2020年の夏季オリンピック・パラリンピック、東京都が立候補、最終候補に残っている。開催地決定は来年のようだが、もしも決まったら... と思うことがひとつある。いわゆる音楽監督のことである。正式な職務名ではないと思うが、オリンピック全般の音楽を取り仕切る人物のことだ。
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オリンピックと音楽...
僕がこの2つのことがらを強く意識したのは、1984年のロサンゼルスオリンピックである。この時が初めてかどうかわからないけど、オリンピックの音楽アルバムが発売されたほど、音楽に注目が集まった大会だった。有名なファンファーレ&入場行進曲は、映画音楽の作曲家として、当時でもすでに超有名人だったJohn Williamsによるものである。彼は後にアトランタオリンピック(1996年)、ソルトレイクシティーオリンピック(2002年)のテーマ曲も作曲している。彼はこれ以外にも、1988年のソウルオリンピックの、NBC中継番組のテーマソングも書いている。
坂本龍一が1992年のバルセロナオリンピックにおいて、開会式の音楽を作曲、指揮したこともある。
「2016年、もし東京でオリンピックならば...
残念ながら実現しなかったが、以前考えたことがある。
「もしも、’20年夏、東京でオリンピックならば、8年後の日本で誰が音楽監督をしているだろう...
ロンドンオリンピックも開会の直前、考えてしまった。
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日本は過去これまで夏1回、冬2回オリンピックを開催している。
1964年(昭和39年)東京大会、入場行進曲は古関裕而の「オリンピック・マーチ」である。
1972年(昭和47年)札幌冬季オリンピック、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」はいわゆるテーマソングである。なお、この大会には、これも古関裕而による「純白の大地」という楽曲がある。
1998年(平成10年)長野オリンピックにも、湯浅譲二の「冬の光のファンファーレ」という楽曲がある。
「純白の台地」「冬と光のファンファーレ」2曲は、この記事を書くために調べたことだが、両方とも知らない楽曲である。
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ここ何回かのオリンピック、中継に当たる放送局ではテーマソングを作っている。どの局も、著名なアーティストによる、いかにもという感じの曲である。でも、番組テーマソングと大会の音楽監督は別である。
現在の日本の作曲家で、指揮もできればこなす人。年齢ならば大会時年齢60台がいいのかな。誰がいるだろう。僕はこの人かなと思う人がいる。まあ、もし東京になったら、ブログに書こうと思う。(文中敬称略)
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2008.09.14、「適任者はいるのだろうか。」