tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本的経営の成果を顧みる

2019年10月10日 17時02分11秒 | 経営
日本的経営の成果を顧みる
 日本経済の戦後の高度成長を日本的経営の成果という見方もありますが、アジアでも東欧でも、いわゆる「追い付け追い越せ時代」はそれなりに高成長です。

 ということで、もう少し仔細に見てみましょう。
欧米流にいえば企業は資本家の所有物で、資本家経営者が、人を雇って賃料を払い、利益が出れば自分のものにするというのが原型でしょう。

 コストは安い方がいいということで賃料は低く抑えられ、社会は労と資に二極分化して、マルクス主義も生まれました。
 今度1万円札の顔になる渋沢栄一は、株式会社というシステムを日本に導入し、自らも400近い会社を創立したのですが、会社運営の心を、その著「論語と算盤」で倫理と利益の両立を是としています。

 倫理の基本は「人の道」、つまり人を大切にするということでしょう。企業と従業員の関係を、領主と領民の関係と同様に考えたことは想像に難くありません。領主は領民という人間集団の主、領民栄えて、国栄えるというのがお家(企業)発展の要諦なのです。

 戦後、好戦的な日本を民主的にしようと、占領軍は労働組合づくりを奨励しました。欧米では労働組合は職種別の技能工の集団として生まれましたが、日本では、同じ企業で同じ釜の飯を食う従業員の集団として、世界に稀な企業別組合が当たり前でした。

 結果的に、欧米では賃金は職種別、技能水準別で社会横断的に決まり、日本では、企業業績に応じて企業別に企業内の序列に従って決まるようになりました。

 その結果どんな事が起きたのかといいますと、欧米では労働組合は力ずくでもわが職種の賃金を上げることに奔走し、日本では、賃金を上げるためには、わが社の成長が必要と考える労使関係が定着してきたのです。

 その結果の違いは、1870年代以降の労使関係と経済の関係に現れました。
 オイルショックなどもあり経済成長が行き詰まる中で、欧米の組合は無理な賃上げに走り、スタグフレーション(当時、先進国病と言われた)の激化を招き、イギリスのサッチャー政権を皮切りに、政府による組合弱体化政策でようやく小康を得ました。

 一方、日本は、企業は労使の共同体としての認識から、経済実態の認識、企業環境、企業業績の認識の共有、そして「賃金決定の経済整合性」という原則を共通認識として、スタグフレーションを超克、当時の評価「ジャパンアズナンバーワン」という経済を実現し、独り勝ちと言われる状態にまでなっています。

 なぜ日本が、先進国病と言われた スタグフレーションに罹患しなかったのかは、まさに「企業は人間集団」という日本流の認識をベースにした「 企業内組合中心の労使関係」その理由があったという見方は大変重要と思う所です。

 その日本的経営、人間中心の「企業は人間集団」に支えられた日本経済が、何故、長期不況に陥ることになったのか、その中で、日本的経営はどうなったのか、見てみたいと思います。