地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

2012年11月15日 | 身辺雑記

 

沢田の柿&つるし柿を楽しみ、柿を極めた坪内捻典著『柿日和』を読んでいる

 今我が家には、収穫してきた沢田の柿がたくさんあり、毎日食べている。しかし、知り合いに食べていただく勇気がない。自分が食べても美味しくないのだ。ある時、「あれでは沢田の柿とは言えない」と指摘されたが、そのことを実感する。原因はハッキリしていて、摘果が不十分で、小さいのがスズナリ状態で甘みがない。やはり、大きい柿が美味しい。毎年、摘果前には頑張って間引こうと思うのだが、いつもスズナリ状態となる。相当に思い切らないと大きい柿は実らない。今年もそのことを痛感した。

 そんなことを思いつつ、昨日は二回目のつるし柿の皮むきをした。私はとても不器用だが、柿やリンゴの皮をむくのは自分で言うのも何だが美しくむける。今回、わずか20個ほどだが皮をむいた。第一陣のつるし柿は、もう楽しんでいる。

 そんな柿ずしくの日常の中で、書名にひかれて坪内捻典著『柿日和 -喰う、詠む、登る-』(岩波書店)を読んでもいる。この本の扉には、次のように書かれている。「文学でも食卓でも馴染み深い柿は、日本の原風景に典型の本であるとともに、いまやKAKIとして海外にも流通している。甘柿とは限らない、ときには渋柿に難渋し、体当たりネンテン先生、柿を極める一冊です」とある。

私であり、沢田の柿を食べながら、この坪内捻典著『柿日和』のページをめくっている。至福の時だ。(この柿の画像はネットから借用した。感謝)

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お別れざっし 葬

2012年11月15日 | 読書

 

日本初の喪主向け葬儀実用誌『フリースタイルなお別れざっし 葬』、スゴイ

 今月11月5日に「奥山晶子著『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』(文藝春秋刊)を読んで、目が開かれた思いだ」と書いた。その奥山晶子さんが一人で刊行している、日本初の喪主向け葬儀実用誌『フリースタイルなお別れざっし 葬』を、全冊お送りいただいて読んだ。

 この雑誌は現在まで5号が発行されており、奥山晶子さんが提唱する「フリースタイルなお別れ」が、様々な角度から取り上げられていて、たくさんのことを学んだ。こうした本の発行を多くの人は待ち望んでいたと言えよう。素晴らしい雑誌だ。豊かな内容で、スゴイの一語だ。一人でも多くの人に読んで欲しいものだ。そして同時に、早く第6号を発行して欲しいと願う。

 かく言う私は「フリースタイルなお別れ」の中で、家族葬を選択している。誰にも知らせず、家族だけで送ってもらおうと思っている。なかなかに難しい問題はあるようだが。

 ところで、私はお葬式では決して忘れられない辛い思い出がある。私の住む地域は田舎で、父は地域の方々とともに尽力をして、葬式用の祭壇を地域で作った。その完成直後に父は死亡(1981年)した。入院中ではあったが、元気で「退院したら温泉にでも行こう」と話をして分かれた。すると、夕方病院から電話があり行くと、もう顔には白布がかけられていた。

 それからは怒濤の時間が流れた。我が講中で聞いたことがあった葬儀社に依頼し、祭壇は父が苦労して地域所有としたものを使ってもらうこととした。すると、ナント、出棺になって見るとこれほどお粗末なのがあるのかと思うような霊柩車がきていた。葬儀を終えてよく考えてみると、そんなことは何一つ相談しなかったように思う。

 それにしても、あれだけの霊柩車を配車した葬儀社に対しては、生涯の怒りがある。父に申し訳ないことをしたと今でも思っている。そして同時に、そんな心ない葬儀社に別れを委ねている方々に、哀れをも感じている。

 ともあれ、誰もが経験する別れであり、自分自身そして家族が納得するような「別れの儀式」をと考える。その意味でも、奥山晶子著『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』は、そんなことを考える最適の本だ。一読をオススメする。

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