどね。
今朝は2h休みをもらった。
「バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式~」という映画が公開されている。
詳しい筋書きはネタバレになるので、ここでは書かない... というか、僕もまだ見ていないので(見る気がある)わからないのが本当のところだ。
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いわゆるバブル景気は、指標の取りかたにもよるけど、概ね、1986年(昭和61年)11月から1991年(平成3年)10月までの5年近くを指すのが通説となっているそうだ。現在の高校3年生が生まれたのが、1988年4月2日~1989年4月1日までなので、彼ら彼女たちにとっては歴史である。
1986年11月、僕は何をしていただろう。考えてみると、僕は初任校で3年生の担任をしていた。11月だと卒業まで数ヶ月ということになる。もちろんある日突然、「今日から景気がよくなりま~す」って、アナウンスがあるわけではない。あの学校は、学年で400名程度の生徒の半分は就職希望だった。でも、考えると、就職希望者は行き先が確かに決まった。
卒業生を送り出した後、1987年(昭和62年)4月から、僕は進路指導部で就職指導担当になった。初任校には平成元年度いっぱい勤務したので、丸3年間、まさにバブルど真ん中の就職指導だった。なんだかよくわからないけど、景気がいいと実感できた。はっきり覚えていることは、とにかく人手不足で、超売り手市場だったこと。平成元年度は確か求人票が6000枚を越えた。求人票はかなり紙質のいいもので薄手だが、1000枚で10㎝になる。求人票だけで60㎝の山ができる。また、今でこそほとんどないが、当時は求人票に同封されてくる会社案内も豪華だった。映画のFB(ファンブック・プログラム)クラスのものが普通レベル。それが山のように送られてくる。今から考えると信じられないことだった。
こんなこともあった。担任をしていた学年の卒業直前、NTTの株式が東証に上場。初値が一株160万円。その2ヶ月後には史上最高値の318万円まで高騰した。何でこんなに民間にはお金があるのか理解できなかった。
今ではもうあまり使われないが、バブリーという形容詞もあった。英語のbubblyとは意味がちょっと違う。
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13日、フジテレビで、カスペ!『クイズ!年の差なんて バブルへGO!!スペシャル』が放送されていた。バブル経験世代vs未経験世代のクイズだったが、いずれにしてもあの時代をクイズにして、笑い飛ばせるようになったのかなあと思った。日本経済・社会があの時代に負った傷ようやく治り始めたのだろうか。そんなことを感じた。
この映画は、見に行こうと思う。映画館へGO!!