明日は雨、追加のタマネギなどを植えるため今日は頑張って土づくりをした
過日植えたタマネギは早生が約50本、そして追加として赤タマネギ50本とタマネギ200本。去年も300本植えて、すぐに食べてしまったので、さらに追加を植えるべきかどうかと悩んでいた。
すると、今日県立図書館で、我が畑の近くでお野菜を育て、いろんな苗をいただいている方と偶然お目にかかった。その際、「タマネギの苗が100本ほど余ったので植えませんか」というありがたいお話しをいただいた。
しかし一方では、まだなすびなども抜かないままにしているので、畝に空きがない。明日は雨との予報なので、今日の夕方は暗くなるまで、頑張って苦土石灰を撒く等土づくりをした。とにかく、畑作業もお天気を睨みながらだ。
タマネギを植える時には、ついでということでエンドウも追加で植えようと思っている。いずれも収穫は、来年の春以降。野菜づくりも、長いスパンで考えることが必要だ。タマネギやエンドウの収穫前には、春もの野菜を植える必要があり、それなりに計画性も必要だ。お野菜を育てるのも頭を使い、呆け防止にいいのかも。ともあれ、楽しみながら、頑張りたいと思う。(お野菜の写真はネットから借用。感謝)
押川真喜子著『こころを看取る』を読んだ、人間と仕事の素晴らしさに感動した
今朝アップした我がブログの記事に書いた最近感動した二冊に続いて、もう一冊感想を書く。押川真喜子著『こころを看取る 訪問看護師が出会った1000人の最後』(文藝春秋刊)で、心から感動して読んだ。日野原重明先生の聖路加国際病院の訪問看護ステーション所長である著者の出会った「最後」には、ずいぶんと心を打たれた。
私が監事のお役をいただいている法人も「訪問看護ステーション」を運営している。その「訪問看護ステーション」に、上期と下期と年二回監査に入らせていただき、所長さんとお話しさせていただき、ご苦労なども聞かせていただいている。そのステーションでも、近年は看取りの患者さんが少なくないと伺っている。
それだけに、少し実情も知っているだけに、余計にこの『こころを看取る』に心打たれた。第一章 生き方の選択、第二章 介護する家族の風景、第三章 子どもたちの在宅療養、第四章 訪問看護という仕事、第五章 看護師として、女性として、第六章 在宅医療を実現するために、という章立てを見ただけでも、訪問看護という仕事とその直面している患者さんの生き方等が全面的に書かれていて、各々の内容に感動した。この種の本としては、最も読み応えのする本と言えよう。
押川真喜子さんはその著書の中で、「看護師である前にこういう人間でありたい」という「信条」を書いている。その内の二つを紹介しておこう。「患者さんの“心の声”を聞くための感性を磨く、患者さんやご家族の生活歴・価値観・倫理観・死生観などを理解する」とある。私も同感なので、いささか少しだけ遅きに失しているが努力したいと考える。
笹原瑠似子著『おもかげ復元師』、誰もが避けられない死と向かい合った
最近感動的な本に連続して出会った。こうしたことは、結構珍しい。まずは「奥山晶子著『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』(文藝春秋刊)だ。この本については、既に書いた。そして、『おもかげ復元師の震災絵日記』(ポプラ社刊)と同じ著者・笹原瑠似子の『おもかげ復元師』(ポプラ社刊)だ。
人間にとって、絶対に逃れることのできないのが死。そして使者はこれまた絶対に生き返らず、死後の世界は誰も知らない。それだけに死は、辛く悲しい別れとなる。
笹原瑠似子さんの著書『おもかげ復元師の震災絵日記』でも涙は流れたが、今回読んだ『おもかげ復元師』には、涙が止まらなかった。様々な死に直面して、そのご遺族との出会いと語らいの中で、否応なく「人が死ぬこと」と著面する。そんな中で、死者の「おもかげ」を復元する仕事を通じて。ご遺族の思いを受け止め、死者とも語り合う。
死者がとりわけて子どもの場合には、よけいにご遺族は切なく悲しい。孫との対面を切望していたおじいちゃんが、臨月で母子ともに死亡した子どもの遺骨の入った骨壺を掲げて、「高い、高~い」をしたとのシーンなどには涙が止まらなかった。
誰もが避けられない人の死と向かい合い、残されたご遺族が心残りのないように笑顔で永遠の別れができるようにとの、おもかげ復元師・笹原瑠似子さんのお仕事に魅せられた。
この本の最後に「ごはんが食べられる日常が、人と笑い会える日常が、助けられ、支えられ、また一方で助け、支えることができる日常が、いかにありがたく、差会わせなことか、そのことに感謝しながら、人生を生きて行けたらと思います」と書かれている。同じ思いであり、深く、深く頷いた。