21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

戦場ジャーナリストの死を悼む

2012-08-22 09:29:06 | 雑記帳
 日本人の戦場ジャーナーリストがまた一人、戦火の犠牲になった。かつてのジャーナリストのはしくれとして、心を痛めている。

 彼らの使命感は本物だ。一時、某戦場カメラマンがTVのバラエティー番組でひっぱりだことなり、その存在がクローズアップされはしたが、彼のユニークなキャラクターのみがもてはやされ、彼が本当にジャーナリストとして世の中に訴えたかったことが日本人に伝わったかどうかは残念ながら怪しい。

 世界中の紛争地帯に身を投じて、レンズや言葉を通して彼らが訴えるのは、正義などではなく、争うことで生じる多大な犠牲とその意味である。シリアの内乱の地ではからずも戦場ジャーナリストとしての生涯を全うした山本さんは、それまで戦火の中で生きる女性や子供たちにスポットを当て取材活動に励んでいたという。彼女が伝えたかったのは、地球上で起こる理不尽な命のやりとりによる「犠牲」であり、その意味とは何かではなかったか。

 その意味とは、単純に戦火で怯えながら必死で暮らすこと、はからずも命を落とすことに何の意味があるかということだと私は思っている。数日前、私は戦死は犬死だと断言し、戦没者が今日の日本の発展の礎になったという解釈に反吐が出ると書いたが、世界各地で勃発している戦争、内乱で散る命にもまさに同じことがいえる。

 日本人に限らず、たぶん戦没者を慰める言葉は同じだろう。今日の平和や発展は多くの犠牲の上に成り立つと・・・

 その言い訳をする限り、戦争を肯定したも同然ではないのか。言い換えれば、戦争をしなければ平和や発展はないとなる。そんなまやかしと大ウソを認めることこそ人類の不幸である。争うことをしなければ、少なくとも銃弾や爆発で死ぬことはないのだから。

 山本美香さんのご冥福を祈る   合掌

 
コメント
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