21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

みんなと維新の話

2012-08-29 08:39:22 | 政治にモノ申す
 維新の国政進出にあたって、みんなの党と合流するとの見方があったが、維新が他党との合流はせず単独で新党を旗揚げすると宣言したことで、維新と合流して一気呵成に総選挙になだれ込むというみんなの党の目論見はもろくも崩れた。

 これでみんなの党は早くも鮮度切れの烙印を押され、ともすれば内部崩壊も懸念される苦境に追い込まれた。政治の世界ほど鮮度がものを言う。既成の大政党とて、何度、痛い目に会ったことか。まして小政党は悲惨だ。社民党を見ていればよくわかる。イデオロギーの絆がなければ、とっくに消滅していた。

 それにしても維新は単独で打って出るというが、どう考えても無謀だ。断言する。いくら維新ブームが起きたとしても、過半数を超える勝利などぜったいにありえない。 無党派層を総取りしても過半数は厳しい。まして、半分は敵というのが選挙の常識だ。従来の選挙は無党派をより取り込んだ方が勝っていた。もし、維新が勝つとすれば支持政党ありの有権者を半分取り込み、さらに無党派層を7割取り込まないとならない。

 十分ありえるのが、全党過半数割れという結果だ。そのとき、維新はどうするか。当然、第一党に協力し与党になるはずだ。

 問題は、それで彼らの目指す政治がどこまで実現できるかだ。結局、やんちゃな政治が横行し、まとまるものもまとまらない。政治そのものがゴタゴタになるのではないか。

 あえて同じ政界の革命児として比べるなら、小沢と橋下の違いはそこである。小沢は先を見越して新党ブームで沸き立つ選挙に臨み、政権をまとめ上げた。今回も、当然、そう考えていた。オリーブの木は実りそうもないが、考えていることは理解できる。

 一方、橋下はどうか。確かに、与野党の重鎮や議員と交流はするが、結局は旗振りにこだわる。その結果、みんなの党とも袂を分かつことになった。かりに、総選挙でブームが起こり100議席を超える大勝利を果たしたとしても、結果は自民と組むしか道はなくなる。自公維新政権。聞いただけで、がっかりする。選挙が終わった瞬間に鮮度がた落ちである。

 もし、本気で天下取りをめざすなら、とにかく他党と選挙協力してイニシアチブを握り、選挙区を制して第一党となることだ。小沢の国民の生活とは政策が違うと一蹴したが、どうも単に小沢にイニシアチブを握られるのを嫌っただけにすぎない。だから、政策が似ているみんなの党まで袖にしたのだ。

 だいたい今の政治、政策が大事などと言っている割に、やっていることは全く逆ではないのか。マニフェスト選挙を仕掛けて勝利した民主が、マニフェストを無視しているのだから、日本の政治はカメレオン政策で十分という皮肉な結果が生まれてしまった。

 もちろん、政権与党は政策に真摯に取り組む姿勢が大事だが、政権を取らずして政策もくそもないのも事実だ。だったら、有権者に政策を訴える一方で、選挙後のカタチも考えないと天下も取れないし、仮に政権与党になっても思いきった政治ができない。そもそも維新が何をやろうとしているのかよく分からないが、今回のようにみんなの党を袖にしたことで、政策も政権のカタチも見えない、ただの元気な狂気政治集団なのではないのか。

 
コメント
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