春日武彦著『老いへの不安』を読んだ、「往生際が悪い」の指摘にドキリだ
昨晩から台風は日本に上陸しなかったもの、今朝から大雨警報が出た。そんな中、今日の「映画『無言館』上映&無言館館主窪島誠一郎さん講演会」だった。ともあれ終わった。チケットの販売では私の定めた目標には遠く及ばなかったが、大雨警報の中では、本当にたくさんの方々に参加していただいた。心から感謝している。この「催し」については、明日また。
さて、今日は雨の日であり読書の話題とさせていただく。相変わらず、老いとか逝き方に関連する本を読みあさっている。最近読んだのは春日武彦著『老いへの不安』(朝日新聞出版刊)だ。少しだけ抜き書きとすることをお許しいただきたい。
表表紙には「歳をうまく取れないために生じる恥、勘違い、いかがわしい振る舞い。老人たちの不安に向き合ってきた精神科医が、臨床現場での知見と数多くの文学作品の読解をもとに、老人の心に迫る。哀しくもおかしな老いの見本帳」と書かれている。本の副題には「歳を取りそこねた人たち」と付いている。
幸福について著書は「日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。それは往々にして退屈に感じられたり、無価値に映る(特に若者にとっては)。だが大病を患ったり、危機的な状況に追い込まれたりすると、つくづく『当たり前の日常』の有り難さが身に染みるもの」と書いている。
そして同時に、「どうもわたしの世代に近いほど(筆者注;著者は1951年生まれ)、歳を取っても貪欲というか大人げないというか、あるいは若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。それを先取りするかのように不安が膨れあがってゆく」とも書いている。
また著者は、「老いることへのネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないこと、世間から置き去りにされかねない不安、師への接近といったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して遠ざけられがちなことへのもどかしさ、切実な無力感といったこともあるかもしれない」と指摘している。
重ねて著者は、「自分は50代も終わりに近づいている。(中略)だがそれにしては貫禄もないし、深みもない。落ち着きもなければ他人に年齢を感じさせることもできない。言葉にも態度にも説得力を欠き、欲望は未だに生々しく、枯淡の境地には程遠い」と書いている。この言葉は、そっくり私も当てはまると、苦笑ながら読んだ。
そして、「老いについて不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない」と指摘している。ドキリとした。
「花と野菜の園芸教室」で、園芸の第一歩である「土づくり」等を学んだ
今日も朝から雨。心配している台風は、大きな被害が出ないようにと願うのみ。しかし、今日の「映画上映&講演会」が雨で参加者が減るのではと、いささか心配だ。そんな雨の中でも、たくさんの方が参加してくれますようにと、祈るような思いだ。
ところで、昨日は東公民館へ行った。昨日で三日連続で、かってない事だ。昨日から開講した東公民館主催講座「花と野菜の園芸教室」(奇数月の第四土曜日に開講)に参加するためだ。この講座は、「あかれんがクラブ」の共催となっている。今春から野菜づくりを始めたので、しっかり参加して学ばせてもらうつもりだ。
この「花と野菜の園芸教室」は、元高松農業高校の先生であった難波武志さんを講師に、今年で三年目となる人気の講座である。私は今年が初めての参加だ。連続して学んでいる人が多い。
それにしても、この講座の人気はすごい。昨日の参加者も50名を超えている。お話しはとても具体的で、わかりやすい。そしてみなさんご自身が花やお野菜、果樹などを育てておられるので、熱心に聞かれているし、質問時間には、実際やっていて直面している問題について、具体的な質問が相次いだ。
ところで、昨日は講義の他に実技として、公民館のロードサイドガーデンに、マーガレットやペチュニア、そしてケートなどを植える予定であったが、雨で中止となった。残念だった。
それにして昨日は、少しだけ聞いていたこともあるが、今回体系的に園芸の第一歩である「しっかりとした根が張れるよい土に食物を植えることから始まる」土地づくりについて、まさに初歩から学ぶことができた。感謝だ。
この「花と野菜の園芸教室」は、奇数月の第四土曜日に開講となっているが、毎月開催できないものかと思うほど次回が待ち遠しい。しっかりと学んで、我が畑のお野菜づくりに生かしていきたいものだ。