即位礼正殿の儀と政教分離
即位礼正殿の儀は多くの国民の歓迎と祝福の中で滞りなく行われ、世界の多くの国からも、祝福や共感の意がマスコミによって伝えられています。
それぞれの国の伝統文化に根差し、それぞれに特徴的なこうした行事は、世界中で等しく歓迎されるものであってほしいと思うところです。
しかし、日本の中でも、マスコミの中で、政教分離の視点から見て如何なものかといった意見も聞かれていました。
こうした問題の議論は、大変難しいもののようですが、それぞれの立場は立場として、もう少し客観的にそれぞれの国・社会の「いにしえ」からの文化遺産を保存するという意味で、その存在意義を考えていくのがいいのではないかと思う所です。
時代の流れの中で次第に「世俗化」していく社会に、自分たちの遠い昔からの文化史の証言者としての儀式を、確りと残しておくということは、ある意味では歴史・文化遺産としての法隆寺などと同じように、大変重要な事ではないかと思う所です。
宗教を持つのは人間だけで、何処の古代社会でも造物主である「神」は至高の存在であり、神の意志を伝えることのできる神官や預言者、巫女などが社会のリーダーとなったのは当然のことたのでしょう(卑弥呼も恐らくは巫女から来た呼び名でしょう)。
古代、社会を導いていく政治は、宗教と一体だったとしても不思議はありません。日本語でも「まつりごと(政)」は、「神を祀る」ことそのものだったのでしょう。
社会が複雑化し、科学の発達もあり、神が万能でないと思う人が増え、近代文明の中では「世俗化」が急速に進み、政治の世界に宗教を持ち込まない方がいいという意味で「政教分離」が言われるようになったのは、人類の歴史の中ではつい最近です。
宗教は1つではなく、世界には多くの宗教があり、宗教は信仰であるがゆえに、宗教間の争いが絶えず、1つの社会、1つの国家の中に多くの宗教が混在するようになると、信教の自由が保障されなければならないという必然性が生じ、信仰より、世俗的合理性が重視されなければならなくなったというのが今の社会でしょう。
個々人の心の問題である宗教と社会の合理的なルール作りのシステムである政治は、「ごっちゃにしてはいけない」というのが、政教分離の、本来的な理由でしょう。
こう考えてみれば、それぞれの信仰、宗教が、社会の共通なルール作りと摩擦が生じないことが重要であり、宗教も次第に、現代社会の中で角が取れて丸くなり、政治も、宗教の教える人としての良き在り方を尊重して常に襟を正し、共により良い社会の実現のために相互に生かし合うことが必要なのでしょう。
有形、無形の歴史・文化遺産については、人類の多様な遺産を、出来るだけ保存して、それぞれの国や社会が人類の歴史の研究の充実のための宝庫として大切にするということが最も大事ではないのでしょうか。
即位礼正殿の儀は多くの国民の歓迎と祝福の中で滞りなく行われ、世界の多くの国からも、祝福や共感の意がマスコミによって伝えられています。
それぞれの国の伝統文化に根差し、それぞれに特徴的なこうした行事は、世界中で等しく歓迎されるものであってほしいと思うところです。
しかし、日本の中でも、マスコミの中で、政教分離の視点から見て如何なものかといった意見も聞かれていました。
こうした問題の議論は、大変難しいもののようですが、それぞれの立場は立場として、もう少し客観的にそれぞれの国・社会の「いにしえ」からの文化遺産を保存するという意味で、その存在意義を考えていくのがいいのではないかと思う所です。
時代の流れの中で次第に「世俗化」していく社会に、自分たちの遠い昔からの文化史の証言者としての儀式を、確りと残しておくということは、ある意味では歴史・文化遺産としての法隆寺などと同じように、大変重要な事ではないかと思う所です。
宗教を持つのは人間だけで、何処の古代社会でも造物主である「神」は至高の存在であり、神の意志を伝えることのできる神官や預言者、巫女などが社会のリーダーとなったのは当然のことたのでしょう(卑弥呼も恐らくは巫女から来た呼び名でしょう)。
古代、社会を導いていく政治は、宗教と一体だったとしても不思議はありません。日本語でも「まつりごと(政)」は、「神を祀る」ことそのものだったのでしょう。
社会が複雑化し、科学の発達もあり、神が万能でないと思う人が増え、近代文明の中では「世俗化」が急速に進み、政治の世界に宗教を持ち込まない方がいいという意味で「政教分離」が言われるようになったのは、人類の歴史の中ではつい最近です。
宗教は1つではなく、世界には多くの宗教があり、宗教は信仰であるがゆえに、宗教間の争いが絶えず、1つの社会、1つの国家の中に多くの宗教が混在するようになると、信教の自由が保障されなければならないという必然性が生じ、信仰より、世俗的合理性が重視されなければならなくなったというのが今の社会でしょう。
個々人の心の問題である宗教と社会の合理的なルール作りのシステムである政治は、「ごっちゃにしてはいけない」というのが、政教分離の、本来的な理由でしょう。
こう考えてみれば、それぞれの信仰、宗教が、社会の共通なルール作りと摩擦が生じないことが重要であり、宗教も次第に、現代社会の中で角が取れて丸くなり、政治も、宗教の教える人としての良き在り方を尊重して常に襟を正し、共により良い社会の実現のために相互に生かし合うことが必要なのでしょう。
有形、無形の歴史・文化遺産については、人類の多様な遺産を、出来るだけ保存して、それぞれの国や社会が人類の歴史の研究の充実のための宝庫として大切にするということが最も大事ではないのでしょうか。